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波涛の彼方(8)

2010 07 01
「あの男、どうやら職には就いていないようだな」
「えっ?」
「両親の金を使いながら、家で毎日ふらふらしてるだけなんだろう」

朋子は、近隣の住民へ挨拶にまわった日の夜、隆夫が口にした言葉を思い出していた。夫の科白には、妻への警鐘が込められていた。

何軒目かの家で、二人はその男に会った。東京から来たという挨拶に、彼はどこか見下したような冷たい視線で応えたものだ。

あの男にはあまり関わらないほうがいい。そんなメッセージを、朋子は夫の言葉から確かに受け取ったつもりだった。

その男が今、朋子のすぐ隣に座っている。

「確か、村岡さん・・・・・・・」
「これは嬉しいなあ、奥さんに名前を覚えてもらえてるなんて」

村岡という名の男は、馴れ馴れしい様子でそう笑いながら、朋子のことを見つめた。触れてしまいそうなほどの距離に座る男から、朋子は思わず少し離れた。

「別に逃げなくてもいいじゃないですか」
立ち上がろうとした朋子の気配を察した村岡は、先回りをするようにそう制した。島の人間に抵抗する勇気は、朋子にはまだなかった。

「奥さん、初めてですか、この浜に来るのは」
「え、ええ・・・・・・・」

「いいご身分ですな。平日の昼間に1人でこんな場所に・・・・・」
「別に・・・・・・、ただこの島のことを少し見てみたいと思っただけです・・・・・」

朋子は話しながらさりげなく周囲の様子をうかがった。できることなら、誰か他の人間に早くこの浜辺に来て欲しかった。

「奥さん、平日のこんな時間にここに来るやつなんて、いやしませんよ」
村岡のその言葉は、島の慣習を知らない朋子を非難するように聞こえた。

頭上に広がる青空と眼前の碧い海は、1人でいたときと全く同じだった。それが、なおさら今の自分を追い詰めてくるように、朋子は感じていた。

「奥さん、確か、東京から来たって言ってましたねえ」
「は、はい・・・・・・・」

しばらくの沈黙の後に男が発した質問に、朋子は素直に答えるしかなかった。彼に試されているような気がして、朋子は鼓動をかすかに早めた。

「ご主人も同じですか? この島は初めてなんですか、ご主人も?」
「ええ、そうです・・・・・・、二人ともここには初めて来ました・・・・・・」

「そうか、ご主人も初めて、ですか・・・・・・」
村岡はそうつぶやきながら、吐き出す煙を嫌うように目を細め、海を黙って見つめた。

隆夫と同じくらいの年齢だろうか。最初の印象以上に大柄で、よく日に焼けた肌を持つ男だった。彼が何を言おうとしているのか、朋子には想像もできなかった。

「あ、あの・・・・・・・」
「何ですか、奥さん?」
「村岡さんは、この島でお生まれになったんですか?」

沈黙に耐えられないかのように、苦し紛れに発してしまったその質問を、朋子はすぐに悔やんだ。村岡は、少し笑みを浮かべながら、再び朋子を見つめた。

「ええ、生まれたときからずっとこの島にいるんですよ、私は」
自分の科白に刺激されるかのように、彼の視線がかすかに変化した。それは、挨拶に訪れたときと同じ、朋子を見下したような視線だった。

「奥さん、私は東京の人間が嫌いでしてね」
「・・・・・・」
「こんな風に働きもせず、私が何で昼間からふらふらしてるかわかりますか?」

やはり、あんな質問を口にするべきではなかった。激しくそれを悔やみながら、朋子は村岡の問いかけに答えることができなかった。

「働きたくても仕事がないんですよ、この島には」
「・・・・・・」
「全て東京のせいなんですよ。何でもかんでもあそこにばかり集中させやがって」

明らかに偏見に満ちた言葉だった。男の屈折した考えを聞き、朋子は少し怖くなった。彼の怒りの矛先が本当はどこに向いているのかわかるような気がしたのだ。

「そんなこと私に言われたって知らないって思ってるんでしょう、奥さん」
「い、いえ、そんなこと・・・・・・」

「私が憎いのは政治家なんかじゃない。東京を満喫している人間が憎いんですよ。地方のことなんて、明らかに上から見下ろしながら、満喫してる奴ら全てがね」

狂っている・・・・・。朋子は再びその場から立ち上がろうとした。しかし、男はそれを許さなかった。朋子の手首を強く掴んだのだ。

「離してっ・・・・・・、離してくださいっ・・・・・・・」
「逃げるんですか、奥さん」

「もう帰らないといけませんからっ・・・・・・」
「ふん、別に帰ってもやることなんかないはずだ。ご主人の帰りは遅いんでしょう?」

なぜこの男がそんな事実を知っているのか、朋子にはわからなかった。だが、彼のその言葉が、そこから逃走しようという朋子の意志に打撃を与えた。

掴んだ右手を少しずつ移動させ、村岡は朋子の左手を握り締めた。指を組み合わせるように深々と握り、彼は隣に座る人妻との距離を縮めた。

「こんな何もない島で、唯一の楽しみが何かわかりますか、奥さん?」
男の手のひらから嫌悪したくなるような汗が伝わってくる。何度も手を握られる度に、朋子は全身から力が抜けていくような気分に襲われた。

「動物みたいに暮らすしかないんですよ」
村岡のもう一方の手が、朋子の胸元に伸びてきた。



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