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依頼者~緑の過去(1)

2017 07 25
「先生、依頼者さんがお待ちです」
「そうだったわね」

地裁から戻った緑は、事務所奥にある自室に入り、机の上に置かれていた書類に急ぎ目を通した。

「この件は月曜午前の面談でどうかしら」
椅子に座ることなく、緑は立ったまま書面を見つめ、部屋の外にいる女性スタッフに歩み寄った。

「先生、月曜日の午前は取材が入ってますよ」
「取材?」

「ほら、○○新聞が先生のことを特集したいって。今、この街で一番人気の女性弁護士、矢田崎緑、を」

「お願い、それ、やめて・・・・」
緑はふざけた調子でそう答えながら、狭い事務所に座る2名の女性スタッフを見つめた。

「人気商売ですよ、弁護士だって。先生、宣伝活動は大切です」
「嫌なのよね、こういうの。ほら、前にもあったでしょう」

「記事に掲載されたら、何だか怪しい依頼人が増えたって、あれですか」
「そうそう」

緑は差し出された冷えた麦茶をおいしそうに飲みながら、首を振った。ビル3階にある事務所の窓からは、真夏の日差しが部屋に差し込んでいる。

既に午後4時をまわっているが、外はまだ猛烈な暑さの名残が続いているようだ。

「暑いわね、ほんとに」
額の汗をハンカチで拭いながら、緑は机にもたれかかるような格好で、息を吐いた。

「先生、依頼者さんが・・・・」
「あっ、そうだったわね」

「資料には目を通してもらえましたか」
「確か、えっと・・・・」

手にしていた別の書類に視線をやりながら、緑はゆっくりと応接スペースに向かった。そこは薄いドアで隔たれただけの、狭い空間だ。

曇りガラス越しに、既に誰かがそこに座っていることがうかがえる。

「不倫で悩まれてるみたいです」
「ご主人からの相談は珍しいわね。詳しくは資料からはわからないけど・・・・、いいわ、直接話してみます」

麦茶を急ぎ飲み干し、緑は二人の女性に向かって声をかけた。

「5時をまわったら、帰っていいわよ」
「いいんですか、先生」

「今日も私は少し遅くなりそうだから。ほら、金曜日よ。二人とも彼氏との約束があるんでしょう?」

「じゃ、お言葉に甘えて」
「ありがとうございまーす」

彼女たちと笑みを交わし、緑はドアのノブに手をかけた。その中に彼女が滑り込むようにして入った時、室内の空気が一気に華やいだように揺れた。

「すみません、お待たせしてしまって」
「い、いえ・・・・」

テーブルにいる男性が、恐縮したようにその場に立ち上がった。この暑い中、彼は紺色のスーツ姿でネクタイまで締めていた。

「どうぞおかけになってください」
「恐縮です・・・・」

資料によれば、年齢は35歳。緑よりも少し年下だ。この地方トップの地銀に勤務する既婚者、子供はいない。

結婚して5年、不倫問題で相談したいというのが、今日の訪問目的らしい。

小柄な男性だ。長身の緑と比較して、明らかに背は低い。額にびっしりと汗を浮かべ、神経質そうにまばたきを繰り返し、緑を見つめている。

「お楽になさってください」
緑は、彼の熱っぽい視線に戸惑いつつ、目の前の椅子に座った。

「上着はどうぞお脱ぎになって。ネクタイも緩めていただいて結構ですわ」
「評判の女性弁護士さんとの面談ですから、少し緊張して・・・・」

「気軽に話し合いましょう。今、冷たい麦茶を用意しますから」
緑が言い終わらないうちに、一人の女性スタッフがお盆に麦茶を二つ載せて部屋に入ってきた。

「こんにちは」
気さくな雰囲気で声をかけながら、彼女はテーブルにお茶を並べた。そして、部屋を出ていく瞬間、少しおかしそうに緑を見つめた。

「どうぞ。本当に暑いですね、毎日」
「いただきます・・・・」

依然として緊張した様子で、彼は遠慮がちにコップを手にし、少しだけ麦茶を飲んだ。緑は目の前の彼を見つめ、そして手にした資料に視線を移した。

「ご相談の件、少し資料を拝見させていただきましたが」
「お恥ずかしい話です」

「夫婦間の問題を相談されたいとしか、ここには・・・・」
「ええ・・・・」

冷えた麦茶のグラスを両手で握りしめたまま、彼は目の前にいる緑のことを凝視している。彼の視線が胸元に注がれていることを知り、緑は密かに不快を感じた。

「やっぱりお綺麗ですね」
「ありがとうございます」

そんなことを平気で言う依頼人は、最近珍しくはなかった。少し前、ローカルニュースや情報誌で緑の事務所が取り上げられたことがあり、それ以降、そんな依頼人は更に増えた気がする。

事務的な調子で言葉を返した緑に対し、彼は言葉を続けた。

「矢田崎緑先生に相談したかったんです、私の件を」
「それは光栄ですわ」

「緑さん・・・・、いや、先生、ご結婚されてますよね」
「ええ」

「年齢は38歳。5歳年上のご主人も弁護士で、違う事務所で活躍されている。5年前に結婚されて、まだお子さんはいない」

「・・・・・」

「記事によれば、先生は東京の大学を卒業された後、地元であるここに戻られた。しばらく大手の弁護士事務所で働きながら、昨年独立されてこちらを開かれた」

「ちょっと・・・・」

「写真以上に美人ですね。想像通りスタイルもよくて、脚も細い。それに胸だって思った以上に・・・・」

「あの、失礼ですが・・・・」
困惑と苦情の入り混じった緑の視線に怯えるように、彼は視線をおどおどと泳がせた。

「すみません、変なことを言いだして。ただ、先生のことを知って、すっかりファンになってしまったものですから・・・・」

スーツを脱ごうともせず、汗をだらだらと流して話す彼の姿に、緑は少しばかりのおかしさを感じた。

「弁護士のファンになってもいいことはありませんよ」
「こうやってお会いできただけで、私は・・・・」

「それで、ご用件ですが・・・・」
「そうでしたね・・・・」

男は息苦しそうに言葉を止め、もう一度麦茶を口にした。少し疲弊した雰囲気を漂わせる目の前の彼が、緑には年上のように思えた。

よく見ると、整った顔つきをしている男性だ。根が悪いタイプではないようにも思える。一瞬、緑は昔、どこかで彼に会ったことがあるような気分になった。

「実は不倫の件で相談したいことが」
「えっと、後藤さん、ですね」
「はい・・・・」

緑は資料を見つめながら、初めて彼の名前を口にした。

「後藤さんは奥様とはいつご結婚に?」
「5年になります。先生と同じですね」
「不倫でお悩みということですが、もう少し具体的に話していただけますか」

彼の言葉を無視し、緑は淡々と話を続けようとした。悪い人間ではないのかもしれないが、しかし、彼であれば、妻が他の男性に走ってしまうのもわからなくもない。

緑はそんなことを感じながら、汗ばんだ彼の険しい表情を見つめた。

「先生、脱いでいいですか?」
「えっ?」

「あの、スーツがどうにも暑くて・・・・」
「どうぞ。おかけしますわ」

「い、いえ、大丈夫ですから」
彼は手を伸ばした緑を制しながら、座ったままスーツを脱いだ。そして、椅子にかけると、再び緑を見つめた。

「それで、奥様はいつから不倫を?」
単刀直入にそう訊いた緑の言葉に、彼はすぐに答えることなく、顔をうつむかせた。その様子に、緑は少し困惑した。

「ごめんなさい、私、変なことを」
「いえ・・・・、実は、その・・・・」

「はい・・・・」
「不倫しているのは私のほうでして」

思い切ったようにそう告白した後、後藤と名乗る男性は緑の肢体を食い入るように見つめた。


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