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嘘のしずく(10)

2010 05 01
なつみが私に電話をくれたのは月曜日の午後だった。

土曜の夜から日曜の朝。あの濃厚な時間が過ぎた後、中川は買い込んだ生鮮食材と共にインドへ帰った。私は週末の記憶を引きずったまま、月曜日を迎えていた。

その日の午前、恒例のスタッフミーティングに参加した私は、会議室で資料を眺めながらも、何度もあの人妻のことを思い出していた。

布団の中で触れたなつみの見事な裸体を忘れることができない。指先で味わった濡れた美肉、そして我慢できないように漏らした彼女の喘ぎ声。

あんっ、あんっ、というなつみの嬌声の記憶は、彼女が大場に抱かれたという事実に私を導いていく。

沈黙の中で酒を飲みながら、中川と私はあの声を確かに聞いた。廊下の奥の寝室で、なつみはいったい大場にどんな風に抱かれてしまったのだろうか。

親友に気を使うかのように、中川は大場の自宅を静かに去った。私もまた、それに続いた。あの後、大場となつみは、どれほどの時間、共に過ごしたのだろう。

月曜のオフィスで、私は依然としてあの人妻のことばかり考えていた。まさにそんな頃だった。その電話がかかってきたのは。

「風間さん、なつみです・・・・」
その声を聞いた私は、携帯を握りながら慌ててオフィスの外に出た。

「なつみちゃん・・・・、俺の携帯の番号、よくわかったね・・・・」
エレベーターホールの柱に隠れるようにもたれながら、私はそう訊いた。だがすぐに、その質問への答えが浮かんだ。

ワインバーで私は名刺を渡していた。名刺には会社名は勿論、私個人の携帯の番号も印刷されているのだ。

「そっか、名刺を渡したんだっけ?」
「あ、あの・・・・、電話しちゃまずかったですか?」

私の動揺を察したかのように、なつみが少し抑えたトーンで訊いてくる。私は、今日の朝からずっと彼女のことを考えていた自分を、改めて思い出す。

「まさか、全然問題ないよ・・・・・」
「よかった・・・・、もう、びっくりしちゃいましたよ、この前・・・・・」

「えっ?」
「だって、部屋から出てきたら風間さんたちもう帰ってたじゃないですか」

「あ、ああ、そうだね・・・・」
なつみの明るい口調には、大場との秘め事を匂わす雰囲気は全く存在しなかった。私は、あの寝室で何をされたのか、その人妻に聞くことができなかった。

「私、風間さんともう少しお話したかったのに・・・・」
寂しそうでありながら、どこか私をからかうようななつみの声に、私は少し吹っ切れた気分になる。

「じゃ、また近いうちに食事でも行こうか?」
こちらに住む日本人の女性を食事に誘うことなど、私にはあまり経験がなかった。その人妻は、私の大胆さを巧みに引き出そうとしているかのようだった。

明らかに、彼女は私を誘っているのだ。私はそう確信していた。だが、なつみの答えは私の期待を少しばかり裏切るものだった。

「でも・・・・、風間さん、奥様いらっしゃるじゃないですか・・・・」
彼女の意外な言葉に、私はすぐに返事をすることができない。

私が大場の家を出て帰宅したのは、日曜の明け方だった。妻、晃子は既に熟睡していて、目が覚めた後も、私の行動を詮索するようなことはなかった。

どういうわけか、私たち夫婦の間には、確かな溝が存在するようになってしまったのだ。しかし、それを素直になつみに告白するわけにはいかなかった。

「そりゃそうだけど・・・・、でも食事くらい構わないよ」
妻との微妙な関係を説明することもなく、私は軽い口調でそう言った。

「そうですね・・・・、でも、しばらくは私のほうが無理かも・・・・」
彼女が何を言わんとしているのか、私にはすぐにわかった。

「ご主人が戻ってくるのかな?」
「そうなんです。明日出張から帰ってくるんですけど、次の出張の予定がまだわからないみたいで・・・・」

「ご主人がいれば夜出歩くわけにもいかないなあ」
「ええ、さすがに無理です」

なつみは少しおかしそうに笑いながら、そう言った。その夫は、出張から戻ればなつみのことを抱こうとするのだろうか。理由もなく、私はそんなことを考えた。

「ちゃんとご主人と仲良くしなきゃ駄目だよ、なつみちゃん」
「えっ~、無理ですよ~、そんなの・・・・」

そんな風に否定しながらも、しかし、その人妻の声にはどこか照れたようなトーンも混ざっていた。私はなつみの夫への強烈な嫉妬を感じていた。

「風間さん、私の都合がよくなったらまた電話してもいいですか?」
「勿論。待ってるよ」

会話を終えようとしたそのとき、なつみがもう1つの質問を投げかけてきた。それは、私を少しばかり驚かせるものだった。

「風間さん、ところでどこのコンドにお住まいですか?」
「えっ?・・・・、何、突然?・・・・・」

「実は今朝、私のコンドの下で風間さんによく似た人を見かけたんですよね」
楽しそうにそう言うなつみには、既にその答えがわかっているようだった。

「うそっ・・・・、まさか、なつみちゃん、○○○なの?」
私は自分の住んでいるコンドミニアムの名前を口にした。

「実はそうなんです。すごい偶然ですね・・・・・・」
なつみの指摘に、私はこの国の駐在員社会の狭さを改めて感じていた。

数万人規模の在留邦人がいるが、人気のコンドミニアムは限られている。私の住むコンドミニアムは、立地条件、設備、治安などからトップ3に入る人気物件だった。複数の棟に住む日本人が、全部で何人いるのか見当もつかない。

どうやらなつみと私は、同じコンドミニアムの異なる棟に住んでいるようだ。ささやかな驚きに包まれたまま、私は彼女との短い会話を終えた。

なつみがすぐそばに住んでいる。その事実は、私に複雑な感情を抱かせた。それからの日々は、私にとって期待と緊張の入り混じったものとなった。

だが、すぐに何かが起こることはなかった。刺激的な出来事とは無縁のまま、瞬く間に数週間が過ぎ去っていった。

なつみからの連絡は一切なく、自宅付近で遭遇することもない。彼女への強い想いを引きずったまま、私は妻に隠れ、何度も自慰行為を繰り返すしかなかった。

自分が間もなく激しい渦に飲み込まれることになるという予感は、その頃の私にはまるでなかった。



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