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生贄~夫の知らない妻(1)

2009 11 01
鉄橋の上を、ごうごうと音を立ててJR総武線が走り抜けていくのが見える。夏空の下、浜井秀昭は滴り落ちる汗を拭いながら、ぼんやりとそれを眺めた。

「社長、さあ、行きましょう!」
ホームプレートの向こうでキャッチャーを務める男が、マウンド上の秀昭にそう声をかける。

「あ、ああ・・・・・」
自らの置かれた立場を思い出したかのように、秀昭は帽子のつばに手をやり、改めてキャッチャーのサインを覗き込む。

所詮、草野球なんだ。サインなんてあってもなくても構わないさ。いつのも彼ならそう思うのだろうが、この日は、少しばかり違っていた。

不安、戸惑い、そしてかすかな興奮の匂い。過去には味わったことのないような不思議な感情とともに、秀昭は今、相手チームとの勝負に臨もうとしていた。

「楽勝、楽勝! さあ、打っていこうぜ!」
相手ベンチからの野次が、秀昭の耳に届く。声をするほうにちらりと視線をやる。

見慣れたメンバーがそこには陣取っていた。選手だけでなく、家族、子供もいる。それは、いつもと変わらぬ光景ではあった。

週末の河川敷。何面にも広がる野球場で、この日も朝から多くの試合が繰り広げられている。学生らしい姿も見られたが、大半は近隣に住む社会人のチームであった。

一流と称される企業に通勤する人間もいれば、リストラの危機に瀕している人間もいた。

退職して起業するという無謀な選択を取った男、地元の小規模な会社に勤め、何とか日々を乗り切っている男・・・・・。

様々な背景を持つ男達も、しかしユニフォーム姿でグラウンドに一歩足を踏み入れれば、無垢な野球少年に戻ったかのように、白球を追いかけることに変わりはなかった。

この週末のひと時だけが、日常の全てを忘れさせてくれるのだ。ただそれだけを信じて、この河川敷のグラウンドにやってくる人間も多かった。

だが、この日の浜井秀昭は、そんな感傷に浸っていられるような心境ではなかった。

「プレイボール!」
審判の右手があがり、試合が始まる。サインはアウトコース低めの真っ直ぐだった。

俺がストレートしか投げられないことを知ってるだろう・・・・・・・

両腕を力強く振りかぶった秀昭は、どうにでもなれという気分で、キャッチャーミットをめがけ、目一杯の力で初球を投げ込んだ。

「ストライーク!」
何とかストライクゾーンに投げることができた。キャッチャーからのボールを受け取り、秀昭はかすかな安堵感に包まれる。

そして、ここまではそれを避けるようにしていた自分達のチームのベンチを、マウンドに登ってから初めて、ちらりと見た。

妻、梨恵がどこか不安げな表情で座っている姿が、ベンチの片隅に確認できた。



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