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嘘のしずく(1)

2010 05 01
「風間君、もういいよ、この辺りで」
「いえ、最後までお見送りさせていただきます、専務」

ビジネスクラスカウンターでのチェックインを終えた尾畑専務に対し、私は最後まで気を緩めることがないよう自戒しながら、そう答えた。

機内持ち込み用の専務の小型スーツケースを引き、ゆっくりと出国カウンターのほうへと向かう。午後10時少し前である。

東南アジアのとある国際空港の出発ターミナル内。多くの旅行客そして送迎者で賑わうその風景は、私にはもうすっかり見慣れたものだった。

「今出発して日本着は早朝だな、風間君?」
「ええ。気流によっては少し早く到着することもあるみたいです」

「そうか。まあビジネス客には便利だな、この時間のフライトは」
専務の満足げな口ぶりに、私はどうやら今回のお役目が何とか無事に果たせそうなことを確信した。

出国カウンターへの入口付近に、パスポートチェックする警備員が立っている。そこまで来ると、尾畑専務は私からかばんを受け取り、そして笑顔を浮かべた。

「元気そうで安心したよ、風間君。これからもしっかり頼むぞ」
「はい。専務、ご出張お疲れ様でございました」

「いろいろありがとう。じゃあ、体にだけは気をつけろよ」
パスポートを提示し、専務は出国者だけが許可されたエリアへと歩を進めていく。そして、ふと思い出したように振り向くと、私にこう叫んだ。

「奥さんを大切にするんだぞ、風間君!」
その言葉に、私は何も答えることなく、僅かにこわばった笑みを浮かべて頭を下げることしかできなかった。

出国カウンターを無事に通過した専務が、今一度こちらを振り返り、笑顔で手を振る。そして、足取り軽く、ショップが並ぶエリアへとその姿を消していった。

ふう、やっと終わったか・・・・・

しばらくの間、ゲートの向こう側の風景を見つめた後、私はネクタイに手を伸ばし、それを緩めた。1週間以上も前から包み込んでた緊張が一気に解けるのがわかる。

この国への出張者が多いとはいえ、役員クラスが単独で来ることは年に数回だ。駐在員が私だけということもあり、そのアテンドはかなり気を使う業務といえた。

滞在自体は2泊という短い日程だが、必要なミーティングの設定、ホテル、食事のアレンジ、そして観光手配など、準備は随分前から行う必要がある。

ともかく、そんな専務の出張が何とか無事に終わったのだ。私は、専務以上に軽い足取りで、タクシー乗り場へと向かった。

腕時計を覗く。まだ時間的に十分余裕があることを確認しつつ、少し迷った後、私は携帯を手にした。一応、連絡は入れておくか。呼び出し音を聞きながら、自分にそう言い聞かせてみる。

「もしもし?」
何度かのコールの後、妻、晃子の声が耳に届いた。どこか疲れた様子に聞こえたが、それはもう、珍しいことではなかった。

「ああ、俺だよ。今、専務を見送ったところだ」
「そう・・・・」

「これからオフィスに戻って少しメールチェックしてから帰る。12時過ぎになるかもしれないから、また先に寝てていいよ」
「そう、わかったわ・・・・」

妻との短い会話を終える頃には、私はタクシー乗り場の行列の先頭にいた。係員に指示をされた車に素早く乗り込み、行き先を告げる。

「○○○、プリーズ・・・・」
「オッケー・・・・」

現地訛りの英語でそう答える運転手は、中国系の若い男だった。私が口にした目的地を聞き、どこかおかしそうな笑みを浮かべている。私は何か話したそうな彼を無視するように、後部座席で静かに目を閉じた。

別れ際に専務が口にした言葉が脳裏に蘇る。本社の役員としては、駐在員のみならず、その帯同家族の様子にも配慮することは当然といえる。

専務の滞在中、妻のことを聞かれた私は、特に問題はない旨を説明した。この国の暮らしにも晃子はすっかり慣れ、体調も崩すことなく元気に過ごしているのだ。

しかし、専務へのその報告にささやかな嘘が含まれていることを、私は勿論自覚していた。嘘というよりも、隠し事と言ったほうがいいだろうか。

家族に何か問題があれば、予定された赴任期間満了前に帰国を命じられる可能性がある。私は、どこかでそんな事態が自分に降りかかることを恐れていた。

いや、そんな大げさなことじゃないだろう・・・・、夫婦間の問題を別に専務に報告する必要なんてないさ・・・・

閉じていた目を開け、車外の風景を見つめる。快適すぎるほどに整備された高速道路を、タクシーは順調に飛ばしていた。

空港から15分ほど高速を走った後、タクシーは一般道へと入っていった。やがて目指すべきエリアに近づいてくる。道路沿いに並んだレストランで遅い夕食をとるローカルの人間達が目に入ってくる。

運転手にこの辺りでいいことを告げ、私は料金メーターを見た。日本円で500円弱。相変わらずこの国のタクシーは安い。

車を降りた私を、ドリアン特有の強烈な香りが襲う。路上に並んだテーブルで、地元ビールをにぎやかに飲んでいる連中を横目に、私はずんずんと歩いていった。

晃子は既にベッドにいるのだろうか。最近では帰りが遅い私を待つことなく、先に寝ることが多い妻のことを思いながら、私は一本の細い路地の入口に立った。

レストランが集まっているエリアと比較すると少しばかり暗い。だが、人通りはそれなりにある。ゆっくりと歩きながら、私は立ち並ぶ建物を一軒一軒チェックし始めた。

「ハロー!!」
巨大な水槽のようなショーウィンドーの中、数人の女性たちが並んで座っている。私の顔を見るなり、笑顔で手を振り、そう声をかけてくる。

どの女性も若く、抜群のプロポーションをしていた。その体型を強調するかのようなきわどいデザインのドレスには、番号札がつけられている。

素早く彼女達のルックスを確認した私は、はやる気持ちを抑えながらそこを立ち去ると、隣の建物の中に入っていった。別の女性たちの品定めをするために。

何軒も歩き回るうちに、正常な感覚が麻痺してくるのがわかる。普段の自分ではなく、どこか野生的で、獣のような別の自分が、体奥で荒々しく爪を研ぎ始めるのだ。

既にスーツの下のペニスは硬くなっている。それは、目の前にいる売春婦の誰かを激しく欲していた。自宅にいる妻、晃子の体ではなく・・・・・。

専務の出張対応から解放された自分に、俺はこんな形で褒美を与えようとしているのだ。いったい、いつから俺はこんな風になってしまったんだろうか・・・・。

駐在して2年、妻との関係は少しずつ微妙なものになっていた。私は自分達夫婦に今後どんな将来が待ち受けているのか、漠然とした不安を感じていた。

そのとき私が抱いた不安は、決して間違いではなかった。それから数ヶ月の間に、私と妻は思いもよらぬ激流に飲み込まれていくことになるのだから。



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