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終着駅(7)

2012 01 31
2週間が経った。

繁樹の帰宅は、再び深夜を過ぎる時間帯に集中するようになった。妻の大胆な発言に、もはや頓着する様子も全くない。

あの女との逢瀬を重ねているのだ。京子はそれを感じ、夫もまた、己の浮気を隠そうともしなかった。修復はもう、不可能な状況だった。

あの夜、自分が口走ってしまったことについて、京子は何度も思いを重ねてきた。自分自身、いったい何をしたいのか、そのはっきりしたイメージさえ京子には描けていない。

にもかかわらず、「今度は自分が権利を行使する」という妙な決意は固まっていく一方だった。夫の勝手すぎる振る舞いが、京子をそうさせた。

京子は今、鏡の前に立っている。

身長164センチ。学生時代、特にスポーツの経験はない。昔から太らない体質で、38歳の今もスリムな肢体を維持している。

僻地とも形容できる片田舎から、大学入学時に上京してきた京子。38年間、自分自身が記してきた全ての足跡を確認するように、京子は鏡の中の自分を見つめる。

淡いクリーム色のブラ、そしてショーツしかその人妻の裸体を隠すものはない。

過去の人生で得たもの、そして失ったもの。そのどちらが多いのか。自らの人生を評価するかのように、京子は考えを巡らせ、そして答えを得る。

失ってしまったもののほうが、圧倒的に多いのではないだろうか。いや、こう言うべきかもしれない。手を伸ばせば届くはずなのに、自分がそうしなかったために得ることができなかったもの。

それをもう、私は二度と手にすることができないのだろうか。

下着に包まれた乳房のラインを、京子は見つめる。やや小ぶりではあるが、くっきりとした曲線を描いた美乳だ。無意識のうちに、京子はその膨らみに手のひらを重ねる。

優しく揉みしだくように、その手をそっと動かしてみる。京子はすぐに、笑ってしまう。

いったい何をしているの、私・・・・・・・・・

しかし、そんな照れた感情は、すぐに深刻なものに転化していく。こんな風に自分の肢体をじっくり見つめたことなんて、もう何年もなかったことに京子は気づく。

わき腹から腰、ヒップライン、そして両脚を慎重に観察する。太る体質ではなかったはずだが、しかし、過去の自分と比較すればそこに僅かな贅肉が存在することを京子は認めないわけにはいかない。

既に私は、男友達に称賛さえされたかつての美貌を失いつつあるのだ。自分をそこまで追い込んだものを胸に浮かべ、京子はその男を激しく憎む。

欲情など、とうの昔に私の体からは消え去っている。結婚前に感じたあの震えるような感覚。彼の手が僅かに素肌に触れただけで、熱いものが走り抜けた私の肢体。

繁樹に最後に愛された記憶を既に失ってしまうほど、それは遠い過去の行為だった。生涯で自分を抱いた唯一の男に、今、完全に捨て去られた事実を、京子は思い出す。

いったい誰にこの私の体を差し出そうというのか。自分がそんなつもりじゃないことぐらい、京子は理解しているつもりだ。私はただ今夜、自由に振舞ってみたいだけなのだ。

小花のラインストーンをあしらった銀色のネックレスで襟元を飾る。自分自身で以前に買ったものだ。そして、僅かなためらいの後、肩紐タイプのワンピースを身につける。

薄いベージュ色のそのスカートは、もう何年も着用していないものだった。そもそも最後にスカートで外出した日は、いったいいつのことだっただろう。

致命的なサイズの違いはなかった。問題なくそれを身につけ、剥き出しの両肩を、京子は華やかなデザインのストールで隠す。

そして京子は、薬指からそれをそっと外す。ためらいはなかった。ただそれだけの行為で、自分が何か、生まれ変わったかのような気がしてしまう。

いや、気のせいなんかじゃない。今夜だけ、私は過去の自分という服を脱ぎ捨てるのだ。果たして本心からそれを自分が望んでいるのか、しかし、京子に依然確信はない。

金曜日の夕方だった。部活動に参加している萌菜は、まだ帰宅していない。京子は既に、娘のために夕食を準備している。

今夜、母親が娘を一人自宅に残して外出することに、萌菜が反対することはなかった。それどころか、むしろ応援するような様子で、彼女は母親のわがままを受け入れた。

夏の陽はまだ鮮烈に街並みを照らしている。外に出た京子は、何年振りかにそんな恰好をした自分に、妙な視線が浴びせられているような気分に包まれ、すぐに肌に汗を感じる。

もはや、昔のようなスタイルではないのだ。贅肉の香りを漂わせた、中年の域にさしかかった主婦。京子は、若さを求めたかのような服装を選んだ自分を激しく攻める。

だが、京子の予感は間違っていなかった。駅のホームに立った京子の姿を、確かに何人かの男たちがじっとその視線を注いでいた。

同時に、京子の予感は誤ってもいた。その肢体に、衰えを感じさせるような気配は皆無だった。むしろ、そこには過去のそれを上回る魅力が確かに存在していた。

人妻としての色香と形容できるかもしれない。特定の男のものになったことで、気づかぬうちに与えられた性的な魅力。それは年を重ねていくほどに増していく。

38歳の京子が、鏡の中の自分に感じた微妙なスタイルの変化。それは衰えではなかった。明らかに男達をそそる要素が、そこには新たに漂い始めていた。

ただ痩せていただけの若い頃とは異なり、熟れた肉付きが加わった京子の両脚は、男達にそれを愛撫し、舌を這わせることを想像させるだけの魅力を伴っていた。

夕刻のホームで、京子は列車の到着を待った。目指す場所を事前に決めていたわけではない。にもかかわらず、京子の心に迷いはなかった。

目的地は、繁樹のオフィスの最寄り駅だった。

それが長い夜の始まりであることに、京子はまだ気づいていない。



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