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脅迫(28)

2010 03 13
「篠原署の武本と申します」
家の中に招かれたその刑事は、少しばかり恐縮した様子で、まず久雄に対し、そう自己紹介をした。

「楠本久雄です、こちらが妻の志織です・・・・」
突然の来訪者に戸惑ったまま、久雄は武本と名乗る刑事にそう挨拶を返す。

「奈津美、向こうで遊んでらっしゃい」
志織にそう促された娘は、別に不満な様子もなく、別の部屋へと走り去っていった。

髪に白いものが目立つ武本は、初老の刑事と言ってもよかった。近くで見ると、そのグレーのスーツは随分とくたびれている。

しかし、刑事らしいその鋭い眼光は、彼が温和な表情を浮かべていても、ごまかせるものではなかった。志織はお茶を用意しながら、彼にかすかな不安を感じた。

自分の隠している秘密と、その刑事には何の接点もないはずだ。しかし、志織はどういうわけか、彼にそれを暴かれ、久雄に告発されてしまうような気がした。

「突然申し訳なかったですな、お食事中だったんでしょう?」
「い、いえ、もう終わるところでしたから・・・・・」

部屋の中をさりげない様子で観察しているその刑事に、久雄はそう言って椅子に座るように勧めた。志織は慌てて夕食の皿を片付ける。

「奥さん、どうぞお構いなく」
志織にそう声をかけながら、武本はダイニングテーブルに歩み寄り、椅子に座った。志織は、その刑事が自分のことを観察していることに気づく。

いったい、何なの・・・・・・

赤木との秘められたやり取りのことで、既に志織は心を揺らされている。そこに、この刑事の登場が加わり、志織は日常から少しずつ逸脱していく自分を感じていた。

「失礼ですが、刑事さん・・・・・」
武本の正面に座った久雄が、どこか不審な様子でそう声をかけた。

「あっ、ご主人、どうぞ武本と呼んでください」
「そうですか・・・・、じゃあ、武本さん、いったい私たちに・・・・」

「そうですよね、刑事にいきなり家に来られても、訳がわからないですよね」
テーブルにお茶を置く志織にちらりと視線を投げながら、武本はそう言った。

彼の笑顔で、その場の雰囲気は少しばかり緩んだものになった。志織が久雄の隣に座り、武本のことを見つめる。その刑事は、お茶を一口飲むと、持参した手提げカバンに手を伸ばした。どうやら話の準備ができたと判断したようだった。

「まあ話せば少し長くなるんですが・・・・」
「・・・・・」

「結論を初めに申し上げますと、ある人物を逮捕することに関し、お二人にご協力いただきたいんです」

「えっ?」
武本の言っていることが理解できないように、久雄が声をあげる。

「その男を我々はずっと追っていましてね。ただ、なかなかずる賢い人間で、逮捕にこぎつけられるような証拠を残さないやつなんです」

久雄は、武本の言葉を黙って聞いている。志織もまた、言葉を発することなく、夫の隣で肢体を緊張で硬くしていた。しかし、彼女の心の戸惑いは、夫のそれとは少しばかり違っていた。

志織には、何となく想像できるような気がした。この刑事がなぜ私の元を訪ねてきたのか・・・・。

「いったいどんな犯罪に関係ある男なんでしょうか」
久雄のその質問に、武本はもっともだというような様子でうなずいた。

「こんなことを申し上げると、少しばかり驚かせてしまうことになるかもしれませんが、まあ、ご協力を要請している身ですからしょうがないですなあ・・・・」

武本はゆっくりとした調子でそう言いながら、久雄のほうを見つめ、そして志織に視線を投げた。志織は彼に、動揺を見抜かれている気がした。

「女性への暴行、それから不正薬物所持の疑いです」

室内にしばらくの沈黙が訪れる。それは、家族が平和に暮らす空間には、最も似つかわしくない言葉と言えた。

「あくまでも疑いの段階なんです。限りなくクロに近いんですが、決定的な証拠がない。被害者と思われる女性も何人かいるのですが、どういうわけか、最後の最後で被害届けを取り下げてしまう」

沈黙する夫婦の前で、刑事は一人、熱弁をふるった。それは、二人への説明というよりも、行き詰っている捜査に対しての憤りを、自らに言い聞かせているようだった。

「それならば放っておけばいいんじゃないかという声も署内には確かにあります。しかし、その男の行動は少しずつエスカレートしているようでしてね」
「・・・・・」

「まあ、私の個人的な勘なんですが、いまのうちに拘束したほうがいいんじゃないかと、こう考えているわけです」

そこまで話を終えると、武本は目の前の湯呑みに手を伸ばし、遠慮ない様子でお茶をすすった。その音に促されるように、久雄が沈黙を破り、刑事に質問を投げた。

「ちょっと待ってください、刑事さん、お話はよくわかりますけど、ただ・・・・」
「それがいったい私たちと何の関係があるのかと?」

「え、ええ・・・・」
自分の疑問を代弁するかのような刑事の言葉に、久雄は素直にうなずいた。武本は再び志織の顔を見つめ、核心に触れ始める。

「理由はあるんです、ご主人」
「どんな理由でしょうか?・・・・・・」

「その男が今ターゲットにしているのが、どうやら奥様のようなんです」
「えっ?」

驚きの声をあげる久雄の隣で、志織は激しく動揺していた。肌が汗ばみ、動悸が高鳴るのを感じながら、彼女は刑事の話をそれ以上聞く勇気がなかった。

「恐らく、奥様はその男を知っているはずです」
志織の戸惑いを無視するように、武本は更にその人妻を追い込んでいく。

「志織、何か心当たりがあるのか?」
そんな犯罪者と自分の妻に接点などあるはずはない。強い調子で発せられた久雄の言葉には、そんな願いが込められているようだった。

待って・・・・、ねえ、ちょっと待って・・・・・

心の中で、志織は虚しくそう叫んでいた。刑事と夫に、自らの淫らな姿をさらけ出してしまうような気がして、志織はすぐに答えることができなかった。

「こんな風に言われても、奥様には何のことだかわからないかもしれませんけどね」
志織を救うような様子でそう言いながら、刑事はかばんに手を伸ばし、そこから1枚の紙片を取り出す。

「奥さん、この男を知ってますよね?」

志織の前に、1枚のカラー写真が置かれる。そこには、どこかの登山道の入口に立っている赤木の姿が、鮮明に写し出されていた。



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