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終着駅(29)

2012 07 04
夫の依頼、という真鍋の言葉に、京子は事態が決定的なステージに進みつつあることを知らされた。想像の域を超え、それは既に現実のものとなっている。

夫は私が別の男と一夜を過ごした事実を知っているのだ・・・・・・・・・

それは、京子の決意に確かな障壁となるように思えた。だが、すぐに京子は考え方を変えた。必ずしもこれは、私にとって不利なことではないのかもしれない。

私の決意を速やかに実行に移せるような環境が、これで整うかもしれないのだ・・・・・・

自分自身、若い女との情交を重ね、妻には愛情のかけらさえ与えることもなく、暴力をふるうことにまで及んだ夫。妻が別の男と一夜を共にしたと知れば、どのような決断を下すだろうか。

京子はそれが、自身の願望と一致することを強く望む。一刻でもこの生活にピリオドを打ち、新たな場所に私は向かうのだ。

彼、中倉真哉さんと一緒に・・・・・・・・・

「奥さんのあの夜の行動のことは、ご主人である久丘君にしっかり報告させていただきましたよ」
京子の淡い欲望が、真鍋の刺すようなセリフで一気に霧消する。人妻の全身に緊張感が瞬時に蘇る。

「ショックを受けていましたよ、久丘君は。それも無理はない。信頼を置いていた妻が、こともあろうか金曜日の夜に一人で繁華街を徘徊し、男を誘うような行動に出たんですからな」

「・・・・・・・・」

「それどころか、実際に一人の男を見つけ、彼とホテルで朝まで過ごした。普通の男なら、自分の妻がそんなことをしたと聞いたなら、激しい混乱に陥るに決まっている」

「で、でも・・・・・・・・・・」
真鍋の言葉に決して嘘はないのだろう。それでもなお、京子は言わずにはおけなかった。

「私は主人に通告したはずです。あなたと同じことを私だってする権利があるって・・・・・」
「ほう、大胆な通告ですな、奥さん」

「当然です。人妻だからといって、泣き寝入りするつもりは私にはないですから・・・・・・・」
「しかし、奥さん、あなたのそんな勝気なところが、あなた自身にマイナスに働いている」

「えっ・・・・・・・・・・・・・」
「それも致命的なマイナスですよ。あなたは挽回することのできない失点を犯したんです」

真鍋が何を伝えようとしているのか、京子にすぐに理解することはできなかった。携帯を握りしめ、京子はそのスリムな肢体を微動だにせず、その場に立ち尽くす。

「奥さん、あまり思わせぶりなことを言ってもしかたない。この際、はっきり言いましょう、久丘君と私が何を話し、そして彼が私に何を依頼したのか」

夫はいったい何を要求したのだろか。私の一夜の償いを何か欲しがっているのか。いや、そんな資格は彼にはない。それをはるかに上回る痛みを私に与えてきたのだから。

「奥さん、あなたもう別れたいんでしょう?」
「えっ・・・・・・・・」

真鍋の唐突な言葉に、京子は言葉に詰まった。自らの体奥に隠し続けてきた秘密を、この男にいとも簡単に見透かされたような気分だった。

「もう久丘君とは終わりにしたい。違いますか?」
「・・・・・・・・」

「別にはっきりおっしゃらなくとも結構です。奥さんがそう希望されていることなど、私にわからぬはずがないですからな。私だけじゃない、それは久丘君にも伝わっている」

最近では妻との接触を避け、会話さえ放棄し続けている夫。彼がそれを現実の選択肢として既に考え始めているという事実を、京子は僅かな驚きとともに受け止める。

「主人は・・・・・・、主人はいったい何を要求しているんですか・・・・・・。そんな権利は、あの人にはないはずです・・・・・・・・・」

「奥さん、まあそう焦らないでください。彼に権利はない。確かに事実です。いや、事実だった、と過去形で言った方がいいかもしれない。10日前までは、ですな」

「10日前・・・・・・・・・・・」
真鍋が指摘した「失策」の意味が、京子にはおぼろげながらわかったような気がした。そして、それが動かしようのない事実であることにも。

「確かに久丘君には何を要求する権利もない。全ての失態は彼にある。別れるにあたってあなたから何を要求されようと、彼は認めるしかなかったでしょうな」

「・・・・・・・・・・・」

「しかし、今は違う。あなたも彼と同じ罪を犯した。いや、考えようによっては久丘君より酷いのかもしれない。どこの誰ともわからない男、その夜に初めてあった男に誘われるままにふらふらとホテルにまでついていき、欲情にただ従って奔放な一夜を過ごした」

「・・・・・・・・・・・」

「弁護士さんの前でそんなことを告白してごらんなさい。交渉はあなた有利などころか全くの逆、久丘君の希望するとおりに結論は落ち着くのかもしれない」

「主人は、いったい何を希望しているんですか・・・・・・。娘ですか・・・・・・・・」
「違いますな、奥さん・・・・・・・・」

「じゃあいったい・・・・・・・・・・」
「別れないっていう選択肢ですよ」

「そ、そんな・・・・・・・・・・・」
「このままの関係を永遠に続けるっていう選択肢を彼は一番に希望してます」

夫の上司である真鍋の言い放ったその言葉を、京子は愕然とした想いで受け止める。それは、ここまで彼が誘導してきた会話からは予想がつかない言葉だった。

夫は私と別れない。このまま愛情のかけらさえ存在しない、家庭とも呼べない状態を、永遠に維持し続けようというのか。自らは若い女との火遊びを楽しみながら。

夫が何をしようともはや構わない。そんなことは、京子にはどうでもよかった。京子が求めるものはただ一つ、自らの将来だった。彼、と一緒になる将来だ・・・・・・・。

「奥さん、聞いていますか、私の話を・・・・・・・・・」
「え、ええ・・・・・・・・・・・・」

「まあそんなに落胆しないでください。私の話はここからなんですよ、奥さん」
「・・・・・・・・・・・」

「久丘君も決して常識外れの人間じゃない。彼はただ、このまま無条件にあなたの希望を受け入れることが嫌だと言っているだけです。どうしても奥さんが希望を通したいとおっしゃるなら、それを考えないわけでもない」

「いったい・・・・・・、どういうことでしょうか・・・・・・・・・・」
「それを上司である私に、彼は一任したんですよ」
「・・・・・・・・・・」

「奥さんがどれだけ真剣にそれを望んでいらっしゃるのか、それを上司である私に判断してほしいと。私の下す判断に全てを委ねる、と。まあこういう話なんですよ」

「・・・・・・・・・・」

「自らの望みを叶えたいというのなら、その前に自ら犯した罪を償う義務がある。違いますか、奥さん?」

それ以降、真鍋と自分がどんな会話を交わし、どんな風に携帯電話をテーブルの上に置いたのか、京子にはっきりとした記憶はない。

夫が真鍋に全てを託した。そのセリフだけが人妻の情念に深く刻み込まれた。可能性だけを考えれば、どんな風にもとらえることができる。

真鍋は完全な嘘を語っているのかもしれない。夫の関与はそこになく、真鍋が勝手なストーリーを紡ぎ出し、さも現実のように条件提示しているだけではないのか。

或いは、夫は真鍋が言うように全て知っているのかもしれない。だが、妻の決意の真偽を確かめるような役割を委託するなど、そこまでのことはしていない。

いや、真鍋にそれを委ねることで、彼は別の報酬を得るのかもしれない。上司である真鍋が企業という組織の中で与えることができる、確かな報酬を・・・・・・。

疑い始めればきりがない。しかし、京子には何故か確信があった。真鍋は嘘など言っていない。恐らく、これは全てが真実なのだ、と。

だからこそ、京子はあのような約束を夫の上司と交わしてしまったのだ。中倉真哉への濃厚な想いだけを信じ、ただそれを手に入れるための最後の交換条件として・・・・・・。

窓の外に広がる都会の風景を見つめる38歳の人妻。波打つ感情の揺れを抑えることができない。


(↑クリック、凄く嬉しいです。次回更新7月9日となります)
Comment
No title
次回楽しみです。部長に嫌々ながら抱かれる展開希望です

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