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脅迫(32)

2010 03 18
「いや、申し訳ないです、こんなご馳走までご用意いただいて・・・・」
テーブルに並べられた皿を見つめ、赤木が恐縮した様子でそう漏らした。

「妻の命を救っていただいたんですから当然ですよ。さあ、どうぞご遠慮なさらずに」
彼の斜め前の椅子に座った久雄が、リラックスした口調で答えた。缶ビールを赤木に示し、差し出されたグラスに注ぐ。

既に食事の準備はほとんど終わっていたのだが、志織は依然忙しい振りをしながら、赤木の姿をどこか恐れるように、キッチンからそっと見つめた。

約束の土曜日、夕方6時きっかりに彼は現れた。以前、インターホンのモニター画面で確認したのとは違う、ダークグレーのスーツを隙なく着こなしていた。

奈津美は、既に志織の母親のもとに預けてある。不在の娘の代わりとでも言うように、久雄と志織のそばには、別の人間の影がある。近所の路地に停まる車に刑事が身を潜めているとは、赤木も思ってはいないはずだ。

「ご主人、1台だけですが、設置完了しましたから」
その日の正午過ぎにやってきた武本は、リビングダイニングの全体を捉えられる位置に、極少のビデオカメラを設置した。

新婚旅行で二人が訪れたバリで購入した民芸品が壁にかけられている。ウブド村、野性のサルが多く生息しているエリアそばで見つけた、奇妙な形状のお面だ。

武本は、部下に対し、そのマスクの内部にカメラを設置するよう指示した。志織は刑事の巧妙さに、密かに舌を巻いた。そこにまさかカメラが隠されているなんて、注意深く観察してもわからない。

「ここからの画像を私がチェックするんですね?」
そう尋ねる久雄に対し、武本は少々自慢げな視線を投げる。

「ええ。ご主人はそうですね、2階の寝室にでも待機いただきましょうか」
「2階、ですか?」

「そこに映像が確認できる機器をセットします。それをチェックしながら、随時私に状況を報告いただけますか? 連絡用の無線機もお渡しします」

「わかりました。しかし、私は、あの男にどこまでの行為を許せばいいんでしょう?」
夫が発した疑問は、志織がこの日の朝から、ずっと懸念していることでもあった。

「奥様を襲う意志が少しでも見えたら教えてください。すぐに踏み込みますよ」
「・・・・・」

「この映像には録画機能もあります。少しでもあの男が奥様に手を出せば、十分な証拠となりますよ。ですから早めにご連絡いただいて結構です」

「なるほど、それを聞いて少し安心しました・・・・」
妻に降りかかる危険を回避できそうなことを知った久雄が、安堵の声を漏らす。

志織も、武本の説明を聞き、胸をそっと撫で下ろしていた。夫の連絡で、警察がすぐに飛び込んでくるのであれば、何も恐れることはない。

「刑事さん、どうぞよろしくお願いします・・・・」
志織の言葉に穏やかな笑みを浮かべながら、武本はこの家を去った。

今、台所で故意にゆっくりと料理を用意しながら、その刑事のことを思い出すように、カメラが仕掛けられた壁にかかるお面を、志織はちらりと見つめた。

「志織、早くこちらに来なさい。赤木さんをおもてなししなきゃ駄目だろう」
「え、ええ、今行くわ」

久雄の言葉に少し戸惑いながらも、志織はトレイに何皿かを載せ、テーブルに運んだ。そして、軽く会釈をしながら、赤木の正面の椅子に座った。

「じゃあ赤木さん、妻も揃ったところで、改めて乾杯しましょうか?」
久雄の声とともに、3人はビールが注がれたグラスを合わせる。

「奥さん、何だか申し訳なかったです、お気遣いさせてしまって」
「い、いえ、本当に簡単な食事なんです・・・・」

そう答える志織の体奥で、様々な情念が渦巻いている。ナイフを片手に、涼介とのセックスを強要した彼の姿が、依然脳裏に焼きついている。

奥さん、やっぱりいやらしい方だ、あなたは・・・・

赤木の科白を、志織ははっきり思い出すことができた。あれは夢なんかじゃない。私は、この男に不法な薬物を飲まされ、幻想の中に誘い込まれたのだ。そして、自覚することなく、私は陵辱された・・・・。

山小屋での行為に飽き足らないように、彼は、メールで自慰行為への誘惑を送信してきた。そして今、私の目の前に座っている・・・・。

赤木さん、これはあなたにとって罠なのよ・・・・

志織は、虚勢を張るかのように、心の中でそうつぶやいた。あなたの勝手な振る舞いは、今夜で終わりを告げるのだ。それを知らずにこんなところに来るなんて。

「さあ、赤木さん、どうぞ、遠慮なさらずにお飲みになってください」
志織は、何か吹っ切れた様子で、赤木のことを初めてちゃんと見つめた。

「いや、これは奥さん、申し訳ないです・・・・」
志織の差し出したビールを、赤木は素直に受け取った。暴行や薬物使用を疑われている男とはとても思えないほどに、彼は礼儀正しい会社員を演じている。

登山の話題を久雄と進めながら、赤木は次第にその場に馴染んできたように食事を楽しんだ。時折、志織の姿をどこか眩しそうに見つめてくる。

来客をもてなすという姿勢に徹するためにも、志織はきちんとした服装に身を包んでいた。水色のジャケットはノーカラーで、薄いツイード地のものだ。揃いの膝丈のスカートを身につけた人妻の姿には、凛とした空気が漂っている。

ジャケットの襟元や胸のポケットには、ホワイトレースが施されていた。シンプルだが、どこか上品なその服が、志織は会社勤めの頃から好きだった。

楽しげに会話を交わす二人の傍らで、志織はホステス役に徹した。空いた皿を片付け、料理を随時運び、そしてグラスにビールを注ぐ。

しかし、彼女の緊張が緩むことはなかった。少しずつ、その時間が近づいていることを、志織は感じていた。

「赤木さん、申し訳ないんですが、私はこの辺りで・・・・」
「本当に無理なんですか、ご主人?」
「ええ、こんなときに限って急な仕事が入りましてね・・・・」

久雄が会社の都合で、途中で席を外すことは、既に赤木に説明してある。その芝居を忘れることなく立ち上がった久雄に、彼は少し戸惑った表情を浮かべた。

「志織、あとは任せるから。赤木さんにお付き合いしなさい」
「ええ、わかってます・・・・」

非礼を詫びる言葉を赤木に何度も重ね、久雄は部屋から出て行った。そしてしばらくの後、玄関から彼が出て行く音が、ダイニングの二人の耳に届いた。

あなた・・・・

久雄は、リビングとは反対側にある和室の窓から家の中に戻り、2階に向かうことになっている。それは、食事を進める赤木には、まず察知されないはずだ。

それがわかっていながら、志織は濃厚な不安が押し寄せてくるのを感じていた。

「奥さん、さあ、もう少し飲みませんか?」
二人きりのテーブル。赤木に見つめられた志織は、言われるがままに空のグラスを彼に差し出す。



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