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刻み込まれた快感(4)

2015 03 03
朱里の書道教室に早川が通い始め、2か月が経過した。

週1回のペースで、彼はそこに通い、地道に筆を持ち続けた。最初の頃は明らかにぎこちなく、畳の上に姿勢よく座るだけでも苦しそうな若者だったが、次第に様になってきた。

「早川さん、随分姿勢がよくなってきましたね」
朱里にそんな風に褒められた彼は、照れた様子で笑みをこぼした。

「いや、姿勢がよくなっても、字がこれじゃあ」
「何をおっしゃいますか。姿勢が基本なんですから。確実に進歩してますよ」

「そうでしょうか」
「ええ。字だって、少しずつよくなってきてるじゃないですか。どれどれ」

朱里はそう言いながら、早川が書き上げた何枚かの字をチェックした。そして、座る早川の背後にまわりこみ、以前も何度かしたように、筆を握る彼の腕を持った。

夏休みになろうという季節であった。夕方だが、じりじりとした日差しが刻み込んだ暑さが、朱里の自宅を囲んでいる。せみの声がうるさく聞こえ、それが室内の熱を増していた。

その日の教室には、早川と中学生が一人だけだった。外山と名乗る中学2年生の男子は、早川とよくクラスが重なったが、極端に無口な生徒で、ほとんど口を聞いたことがなかった。

今もまた、早川の背後から肢体を密着させるようにして筆の運び方を教えている朱里のことを、横目でちらちらと見つめながらも、ただ静かに己の練習を続けているだけだ。

「そうですね、筆は垂直に。何かをてっぺんに置いているようなふうにね」
「はあ・・・・・・」

戸惑う早川をよそに、朱里は彼の腕を持ったまま、筆の構え方、そして運び方を教えた。そして、自分自身で書いた字を、手本として早川に与えた。

「これを下に置いて一度書いてみてください」
言われるがまま、早川は熱心に筆を運び始めた。

ただ模倣をするだけをこころがけた早川は、想像以上に自分がうまく字を書けたことに気づいたようだった。笑顔を浮かべ、それを朱里に見せた。

「今日はしばらくそれで練習しましょうか。案外、それで体が覚えるものですから」
「体が覚える、ですか・・・・・・・」
「一度何かを覚えてしまった体は、もう決して忘れることはないですからね」

その言葉の意味を噛み締めながら、早川は黙々と練習を続けていった。冷房が効いている和室ではあるが、それでも妙に彼は汗を感じていた。

「先生、のどがかわいたよ・・・・・・」
「あら、外山君、珍しいわね」

朱里は、唐突に声をあげた中学生に対し、母親のような視線で優しく見つめた。

「いいわ。何か飲む?」
「うん・・・・・・・」
「じゃ、ここで飲むのもなんだから、台所にいらっしゃい。麦茶をあげるわ」

朱里はそう言うと、先に立って部屋を出ていった。桃色のポロシャツにデニムという至極ラフな格好だが、スタイルのいい人妻には、その美脚が十分すぎるくらい目立つ姿であった。

二人が姿を消した後には、鳴きしきるセミの声だけがそこに残った。

「ふう・・・・・・・・・」
額に僅かに浮かぶ汗をぬぐいながら、早川は律儀に練習を続けた。

しばらくの後、早川は何か違和感を覚え始めた。初め、彼はそれが何に起因するのかわからなかった。姿勢を何度か直し、筆も握りなおしたりしたが、それは消えなかった。

「・・・・・・・・・・・・・」
やがて、彼はそれに気づいた。きわめて単純な事実だった。

台所に麦茶を飲みに行っただけのはずの中学生、そして案内をした人妻が、ちっとも戻ってこないのだ。もう10分近くになるような気がする。

「おかしいな・・・・・・・」
早川は筆を置き、しばらく正座のままでそこに居続けた。だが、二人が戻ってくる気配はなかった。その代わり、家の奥のほうから何かが動く音が、不意に聞こえた。

それは食器か何かが不自然に動いたような、そんな音に聞こえた。早川は立ち上がると、息を潜めたまま、二人が姿を消した家の奥に向かい始めた。

これまで、書道教室の場である和室と玄関を往復しただけだ。朱里の自宅のことは何も知らない。早川は家の構造を予想しながら、台所がありそうな場所に向かった。

ある柱の向こう側に、台所らしき空間があるように思えた。早川はそこにそっと近づきながらも、ごく軽い気持ちでその向こう側を覗いた。

そして、すぐに顔を引っ込めた。柱のこちら側の壁に体を密着させたまま、早川は息を殺した。

想像もしていなかった光景が、そこにあった。

テーブルの上に朱里が押し倒されていた。


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