FC2ブログ

終着駅(15)

2012 03 05
「そろそろ帰りましょうか」
真哉のその問いかけに、京子は首を横に振る勇気を持ち合わせていない。

既に時計の針は11時をまわっている。終電にはまだ多少の余裕があるが、だが、もう十分に深夜の時間だ。既婚者である人妻が、一人で歓楽街に滞在するような時間帯ではない。

学生アルバイト風の店員が用意した伝票を素早く手にし、真哉が立ち上がる。

「あっ、あの、私も・・・・・・・・・」
「いいんです、ここは。僕が勝手にお誘いしたんですから」

「でも・・・・・・・・・・」
「何だか出会いのきっかけは妙なものでしたけど」

「・・・・・・・・・・」
「ただ、何て言うか・・・・、あなたのおかげで凄く楽しい時間が過ごせました」

照れたように話す真哉の言葉に、嘘はないようだった。京子は嬉しさと寂しさが混在した感情に包まれ、何故か鼓動を早めてしまう。

これでいいんだろうか。心の中で、そんな問いかけがこだましているのを感じる。その質問が何を意味するのか、京子は勿論気付いている。

私は・・・・・、私は彼とこのまま別れてしまっていいんだろうか・・・・・。

支払いを済ませ、店外へと歩いていく真哉を見つめながら、京子は自問を繰り返す。結局、自分自身のプライベートについて彼が話すことはなかった。恐らくは彼にだって家族がいるはずだ。

そこに足を踏み入れる権利など、私にはない。それではあの女と同じレベルに成り下がってしまう。夫の愛人である、あの若く、憎らしい女と。

これでいいのだ。僅か2時間程度の間だったが、幸せな自分を見つけ出すことができた。それだけで、今夜の目的は十分に達せられたはずだ。

でも・・・・・・・・。

「行きましょうか。駅、こっちですか?」
「は、はい・・・・・・」

金曜日のこの時間帯、駅付近の道路は多くの人でまだ賑わっている。喧噪の中に、夫、或いは真鍋が潜み、私のことを見つめているのかもしれない。京子はそれを感じながら、僅かに真哉との距離を詰める。

目撃するならすればいい。夫にさえも配慮することなく、私は今、この瞬間を素直に過ごしたい。京子は強くそう感じていた。

中倉真哉は無言だった。店にいたときに披露してくれた明るさは、どういうわけかその表情から消えている。私の深刻な話がやはり、あの場には不似合いなものだったのだろうか。

早足で懸命に真哉に遅れまいとしながら、京子がそんなことを考えていたときだった。

「実は妻を亡くしたんです」
「えっ?・・・・・・

あと僅かで駅に着くというとき、真哉が突然そう切り出した。前を向き、歩きながらのその言葉に、京子はすぐについていくことができなかった。

「8年前に妻を亡くしたんです。病気で」
「・・・・・・・・・」

「まだ若かったんですけどね・・・・・・・、可哀想でした・・・・・・・・・・」
「そうだったんですか・・・・・・・・・」

「実は、あなたは妻と同じなんです」
「同じ?」

「ええ。同じ年齢なんです。もし妻が生きていたら38歳で・・・・・。あっ、年齢のことなんて言って欲しくないですよね」

自らが持ち出した深刻なトーンをごまかすように、笑みさえ浮かべてそう話す真哉につられて、京子もまたおかしそうに表情を崩し、小さく首を振る。

8年前に妻を亡くした・・・・・・。思いがけぬ真哉の告白に、京子はそこから先の展開を想像することができない。

「すみません、ちょっと飲みすぎたのかもしれません。こんなこと、今まで誰にも話したことないのに。会ったばかりのあなたに話すなんて・・・・」

真哉が今、何を考えているのか、何を欲しているのか、京子にはわかるような気がした。それは京子自身の一方的な願望なのかもしれない。彼の考えはこうであって欲しいと。

彼はそれを、決して自分から切り出すことはないに違いない。夫とどれほど酷い関係にあろうと、私が人妻である以上、彼はそれを口にするようなタイプの男ではないのだ。

ならば、どうすべきなのか・・・・・・・。それが自分の勝手な思いこみであろうと、京子にはもうためらうつもりはなかった。

強烈な感情が京子の体奥を駆けめぐる。自分がここにいる理由、今夜彼と出会うことになった理由を、京子は信じる。それは既に「決まっていた」ことなのだ。

ずっと、ずっと前から・・・・・・・・・・・。

「中倉さん・・・・・・・・」
多くの酔客がだらだらと家路に向かい、或いは夏の短い夜を朝までこの付近で過ごそうと、集団で駅付近のカラオケ店を目指している。

その喧噪の中、京子は初めて自分から彼の名を呼んだ。それだけで、真哉にはその意味が理解できたようだった。振り向いた彼は、自分から手を差し出し京子の腕を強く握った。

「・・・・・・・」
無言のまま、2人は互いの距離を寄せあう。出会って僅か数時間の相手だというのに、京子は彼の胸元に自分から顔を埋める。

その人妻の肢体を抱き寄せながら、真哉もまた、確信していた。自分が今夜、この人妻と出会った理由を・・・・・。


(↑クリック、凄く嬉しいです)
Comment

管理者のみに表示