FC2ブログ

LOVE47(56)

2016 04 27
波多野理穂に、歩くことなどできなかった。

一緒にいる男性たちの存在になど気づかぬ様子で、理穂は今、一心不乱に紅葉の中を走っている。

細い登山道に人の気配はなかった。

このふもと付近から目的地までは6キロ程度あるらしい。

山道の入口に掲げられた案内板には、聞きなれぬ湖の名前、そして徒歩で約2時間と書かれていた。

午後2時。

もう間に合わないのかもしれない・・・・・・・。

ママ・・・・・・・・・・・・・・

「理穂ちゃん、おい、ちょっと待ってくれよ」
背後から、男の声がかかる。

佐伯が息を切らし、苦し気な様子で必死に理穂に追いつこうとしている。

彼の懇願を無視し、理穂はひたすらに走り続ける。

「ほんとに・・・・・・・・、この先なんでしょうね・・・・・・・・・・・」
理穂の後ろ姿を見つめ、そして佐伯は傍らにいる別の男に声をかけた。

梶本と名乗る男は、40代前半の刑事だった。

都心部からこの温泉地まで、佐伯そして理穂と同行している。

「温泉宿の女将の証言ではこの山道に向かったらしいですからな」
「この先に何があるっていうんですか」

「きれいな花畑が湖を囲むように広がっていると聞きましたよ」
「花畑・・・・・・・、湖・・・・・・・・・」

苦しそうな呼吸を続けながら、佐伯はその場所の意味を考えようとした。

あの奥さんが選んだ場所・・・・・・。

若い愛人と一緒に、奥さんはその場所で・・・・・・。

男に対する強烈な嫉妬心を、佐伯は今は忘れ去っている。

次第に距離が離れつつある理穂の背中を見ながら、佐伯はその若い娘のことを思いやった。

母親が、自分の恋人と交際していたという事実。

その事実を、彼女は母親自身から知らされ、当然のごとく、我を忘れ、激しく取り乱した。

そして、彼女は恋人にもそれが事実であることを確認した。

昨日のことだ。

一度は別離を言い放った母親の姿を、今、彼女は必死に探している。

「お嬢さんの彼氏からの電話がなかったら、この温泉地に来ることはできませんでしたな」

軽快に走りながら、刑事が佐伯を励ますように話しかける。

「間違い電話だったんでしょう・・・・・。すぐに・・・・・・切ったんですから・・・・・・・・・・・」

切れ切れの息の中、佐伯は必死に言葉を継いだ。

次第に道が細くなり、紅葉に満ちた森が圧倒的な量感で皆を包み込んでくる。

上空からは、穏やかな秋の日差しが注ぎ続けている。

山道の上には、3名の人間が走り、ハアハアと息を切らす音があった。

「私はそうは思いませんよ、佐伯さん」
「・・・・・・・・」

「彼氏は自分たちがいる場所を暗に伝えようとしたかったのかもしれませんね」
「電波で?・・・・・・・・・」

「少なくともあの電話のおかげで、発信局が特定できたんですから」

泣きじゃくる理穂の姿を佐伯が見つけたのは、今朝だった。

父親は、この場に及んでも無関心を装い、クリニックに姿を消した。

この家族にとっては悪役であるはずの自分だが、理穂を無視するわけにはいかなかった。

そして、佐伯はことの経緯を理解した。

その瞬間、葉子の決断も想像がついたような気がした。

「理穂ちゃん、すぐ警察に行こう」

昼前にこの温泉地にやってきた3人は、2人が利用した温泉宿を特定するまでに1時間ほどを要した。

「この写真の方なら、ええ、確かに昨夜いらっしゃいました。男性の方が後から合流して」
「それで今は?」

「湖に」
「湖?」

「いつか二人で行きたいと思ってた場所だって、おっしゃってました」

いつしか、先を走っていたはずの理穂が歩いていることに、佐伯は気づく。

その後ろ姿には、確かな緊張が宿っていた。

「刑事さん・・・・・」
「急ぎましょう」

刑事と一緒に理穂に追いついた佐伯は、彼女の視線の先から歩いてくる二人連れのハイカーの姿をとらえた。

「あれは・・・・・・・」
一瞬、それが葉子と垣内剛ではないのか、と思ったが、佐伯はすぐに違うことに気づく。

高齢の男女のようだ。

仲睦まじく歩いてくる老夫婦は、3人の姿を見つめて笑顔で会釈をした。

そして、梶本が差し出した写真を見つめ、笑みを浮かべたまま、こう答えた。

「お二人は、とても、とても親密そうに歩いて行かれました」

理穂が、再び走り出す。

「理穂ちゃん!・・・・・・・・」

叫んだとき、佐伯の携帯がなった。

人妻の夫からだった。

「佐伯、今どこだ」
「波多野。今どこだって、おまえ、ずいぶんご挨拶だな」

佐伯は自分の居場所、そしてここに来た目的を波多野直弘に説明した。

しばらくの沈黙の後、声が続いた。

「佐伯、急いでくれ・・・・・・・・・」
「言われなくても、俺は・・・・・・・」

「葉子が妙な薬を持ち出したかもしれない」
「クリニックから?」

「ああ」

佐伯は、波多野が口にした薬品の名前を聞いたことさえなかった。

「何なんだ、そりゃ」
「筋弛緩作用がある液体だ。睡眠薬みたいなもんだが・・・・・・」

佐伯は初めて聞いた。

波多野直弘という男が、深く悔いる声を。

「とにかく急ぐさ。理穂ちゃんに追いつかないとな」
電話を切った佐伯もまた、懸命に走り始めた。

何かを告げるように、穏やかだった日差しが一瞬陰ったことに、3人が気づくことはなかった。


(↑クリック、更新の励みです。凄く嬉しいです。次回更新、4月29日の予定です)
>>申し訳ございません。次回更新、5月6日とさせてください。よろしくお願いします。
 | HOME | Next »