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波涛の彼方(7)

2010 07 01
島での生活が2週間を経過する頃になっても、朋子はまだそこに溶け込めない自分を感じていた。

潮の香りが濃く漂う空気は、どこまでも新鮮だ。豊富に生い茂る木々は、東京にはない大自然を朋子に教えてくれるものだった。

だが、朋子は何か怖いような気分から抜け出すことができなかった。自分の知らない何かが、森の奥でうごめいているような、そんな漠然とした恐怖感だ。

或いは、自分がこの島に受け入れてもらえないという危惧と表現することもできた。東京以外の場所で初めて暮らすという事実が、朋子の重荷になっていた。

彼女の自宅の周辺には、10世帯ほどの家が1つの集落を形成していた。しかし、互いの家は隣接しているわけではない。

最も近くても10メートル程度は離れていた。ちょっとした林や畑の広がるエリアに、家々がぽつぽつと点在しているという形容がふさわしい。

到着した翌日、朋子は隆夫と一緒に、その家々に挨拶にまわった。朋子と同年代の女性は、周辺の家に多くはなかった。ほとんどが高齢の住民で、子供や孫達は既に島を出て行ったようだった。

誰もが、朋子たちのことを奇異な目で見つめた。こんな島に東京から来るなんて、とあからさまに驚く人間さえいた。

島内には、同じような集落がいくつか存在していた。最大規模、といっても東京の街並みとはとても比較にならないほどの寂しいエリアだが、そこに町役場、郵便局、病院などの施設が揃っている。

隆夫の勤務する私立高校もそこに程近い場所にあった。4月になり、彼は予定通りその高校へ教師として通い始めた。

勤務先である高校に関して、隆夫が朋子に多くを語ることはなかった。元々、夫は仕事のことを妻に対して細かく言うほうではなかった。

以前から無口な夫なのだ。朋子はそんな風に自分を納得させながらも、夫だけが1人、新生活に溶け込んでいっているような気がして、どこかうらやましかった。

島で動くには車が必須である。幸いなことに、高校側から隆夫、朋子にそれぞれ車が安価で提供された。古い中古車だったが、朋子に不満はなかった。

駄目ね、家に引きこもるような生活をしてちゃ・・・・・・

とりあえず生活のペースに慣れてきた頃、朋子は積極的に外出しようと考え始めていた。別に行く宛はないのだが、とにかくこの島をもっと知りたかったのだ。

ある日、彼女は島内に唯一存在する小さなスーパーでの買い物を済ませ、自宅とは逆方向の海岸線へと車を走らせた。

夏は海水浴場として地元住民の憩いの場となる場所だ。想像以上に狭い浜だったが、朋子は道路わきの空き地に車を停め、1人、降り立った。

よく晴れた午後だった。さすがにまだ夏を思わせるほどではないが、東京のそれよりは明らかに強烈な日差しが、朋子に照りつけてくる。

周囲には誰もいない。打ち寄せる波の音だけが響く浜辺を、朋子はゆっくりと歩いた。長袖のシャツの下が、うっすらと汗ばんでくるほどの晴天だ。

ああ、いい天気だわ・・・・・・・

島に来て、こんな解放感に浸るのは初めてのような気がした。浜の奥のコンクリートに座り、朋子はしばらく碧く光る海を見つめた。

砂浜を小さなカニが早足で行き交っている。のどかな光景に久しぶりに癒されたかのように、朋子は緊張を解き、笑みを浮かべてみた。

そんな自分を見つめている人間がいることに、朋子は気づいていない。

「奥さん、こんにちは」
突然聞こえた男の声に、朋子は驚いて振り返った。

「こんなところで1人バカンスですか?」
「い、いえ・・・・・・・」

「いいですか、私もご一緒させてもらって」
男は朋子のすぐ隣のスペースに、遠慮することなく座った。

黒いTシャツには、汚れが染み付いている。ジーンズはもう何年もはき続けているかのようにくたびれていた。そのポケットから、彼はハイライトを取り出した。

「やっと見つけましたよ、奥さん・・・・・・」
男は肺に送り込んだ煙をうまそうに吐き出しながら、隣に座る朋子の肢体をじっと見つめた。



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