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波涛の彼方(4)

2010 07 01
「城崎さん! 城崎さん、さあ、早くこちらへ!」
松木島の唯一の外界との接点ともいえるその寂れた港に降り立った隆夫と朋子に、声をかけてくる男がいた。

他の乗客たちはいつの間にか姿を消している。迎えの車でも来ていたのだろうか。

バスなどの公共交通機関がこの島にないことを、朋子は既に知っていた。到着後、港からどう移動するのか、隆夫から聞かされてはいない。

完全に夜の闇に包まれた空から、大粒の雨が降り落ちてくる。3月の終わりであり、まだ十分に肌寒さが感じられた。

隆夫の背中を見つめながら、朋子は服を濡らし、不安を募らせる一方だった。そこに聞こえたのが、男の声だった。

「城崎さん! さあ、早く!」
雨がっぱに身を包んだその男は、隆夫と同年代のように見えた。誠実そうな表情に、銀縁のメガネがよく似合っている。

「椎名さんですね?」
隆夫は、その男の存在をある程度予想していたかのようにそう言った。

「そうです。椎名です。挨拶は後にして、さあ、早く車に乗ってください」
誘導されるがまま、隆夫は助手席に乗り込んだ。笑顔を浮かべた男に軽く会釈をし、朋子も後部座席に飛び込んだ。

運転席に座った男は、すぐに車を動かした。やや古い様式の白い小型車だった。

「大丈夫ですか、濡れてませんか?」
ハンドルを駆り始めた男が、隆夫と朋子にタオルを差し出した。

「いえ、それほど濡れてませんよ」
落ち着いた声で答えを返す隆夫を、運転席の男が改めて見つめた。

「初対面がこんな形だと、まあ、後々の記憶に残りますな」
「はじめまして、城崎です。準備に際してはいろいろとお世話になって」

「いや、こちらからお願いしたことですから。城崎さん、ようこそいらしてくださいました。学校全体で、先生の到着を待ち焦がれてましたよ」

男の言葉から、朋子は彼が高校の関係者らしいことを察した。妻の想像を補足するように、隆夫が朋子に説明を与える。

「朋子、こちらは椎名さん。今度働く高校で教頭を務めてらっしゃる方だ」
「まあ・・・・、恐縮です、こんな雨の中お迎えにいらしていただいて・・・・・」

「奥様、気になさることはないですよ。狭い島ですから、なんてことはないんです」
海岸線沿いの道に車を走らせながら、椎名は朋子に答えた。最初の印象どおり、その声には優しげな彼の性格が滲んでいた。

「お二人とも勿論初めてですか、この島は?」
隆夫と朋子は揃って頷いた。椎名も当然、その答えを予想していたようだ。

「ここは東京とは別世界ですから、まあ、最初は苦労されるかもしれませんが・・・・。なあに、すぐ慣れると思いますよ」

「あの・・・・・、椎名さんはずっとこちらの島に?」
到着直後に感じた不安感が多少消え去っていくことを感じつつ、朋子は椎名にそう訊いてみた。

「ええ。生まれてからずっと。43年間、この島にいるんですよ」
自嘲気味にそう話す椎名は、さりげなく自らの年齢を教えてくれた。彼が隆夫と同い年であることに、朋子は少し驚いた。

「奥様はずっと東京ですか?」
「え、ええ、そうなんです。東京以外の場所で住んだことがなくて・・・・・」

「東京ですか・・・・・。まあ、この島は時代に取り残されたようなところもありましてね、東京の人、なんて聞いたら、皆、それだけで尻込みしちゃいますよ」
「やはり、皆さん、この島で生まれ育った方なんでしょうか・・・・・」

「そうですね。ほとんどが島で生まれた人間ですかねえ」
朋子と椎名の会話を、隆夫はいつもの様にただ黙って聞いていた。

狭い島という彼の説明に反するように、車は走り続けた。海岸線と別れを告げ、内陸部へ入る。周囲には山肌が迫っているようだが、暗くてよくわからない。

くねくねと曲がる狭い道に、対向車はほとんどなかった。降りしきる雨の中、20分程度走った車は、ようやく人家が点在する集落に入ってきた。

「城崎さん、すぐそこですよ」
やがて、車はある垣根の前で停車した。よく見ると、その向こう側に平屋建ての一軒家が建っている。

住居は、前任者の家を引き継ぐと、朋子は隆夫に聞かされていた。夫の学生時代の友人だというその彼は、既に高校での勤務を終え、この島にはいない。

「ここがご自宅になる家ですよ」
椎名の案内で、隆夫と朋子は雨を避けるように足早に家の中に駆け込んだ。

古い日本家屋だった。だが、傷んでいる様子はない。十分にメンテナンスをされていることを示すように、畳のよい香りが朋子を迎えてくれた。

台所、浴室、トイレなどは、想像以上に新しい設備だった。平屋だが、部屋の数はいくつかあるようだ。夫婦で暮らすには問題ない広さだった。

「畳の部屋ばかりですが、よろしいですかね、奥様?」
「ええ、全く問題ありません。住みやすそうな家ですね」
「前任の方もご夫婦で3年ほど過ごされましたが、満足されてましたよ」

一通りの家の説明を終えると、椎名は明日以降の打ち合わせを隆夫と済ませ、足早にそこを去った。彼は、夕食代わりの弁当を台所に用意しておいてくれた。

「疲れただろう、朋子」
「大丈夫です。あなたのほうこそ、お疲れになったんじゃ・・・・」
「僕は平気だよ」

先に送ってあった家財道具は既に到着している。二人は手早く夕食を済ませ、順番に風呂に入った。ふと気づけば、既に午後10時近くになっていた。

「今日はもうお休みになりますか?」
「ああ。そうしようか」

寝室となるであろう部屋に朋子は布団を敷いた。部屋のふすまを隔てて狭い廊下がある。更にその向こうに古いタイプのガラス戸があり、庭に面しているようだった。

雨の勢いは激しさを増していた。たたきつけるような激しい雨音を聞きながら、朋子はその島での初めての夜を迎えた。

隣で横になる隆夫の腕が朋子の肢体に伸びてきたのは、部屋の灯りを消してすぐだった。



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