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失われた午後~女子大生、有紀(1)

2008 08 11

椅子の上に置いたバッグの中の携帯が鳴るのに気づき、少し慌てた様子でそれに手を伸ばした。ディスプレイに表示された発信者の名前を確認し、それまで集中していた気持ちが少し和らぐことを感じ取る。

「お姉ちゃん、今日の都合はどう?」

携帯の電話口から、そんな弾んだ声が珠代の耳に届く。


裕子の夫、圭一が経営するカフェ「ミスティマウンテン」のテーブルにいた珠代は、そのとき、裕子と夏休み中に園児たちが集めたベルマークの集計作業をしている最中だった。9月に入ったというのに、まだまだ厳しい暑さが残るある日の午前、冷房のよく効いた店内で、コロンビア産の珈琲豆を使ったというアイスコーヒーを楽しみながら、珠代は電卓片手に慎重に集計を繰り返し、ノートパソコンに数字を入力していた。


「あら、有紀、学校は? まだ夏休みなの?」

珠代は携帯を片手にパソコン画面をにらんだまま、そう話しかける。

「そうよ、今月もほとんど休みみたいなものなの。いいでしょ」

「だってもう9月よ。あんた休みすぎじゃないの、それ?」

「ふふふ・・・、まあ、いいじゃない。学生の特権よ、特権」

有紀、と呼ばれたその女性は、わざと優越感を見せ付けるかのような話しぶりで、珠代にそう答えた。


白石有紀は、今年22歳。洋和大学に通う彼女は、珠代の母の妹の娘、つまり珠代の従姉妹にあたる。大学4年生の有紀は、所属するゼミから課されている卒論の制作に忙しい日々を送っていた。と言っても、それ以外の卒業に必要な単位はほぼ全て取得しており、9月下旬までの夏休みの間は友人と旅行したり、大学のクラブ活動として参加しているラクロスの練習に出たりと、卒論準備以外に顔を出す時間のほうが長い、どこにでもいそうな学生であった。


8月中旬から始まった関東学生ラクロスリーグに、有紀の大学チームも参加している。高校時代までバスケットボールをしていたこともあってか長身の有紀は、入学直後の新入生歓迎ウィークにて、ラクロス部から勧誘を受けた。何か新しいことをやってみたいと思っていた彼女は、迷わず入部を決めた。


以来4年間、チームは残念ながら万年4部リーグであるが、クロスと呼ばれる網のついたスティック片手に、新人戦、リーグ戦、春夏の合宿など、充実した日々を過ごしてきた。勿論、練習だけでなく、プライベートな時間も、チームの仲間たちとよく遊びに出かけたものだ。


現在のリーグ戦は11月まで定期的に開催されるため、練習も熱心に行っている。その見た目の印象から、ややもすればちゃらちゃらしたイージーなスポーツと思われてしまうラクロスであるが、実際は相当ハードで、激しい運動量が要求される競技だ。その日も練習の予定であったが、急遽グラウンド確保ができなくなりキャンセルとなったため、有紀は珠代に電話をかけてきたのであった。


従姉妹の珠代とはちょうど一回り違う。互いの家が近く、そして有紀が長女であったためか、二人は幼い頃から年が離れた姉妹のような関係で、「お姉ちゃん」「有紀ちゃん」と呼び合っては、親しく付き合ってきた。


少し前までは子供だった有紀が、今や大学で卒論を書く年齢になり、携帯で気軽に自分に電話してくるようになったということに、珠代はまだ何かちょっとした戸惑いを感じてしまうのだった。

私が34歳ってことよね・・・・・

改めて自分の年齢を意味もなく確認し、有紀に話しかける。


「いいわねえ~。で、何、また見学に行きたいの?」

「駄目かな、今日は? ラクロス、練習ドタキャンになっちゃったからどうかなって思ったんだけど・・・・」


有紀と電話で話す珠代の前には、同じ34歳の人妻が座り、少し退屈そうな表情を浮かべながら、先程から何度も検算をしていた。

計算が合わないわよ!!

裕子は、泣きそうな表情を浮かべながら、声を出さずに口を動かして、電話中の珠代にそう伝える。それを見て珠代はつい吹き出しそうになる。


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