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6本の腕(12)

2020 07 18
「お客さん、帰ります?」

橋本は、すぐそばに一台の車が停まったことに気づかなかった。それは、この場所に来るときに利用したタクシーだった。

「そろそろ帰るんじゃないかと思って、この辺を流してたんですよ」
「ちょうどいい。ちょっと待っててもらえますか」
「結局合流できましたか、追っていた女性とは」

運転手の言葉を聞き流しながら、橋本はタクシーに近づき、そこに隠れるような格好で、前方にいる4人の姿を見つめ続けた。

3人の男たちに囲まれた美智代は、少し緊張した様子で、しかし笑みを浮かべている。確かに酔ってはいるようだが、羽目を外すほどの状態ではない。

そのような醜態とは無縁の人妻なのだ。

3名の男性を、橋本はじっくり観察した。皆、30代前半だろうか。美智代よりは年下に見える。彼らは揃って長身で、がっしりとした体格をしていた。

「あれ、さっきの女性ですね」
橋本の視線に気づいた運転手が、運転席から道の向こう側にある料理屋の入口付近に視線をやった。

「やっぱり別の方と待ち合わせだったんですね」
「いや、どうかな」

人妻の姿を見つめたまま、橋本は運転手の言葉に同意しようとはしなかった。あの様子では、以前から知り合いであった風には思えない。

美智代はどこか恐縮し、緊張した仕草を見せている。酔いに任せて大胆に振る舞う気配はなく、年下であろう3名の男たちに従うような気配を漂わせていた。

夫は、妻のこのような姿を想像もしていないだろう。どういうわけか、橋本は美智代の夫のことを想像した。

夫の目の届かない場所で、夫とは別の男性たちと夕食を一緒にし、酒を飲み交わす妻。今、3人の男たちに囲まれた妻の姿を目にしたなら、夫はどんな気分になるのだろうか。

「どうやら動くみたいですよ」
運転手がつぶやいた。午後10時半になろうとしている。橋本は、3人の一人がタクシーを探すように道路に視線を向けたことに気づいた。

素早くタクシーに乗り込み、橋本は後部座席に腰を沈めた。このタクシーを見ることもなく、男は目の前の道に別のタクシーがやってくることを待っている。

やがて1台のタクシーが4人の前に停まった。橋本は想像した。美智代だけが乗って先に帰るか、或いは美智代は残り、3人の男たちがタクシーで帰路に着くか。

どういう経緯か知らないが、恐らくこの店で偶然に知り合ったんだろう。酒を交えた会話が盛り上がったにせよ、人妻は明日の朝はこの地を発たねばならない。

ここで別れるはずだ。その後だ、俺にチャンスがあるとしたら・・・・。

「全員で乗るみたいですね」
運転手は残念ながらそれが事実だと証明するように、目にした光景をそのまま口にした。彼がいう通り、橋本は4人が同じタクシーに乗り込む様子を見た。

男が一人、助手席に乗った。後部座席には3名。男たちに挟まれるように、人妻が真ん中に座った。

「あのタクシー追ってください」
「さて、どこ行きますかね、あの連中は」

再び尾行することを指示した乗客に何か感情を見せることもなく、運転手は興味深そうにつぶやき、車を発進させた。

4人が乗ったタクシーはすぐに幹線道路に出た。車の量が減り、見失うことはなさそうだ。橋本はしかし、それだけでは満足することはなかった。

「運転手さん、すぐ背後につけてください」
「向こうにばれますよ、尾行していることが」
「構いませんよ」

ヘッドライトとネオンが交錯する夜の道路では、前方の車の内部を観察することは容易ではなかった。しかし、橋本は前の車にいる美智代の様子を強烈に知りたいと思った。

酒とタバコが欲しい。そんな気分になる時は、俺が女性を欲しがっている時だ。そう感じながら、橋本はすぐ前にまで接近したタクシーの後部座席に視線を注いだ。

二人の大柄な男に挟まれた人妻の姿が、想像以上にはっきり見える。車は信号で停まり、橋本はじっくりと美智代のシルエットを見つめた。

人妻が男たちと会話を交わしていることは明らかだった。美智代は時折笑っているようにも見える。それは、オフィスではあまり見せることのない姿だった。

人妻は両隣の男と肢体を密着させているはずだ。橋本はふと、美智代が男に手を握られているのではないか、と感じた。

それだけではない。両隣の男たちの手が、ワンピース越しに肢体に触れ、愛撫することを許しているのではないのかと。昨夜、高島に許したのと同じように。

「前のタクシーは今夜の出発点に向かってるみたいですね」
「えっ?」
「お客さんが乗り込んだホテルですよ」

運転手の言葉に、橋本は考えを巡らせた。美智代をホテルまで送っていくというわけか。それならば、納得できなくもない。

男たちを見つめるように、美智代は時折左右に顔を向けている。夫の知らない妻の姿がそこにある。再びそんなことを思いながら、橋本は車がホテルに近づいたことを知った。

「彼女だけが降りるかもしれませんね」
運転手の言葉と同じことを、橋本も想像している。ホテルのタクシー降車場所に停まった車から、いったん4人が全員外に出た。

しかし、彼らがそこで別れの挨拶を交わすことはなかった。既に予定は決まっているかのように、4人は連れ立ってホテルの中に歩いて行く。

「運転手さん、いくら?」
橋本は慌てて料金を支払い、自分のタクシーから降りた。そして、前方を歩いていく4人を追った。

がっしりとした男たちがすぐそばにいるせいだろうか。ワンピース姿の人妻は、いつも以上に細身でスタイルの良さが強調されている。

3人の男たちに人妻が囲まれるその光景は、どこかいかがわしさを漂わせていた。

男たちもこのホテルに泊まっているのだろうか。橋本がそんなことを想像している間に、4人は人もまばらになったロビーを抜け、エレベーターに向かって歩いていく。

「どこに行くんだ。まさか・・・・・・・」

橋本の尾行に、4人が気づく様子はない。いや、既に俺のことは気づいているが、無視しているだけかもしれない。橋本は、エレベーターを待つ4人を見つめ、緊張を高めた。

やがて、エレベーターの扉が開いた。他に待っている客は誰もいない。無人の空間に4人が乗り込み、扉が閉まるその直前、橋本の鼓動は激しく高鳴った。

男の一人が美智代を抱き寄せ、唇を奪うような動きを見せたのだ。

その瞬間、人妻は戸惑った仕草を見せながらも、男の要求に従ったように見えた。だが、橋本はその光景に確信が持てなかった。

見間違えたのだろうか。強烈な妄想が、あたかも本当のような錯覚を俺に与えただけかもしれない。いや、そんなことはない、あれは確かに・・・・。

エレベーター乗り場に駆け寄り、橋本は上昇する階数の表示を見つめた。あの目撃が事実ならば、このエレベーターが停まる階は一つしかない。

激しい喉の乾きと共に、橋本は視線をそこから動かそうとしなかった。しかし、エレベーターは彼の想像通りに動くことはなかった。

人妻の部屋と橋本の部屋があるフロアを通過し、それは最上階にまで行った。

そこは昨夜、橋本が誘い、人妻が行くことを断ったバーがある場所だ。


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