FC2ブログ

夫の秘密、或いは妻の秘め事(1)

2014 07 21
「じゃ、こちらのアイスピーチティーにしようかしら」

梶野希美子はカラフルなメニューをしばらく眺めてから、店員にそう告げた。

「かしこまりました。少々お待ちください」
たどたどしくそう答え、緊張気味に手元の端末を押した後、一転してさわやかな笑顔と共に去っていく若い女性店員を見つめながら、希美子は笑みを浮かべた。

いいわねえ、新人って感じで・・・・・・。自分がそんな新鮮な気分に包まれていたときのことを思い出すように、希美子は眩しそうな視線をカフェの外に投げた。

梅雨が遂に開けた空は、夏の到来を思わせるような濃厚な青とぎらぎらと輝く太陽に支配されている。店内は快適な温度に保たれているとはいえ、希美子は素肌に浮かぶ汗を感じた。

このような都心に足を運ぶのは久しぶりだった。もう何年も前、こんな場所に毎朝通い、OLとしてバリバリ働いていたのだ。希美子は通りを行きかう若い女性の姿を見つめる。

バリバリって感じじゃないわね・・・・・。ていうか、バリバリってもう死語?・・・・・・・。希美子が自分自身のそんな言葉に再び笑みを浮かべたとき、店員が注文の品を運んできた。

「お待たせしました。アイスピーチティーです」
「ありがとう」

シロップをたっぷりと入れ、限界にまで冷えたようなピーチティーを喉に流し込む。体奥の芯まで冷えを感じつつ、希美子はそんな落ち着きが、再び緊張を思い出させることに気付く。

「いったい、何なのかしら・・・・・・」
自分がここにやってきた理由を考え、希美子は神経質そうに入口を眺める。

今年、34歳になる梶野希美子は、結婚して5年になる。お嬢様大学とも形容されそうな都内の女子大学を卒業し、大手の損保会社で勤務した。まさに、バリバリ、働いた時期だ。

夫となる秀人と出会ったのは、希美子が27歳の頃だ。大学時代の友人の紹介で知り合った秀人は、希美子より5歳上だった。

初対面のときから、何となく以前からの知り合いのように思える相手だった。饒舌ではなく、どちらかといえば年下の希美子のほうがよくしゃべるタイプだったが、相性はよかった。

しばらくの交際を経て、二人は結婚した。希美子が29歳、秀人が34歳のときだ。IT関係の企業で働く秀人の給与は相当に高く、希美子は結婚後、専業主婦として暮らし始めた。

子供はまだいない。別に避けるわけでもなく、二人は自然の成り行きに任せていたが、なかなか変化はこなかった。そして、ここ2年ほどは、そんな試みの回数もずいぶん減った。

決して、夫婦関係がどうかなったわけではない。希美子はそう思いたかったし、実際に、目に見えて何か問題が発生したわけでもなかった。

大学時代、そして、損保会社時代から、希美子の美貌は評判だった。親譲りのスラリとした身長は、160センチを優に超える。高校時代には短距離選手としてならしたものだ。

「希美子ってさあ、やせてるくせに妙にむちむちしてんだよなあ」
「何なの、それ!」

これは、同期入社の男性社員から、入社当時冷やかされた言葉である。飲みの席でもあり、希美子は心地よく酔った勢いでその男の頭をひっぱたいたものだが、悪い気はしなかった。

手脚も長く、スタイルは申し分ないだろう。同時に、その肉体は人妻となり、30代に突入した辺りから、程よい肉付きと共に、大人の女としての色香を漂わせ始めている。

新入社員の頃に男性社員から冷やかされた、その魅力的な肉体にそんな色気が更に増していることに、希美子はしかし、はっきりと気づいてはいない。

ただ、夫を落胆させてはいけないと、希美子がスタイルの維持に気を遣ってきたのは事実だ。にもかかわらず、夜の営みはすっかり減ってしまっているのだが。

アイスピーチティーをゆっくり飲みながら、希美子はそんなことを考えている。それは、ここに来た目的と無縁ではないのかもしれないから。

「まだかしら」
入口のほうをじっと見つめながら、希美子は緊張気味に息を吐く。平日の昼過ぎ、若者で混雑した店内だが、希美子の席からは来店者の姿がはっきり見える。

だが、どのような人間がここに来るのか、希美子はまだ知らない。希美子はただ、「彼」に今日、ここに来るように一方的に指示されただけなのだ。

「恐れ入りますが、梶野秀人様の奥様でいらっしゃいますか」
希美子がそんな電話をもらったのは、先週のことだった。

「突然電話をさしあげて、申し訳ございません。かなり迷ったのですが、やはり奥様にはお知らせしておいた方がいいかと思いまして・・・・・・」

「あ、あの、失礼ですが・・・・・・・・」

「失礼しました。私、柴田と申しまして、○○でメンタルクリニックを開いているものです」

「メンタルクリニック?」

希美子は初め、ダイレクトセールスか何かと思って、電話を切ろうとした。メンタルクリニックの勧誘など聞いたこともないが、どうせ、主婦をターゲットに電話をかけまくっているんだろう。

今どきの主婦には、メンタルの問題は山積している。クリニックでカウンセリングを受けたいと思っている主婦は数多くいるはずだ。目の付け所はいいわね、だけど残念ながら私は・・・・・。

希美子はそこまで考えてから、ある事実に気付いた。彼が、夫の名前を最初に出したことだった。そこには、何か秘めた事実を感じさせるような響きがあった。

「失礼ですが、いったいどのようなご用件でしょうか」
「できれば直接お会いしてお話をしたいのですが。時間や場所は勿論奥様にお合わせします」

柴田という医師(なのか?)は、よく通る低い声の持ち主だった。30代後半、いや、40代だろうか。希美子は、電話の向こうにいる男のことを想像しながら、彼に答えた。

「突然お会いしたいと言われても・・・・・。いったいどのような」
「ご主人の秀人様のことなんです」

「えっ?・・・・・・・」
「手短にお話しますと、私どものクリニックに秀人様がしばらく前から通われてまして」

「主人が、クリニックに、ですか?」
希美子には、それは全く知らない話だった。

「本来であれば、ご家族の方であってもこうしたお話はできません。いわば、私は今、ルール違反をしているわけですが、それでも奥様にどうしてもご協力を仰がねば、と判断しまして」

「あの・・・・・、主人はいったい何を・・・・・・・・・・・・」
仕事柄、夫の勤務時間は長く、イレギュラーでもある。週末に出勤することも珍しくなく、同僚には精神的に参ってしまう社員が何人もいるとの話も以前聞いたことがある。

だが、柴田の回答は、希美子が想像しているようなことではなかった。

「ご主人はある秘密を抱えていらっしゃるんです」
「秘密?・・・・・・・」

「奥様には決して言えないという意味で、秘密と言わせていただきます」
「私には言えない・・・・・・・」

「良心の呵責といいましょうか、ご主人は随分苦しんでいらっしゃいましてね。その問題の根源を何とか解決したい、と。それで我々への通院をご自分から開始されたんですが・・・・」

妻への秘密。いったい、どんな秘密なんだろうか。まさか、浮気?・・・・・・・。夫の姿からは、決して想像はできないが、しかし、それが一番あり得そうだった。

あなた、ほんとなの?・・・・・・・・。私がいるっていうのに・・・・・・・・・。希美子は、それが自分本位の考えであることを知りながらも、そう思わずにはいられなかった。

同時に、希美子は決断した。逃げちゃ駄目・・・・・・。事実と対面しなきゃ・・・・・・・・。

そして今日、希美子はこの都心に位置するカフェテリアにやってきたのだった。夫の勤務先とはかなりの距離があり、希美子のかつてのオフィスとも近くはない。

「まさか、主人が浮気だなんて・・・・・・」
希美子は、ストローで桃色の液体をかきまぜながら、そうつぶやいた。他人事と思っていたことが、いきなり自分に降りかかってきたのだ。

スタイルの良さを周囲に見せつけるようなワンピースに身を包み、一人の美しい人妻が緊張した面持ちで座っている。彼女は勿論、まだ知らない。

夫の秘密がいったい何であるのか。


(↑新作開始しました! クリック、励みになります。凄く嬉しいです。次回更新、24日予定です)
 | HOME | Next »