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終着駅(11)

2012 02 13
中倉真哉はいつも通りに階段を下り、長身の背をかがめ、ドアの中を覗いた。

カウンター前に並んだ高い椅子以外、店内に座る場所はない。年季を感じさせる濃い茶色をした小さなテーブルがいくつか置かれ、立ったまま客はそこで酒を楽しんでいる。

友人同士で来店した客が集っているテーブルを避け、真哉は店内奥の場所を目指した。狭いスペースを客と触れ合うようにしながら、足を進める。

同じように1人で来店した客が、それぞれの想いで酒を傾けているテーブルがある。軽く会釈をし、真哉はそこに自らの場所を得る。

「いつもの、いいかな?」
「かしこまりました」

店員とすっかり顔なじみになってしまったことに少し照れを感じながら、真哉は鞄を床に置き、店内をさりげなく見渡す。

午後8時半を少しまわっている。いつもの金曜日と比べて、今夜は客が多いようだ。運ばれてきたハイボールのグラスを手にし、まずはその冷えた感触を確かめる。

この店にいる多くの男達とは異なり、真哉は明日も仕事だった。自動車を売る商売人にとっては、週末は休んでなどいられないのだ。

にもかかわらず、やはり金曜日の夜の気配は、真哉を心地よく歓迎していた。僅かなアルコールに喉を熱くさせ、真哉は全ての緊張を解き放とうとする。

天井に据付られた小さなスピーカーから、コルトレーンの奏でるテナーサックスの音色が聞こえる。ゆっくりと目を閉じた真哉の脳裏に、かつて妻だった女性の姿が浮かんでくる。

ジャズが好きだった彼女の影響で、真哉もその世界に足を踏み入れ、この店に何度か訪れることになった。彼女と2人でグラスを鳴らした記憶が、今夜も真哉を優しく苦しめる。

1人でここに来るようになって、もう8年になる。夭折した妻は、永遠に年をとることはない。彼女はいつになっても30歳のまま、真哉に笑いかけている。

40歳になろうとしている真哉は、妻だった女性の記憶をかき消そうともしない。

それでいいんだ。俺は死ぬまで、あいつのことを愛し続けるんだから。自らにそう言い聞かせるトーンが、言葉とは別の意味をはらんでいることに、真哉は既に気づいている。

そんな風に意地を張って生きなくても、彼女は許してくれるはずだ。妻が旅立つ前に遺してくれた言葉のように、俺は好きに生きていいはずだ。

しかし、何かを我慢しているという感覚は、真哉にはまるでない。8年もの間、そんな気分になったこともないのだ。俺は妻の記憶とともに生きていくだけで十分なんだから。

だが、本当に・・・・・・・・。

酒をゆっくりと喉に流し込み、真哉は呆れたように苦笑を浮かべる。難しいことは考えず、今夜はリラックスするんだろう。全てから解放されて・・・・・・。

ネクタイを緩め、流れる音楽に集中する。目の前で彼らが演奏していることを想像し、やがて真哉は仕事のストレス、客のクレーム、一貫しない上司の姿勢など、全て忘れていく。

人生など、所詮ゲームなのだ。どこにいたって楽しめばいい。いや、追い込まれれば追い込まれるほど、その状況を楽しむのだ。サイコロの目がたまたま悪かっただけだと。

では悪い目を出してしまった後には、いったい何が待っているのか。妻を亡くすという、最悪の目を出してしまった後に、いったい何が待っているというのか。

リラックスと屈折の狭間を何度も往復する真哉の耳に、いつしか雑音が届き始めている。

神聖なる音楽を汚すその存在は、どうやら店内の片隅から聞こえてくる男の声だった。

真哉はそこに瞳を注ぎながら、ゆっくりと酒を飲み続けた。自分の中の何かが弾けるような、妙な感覚に包まれながら・・・・・・。


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※いつもありがとうございます。都合によりしばらく休ませてください。来週半ばには更新したいと思います。申し訳ございません(2/15)。
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