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終着駅(2)

2012 01 12
「あなたは久丘繁樹を夫として永遠に愛することを誓いますか?」

牧師が口にしたその妙に流暢な日本語が、京子の胸奥に蘇る。12年前の夏、マウイ島のリゾートホテルに隣接した教会での光景だ。

「誓います」

何の疑問を抱くこともなく、私はそう宣言した。そこにいた両親、親族、そして勿論、隣に立っていた新郎、繁樹にそう誓ったのだ。

26歳の私。手に届く先に存在するようにも思えるが、現実はそうではない。いくら体形に変化がないと言っても、あの頃の私は、もはや遠い彼方の世界に生きている。

自分自身が、まさかこんな場所に流れ着くなんて、あの頃の私は想像もしていなかった。何の照れもなく、輝かしく幸せな人生が自分には待っている。

私はただ、そう信じていた・・・・・・・。

既に娘の萌菜がお腹の中にはいた。しかし、そんなことは何の障害でもなかった。私と繁樹は、それほどに深く愛し合っていたはずだ。

家族ほど厄介なものはない。どこかでそんな科白を聞いた記憶がある。結婚なんて、先人達に言い古されてきたように、やはり人生の墓場なのか。

夫、そして1人娘への愛情だけを胸に抱き、京子は生きてきた。真っ直ぐで迷いようもない道が、いったいどこで私を翻弄し始めたのか。

今になって、子供の頃の悪癖が顔を覗かせる。

「京子ちゃんは頭がいいから、つい考えすぎちゃうんだよねえ」

担任の教師に、そんな言葉を何度もかけられた記憶がある。そんな一言が、生涯の傷跡を児童に与えることなど、教師に自覚はない。

だが、あの言葉は事実だ。私は今、考えすぎているのかもしれない。どこの家庭にだって起こり得る、至極平凡な出来事に、私は今、こだわりすぎているのだろうか。

同い年の繁樹とは、社内結婚だった。大学を卒業した京子は、一流と形容できる電機メーカーに就職し、同じ課に配属された繁樹と出会った。

互いに一目惚れだったはずだ。純愛を貫き、子供に恵まれ、結婚を決意した。あの頃の夫の姿を何度も思い出し、京子はそれを無理に振り払う。

最後に愛し合ったのはいつのことだろうか・・・・・・・。

2人の距離が広がり始めたきっかけを、京子は見つけ出すことができない。喧嘩をしたわけではない。2人はただ、互いの役割を懸命にこなしていたはずだ。

役割などという考え方が間違っていたのかもしれない。そこでは満たされない感情がたやすく育まれ、解放への欲望が互いに気づかぬうちに醸成されていく。

いや、私は満たされていた。繁樹に不満を抱いたことなど、一度だってない。彼だって同じ風に思っているはず。私はずっとそう思っていた。

それがいったいどこで・・・・・・・・。

「もしもし・・・・・・・・、あなた、京子さんでしょう?・・・・・・・・・・・・」

どこか馴れ馴れしい声が、電話の向こうから聞こえる。親しみの持てる声とは言えない。どこか棘を感じてしまうのは、やはり先入観がそうさせてしまうからか。

「ええ。久岡京子です。久岡繁樹の妻ですが」

彼方にかすむスカイツリーの像を見つめながら、京子ははっきりとした口調で答える。澄んだ夏空には、毎日のように続く夕立の気配はまだない。

しばらくの沈黙が電話口に漂う。何を言おうとしているのか迷っているのか。そんなことを想像しながら、京子はすぐに甘すぎる自分を軽蔑する。

違う・・・・・・、彼女は笑っているのだ・・・・・・・・・・

「ふふっ・・・・・・・・、あなたが奥さんなんだ・・・・・・・・・・・」

血流が一気に激しさを増すのを感じる。覚えたことのないような怒りを抱きながら、京子は再び外の景色を見つめる。大都会の景色に懸命に平静さを求めるように。

「繁樹さんの奥さんか・・・・・・・、ねえ、私、誰だかわかる?・・・・・・・・・・」

クールな口調が、明らかに世代が違うことを感じさせる。自分が20代だった頃の記憶に、私はさっきまで浸っていた。

波が繰り返し打ち寄せたマウイ島のあのビーチ。京子は確信する。あの頃の私は、少なくとも他人を傷つけるようなことはしなかったはずだと・・・・・・。

電話の向こうにいるこの女に対し、やりきれない嫌悪感が湧き出してくる。その感情は、しかし、京子を別の場所にいざなっていく。

繁樹がこの女と全裸で絡み合う姿を、京子は心に思い描く。


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Comment
ありがとうございます。
上質の文体に、上質の内容。いいですねー。次回更新、楽しみです。

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