FC2ブログ

終着駅(33)

2012 07 23
既に1時間以上が経過している。核心に触れるような会話を交わすことなく、京子は淡々とした態度で食事を進めていた。

一定のペースで冷えた酒を口にし続けている。既に、男は日本酒の追加を何度か頼んでいた。彼自身、京子を上回るペースで飲み続けているが、いっこうに酔った気配はない。

男がいったい私に何を要求してくるのか。それを理解している人妻は、時間の経過とともに緊張を高めていた。それを忘れようとするかのように、いつしか酒のペースがあがっている。

決してアルコールに弱くないとはいえ、毎日たしなんでいるわけでもない。久しぶりの酔いが、少しずつ自分自身の肢体を熱くさせてくるのを京子は感じる。

「お酒はお強いようですな、奥さん」
「それほどでもないつもりですが・・・・・・・・・・・」

「久丘君もかなり飲みますからな。彼と一緒に飲んだこともあったんでしょう」
「もう忘れましたわ・・・・・・・・・・・・」

「それもそうですな、いや、つまらぬことを聞いてしまいましたな」
ワイシャツの襟もとのボタンを外し、ネクタイを緩めている。リラックスした様子で、男は閉ざされた襖をちらりと確認した後、人妻の隙を突くように、不意に言葉を投げかける。

「そろそろこちらでお酌をしていただきましょうか、奥さん」
「えっ・・・・・・・・・・・」
「食事もほぼ終わったことですし、ここからは私のお相手をしてもらいますよ」

自らの隣に座布団を置き、真鍋は当然の様子でそう告げた。今夜、この料亭に足を踏み入れた人妻にとって、それが男から与えられた初めての指示だった。

「あ、あの・・・・・・・、お酌でしたら私、このままここからでも・・・・・・・・・」
「それでは奥様の魅力を感じることができませんよ。さあ、ためらわずにこちらへ」

男の態度はあくまでも殊勝なものだった。ジャズバーで隣に座った人妻に見せた、強引で身勝手なあの態度は、依然として隠されたままだ。

かすかな笑みを浮かべながら、真鍋がこちらを見つめてくる。京子はしばらくの間、精一杯の抵抗を示すようにきつい視線で対応し、しかし、きっぱりとした口調で答えを与える。

「わかりました・・・・・・・・・・・・」
どう抵抗したところで、今夜は逃げることができない。その覚悟とともに、私はここにやってきたはず・・・・・。京子は自らの覚悟を心の中で繰り返す。

息をこらし、ただ嵐が過ぎ去るのを待てばいい。何も感じることなく、男の好きにさせるまでだ。私自身が我慢を貫くことができれば、明日には全てから解放されるのだから・・・・・・。

「さすがは奥様ですな。今夜の食事の意味をちゃんとわかっていらっしゃる」
手にしたグラスでゆっくりと酒を喉に流し、そして真鍋は空となった器をテーブルに置く。

男の要求で身に着けてきた質素な服装を見せつけるように、38歳の人妻はその場にゆっくりと立ち上がる。男と視線を合わせることなく、京子は歩を進め、そして彼の隣に立つ。

「どうぞ、奥さん。ここにお座りになって」
「では、失礼します・・・・・・・・・・・・」

ジャズバーで中倉真哉の手によって解放されたときの記憶が蘇る。この男から無事に逃げ去ったはずの人妻が、今、罠にかかるかのように、自らその隣に再び腰を下ろしてしまう。

男の要求は理解している。京子はしっかりと冷やされたガラス製の徳利を手にし、真鍋のグラスに酒を注いでやった。男は人妻のグラスに手を伸ばし、溢れるほどの同じ液体でそれを満たす。

「では改めて乾杯と行きましょうか、奥さん」
「・・・・・・・・・・・・・」

無言のまま、京子はグラスを手にし、その酒で唇をかすかに濡らす。控えめな人妻のその飲み方を見つめながら、真鍋が余裕を漂わせた口調で言葉を発する。

「どうぞ飲み干してください、奥さん」
「私・・・・・・・・・・、もう結構ですから・・・・・・・・・・・・・・」
「まだ夜は始まったばかりですよ、奥さん」

男の指示に譲歩の雰囲気はなかった。京子は腕時計に視線を投げた。午後8時半を少しまわったところだ。真鍋の言葉に嘘はない。まだ夜は始まったばかりだった。

「じゃあ、この1杯だけでいいでしょうか・・・・・・・・・・・」
「仕方ないですな、奥さん・・・・・・・、まあ、それで許してあげましょうか・・・・・・・・・」

テーブルに置いたグラスを再び手にし、京子はそれを見つめる。そして、ゆっくりと、しかし確かな意志を伴った動作で全てを飲み干す。その瞬間、かすかな吐息が京子の喉奥から漏れる。

「色っぽい飲み方ですな、奥さん」
「別に、そんな・・・・・・・・・・・・」

「確かに随分飲まれたかもしれませんな。奥さん、首筋のあたりが少し赤くなってますよ」
「・・・・・・・・・・・・・・」

「暑いですかな、奥さん?」
「い、いえ・・・・・・・・・・・、大丈夫です・・・・・・・・・・・・・・・・」

その言葉とは裏腹に辛口の高級酒が体奥にもたらす確かな熱を、人妻は既に感じている。白いシャツの下、先刻から感じている汗が、男の隣に座ったことで増しているような気がする。

「いや、暑そうですよ、奥さん。どれ、もっとこちらにいらしてください」
男の右手が人妻のくびれた腰に素早く回り込む。肢体が密着するほどに、京子は真鍋の隣に接近することを求められる。

「やめてください・・・・・・」
ためらうことなく、はっきりしたトーンで京子は抵抗する。しかし、男に人妻の言葉を真面目に受け取る様子は存在しない。

「少し汗をおかきになってるんじゃないですか、奥さん。どうですか」
右手の指先をかすかに触れるようにしながら、男は人妻の脇腹を上下に撫でる。ジャズバーでの強引な手つきとは依然かけ離れたものだった。

「あの・・・・・・・・、やめていただけますか・・・・・・・・・・・・」
「こうして撫でるくらいいいでしょう、奥さん。それとも何ですか、この素敵なお体に触れることができるのはご主人だけとでもおっしゃるんですかな」

中倉真哉との一夜のことを、真鍋が再びさりげなく、しかし濃厚に京子に思い出させる。今夜、この場では男の指示に反抗できないことを、人妻は改めて悟る。

テーブルに置かれたグラスを両手で握りながら、京子はかすかにうつむくような姿勢となる。覚悟を決めた様子の人妻の肢体を、男は本格的に撫でまわしていく。

時間をかけて、人妻の背中から脇腹の辺りに指先を往復させる。左手で酒をゆっくり飲みながら、人妻の表情の変化を観察する。指先に愛撫のような動きがかすかに加わり始める。

くすぐったさが時折伝わり、そして同時に、妙な感覚が肢体を走り抜けるような気分に包まれる。密かに痴漢行為を与えられているような、京子はそんな感覚に浸り始める。

何分、何十分にも思えるほどの男の責めだった。京子は意識的に同じペースで呼吸をしながら、それに静かに耐えようとした。

汗ばんだ肉体、そして時折の震えるような感覚は、しかし京子の感情を揺らすには至らなかった。真鍋という汚れた男に触れられている、強烈な嫌悪感だけが京子を支配している。

だが、男に焦る様子は全くなかった。長い夜をたっぷり使おうとするかのように、男は指先の一定の動きを愚直に繰り返す。人妻は、焦らし続ける男の態度にどこか不安を与えられていく。

好きにするなら早く好きにすればいい。そんな叫びが体奥で繰り返されるのを京子は感じる。


(↑次回更新、25日水曜日です。クリック、凄く嬉しいです)
Comment

管理者のみに表示