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波涛の彼方(1)

2010 07 01
城崎朋子は、濡れた窓ガラスの向こう側の景色を、まるで失ったものを探すような視線で、先程からじっと見つめていた。

厚い雲に覆われた空に光の存在はない。日没の時間が迫っていることも手伝い、先刻よりもどんよりとした暗さが増してきているようだ。

発達中の低気圧が九州方面から進んでいるらしい。波は想像以上に高く、朋子が乗る小さな連絡船は、浮き上がるほどの跳躍を何度も繰り返した。

岡山県側の小さな港から出発したこの船に乗り込んだ客は、僅か10人程度の数だった。寂れた雰囲気を助長するように、船内には空席が目立っている。

隣に座る隆夫は、相変わらず目を閉じたままだ。これから夫婦で住むことになる島に初めて向かうというのに、夫にいつもと違う様子は感じられなかった。

海面の様子が確認できないほどに、闇が深まってくる。朋子は外の景色を眺めるのをあきらめ、目を瞑った隆夫の横顔を見る。そして、他の乗客達に視線を投げた。

観光で訪れる様子の客は皆無だ。もっとも、目的地である小さな島に、観光客を魅了する要素は何もない。にもかかわらず、朋子はどこか暗鬱な気持ちになった。

年配の男性客が大半だった。仕事の帰りなのだろうか。互いに会話を交わすことなく、彼らは陰気な表情で船の進む方向をじっと眺めている。

ジリリリッ・・・・・・、ジリリリッ・・・・・・・

突然船室内に響いたベルの音に、朋子は一瞬肢体を震わせた。その直後、船長と思われる男の割れた声が、乗客たちに届いた。

「間もなく到着します、止まるまでお立ちにならないよう・・・・・」
しかし、島民と思われる乗客たちは、彼の指示を無視するかのように、荷物を手に、一斉に立ち上がった。

朋子が気づかぬ間に、その島はいつしかすぐそこにまで迫っていた。桟橋であろうか、闇の中にかすかな灯りらしい瞬きが確認できる。

窓ガラスを濡らす水滴の量が増している。それは波のしずくだけではなかった。

「降ってきたようだな・・・・・」
「えっ?」

隆夫の声に、朋子は少しばかり驚いた。夫が船長のアナウンスで目を覚ましたのか、或いは最初から眠ってなどいなかったのか、朋子にはわからなかった。

その一言だけを口にすると、隆夫は落ち着いた様子で手荷物をまとめ始めた。寡黙な夫のその姿に、朋子は2年間の結婚生活でもうすっかり慣れてしまっている。

船の速度が少しずつ落ちていく。迫り来る島影が、はっきりと目で確認できる。黒々とした岩肌が、来る者を拒むかのように島を囲んでいる。

やがて、船は停まった。先を行く隆夫に続き、朋子はまだ揺れている船内を歩き、桟橋へと足を踏み出した。

『松木島へようこそ』

古びた小さな看板が、朋子を迎えてくれた唯一のものだった。その文字を見ても、彼女は、胸の内に抱え続けている不安を払拭することができなかった。

私、本当にこの島で生活していけるのかしら・・・・・

32歳の人妻にとって、東京以外の場所で初めて暮らすことになる日々が始まろうとしていた。




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