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終着駅(完)

2012 08 27
「ママ、ほら見て、海」
乗車して以来、ずっと押し黙っていた娘の萌菜が、突然表情を輝かせ、声を弾ませた。

車窓の向こう側に、果てしなく広がる海原の景色がある。海岸沿いに敷かれたレールの上を走る僅か1両の車両が、ガタガタと揺れながらも少しずつスピードを増していく。

穏やかな空の下、初冬とは思えないような陽射しが水面を照り付け、きらきらと眩しく光を反射させている。

ふと、京子は想う。眩しいばかりのその光は、果たして私の新たな旅立ちを祝ってくれているのだろうか、と。

目の前に座る娘の姿に、落ち込んだような雰囲気は感じられない。イヤホンを装着し、IPODを握りしめながら、強い意志をはらんだようなその視線を碧く輝く海に注いでいる。

「ねえママ、次の駅でしょう、降りるのは」
「そうね」
「想像してたんだけど、やっぱりお客さん少ないね」

周囲を見渡し、萌菜がそうつぶやく。しかし、そこには決して悲観するような色はない。むしろ、このような環境に足を踏み入れようとしている自分自身を、楽しんでいるようであった。

「仕方ないか、だって、次の駅で終点なんだよね、ママ」
「ええ」
「そっか・・・・・。終着駅か・・・・・・・・・・」

終着駅・・・・・・・・・。娘が何気なく口にしたセリフを、京子は何度も胸の内で繰り返す。

そう、私が向かっているのは紛れもない、終着駅なのだ・・・・・・・・。

それは京子が生まれ育った場所だった。幼いころから高校時代まで。京子はそこにある豊かな自然、友人たち、そして家族に囲まれ、大人の女性への階段を昇って行った。

進学、就職と人生の歩みを進め、やがて故郷を離れ、都会での生活に染まっていった京子。共に育った友人たちは、大半はもうこの町にいない。悲しみだけを京子に残し、家族も姿を消した。

もうここに戻ってくることはないのだろう。以前はそう考えていたこの終着駅に、今自分が娘と二人で向かっているという事実を、京子は未だに受け入れることができない。

再び口を閉ざした娘は、音楽に没頭しながら、視線を外の景色に走らせている。癒すような笑みを浮かべ、京子は質問を投げる。

「ねえ、さっきから何聴いてるの?」
「これよ」

画面に表示されたアルバムジャケットを覗き、京子は思わず胸を打たれる。彼女自身、過去からずっと愛し続けてきた4人組の姿がそこにあった。

「ママも好きでしょう、これ?」
「そうね。そのアルバムは有名すぎて、昔は敢えて敬遠してたんだけど。でもやっぱりいいわよね」

「ねえママ、これって日本語にするとペッパー警部なのかしら、それともペッパー軍曹?」
「さあ。どっちかしら」

「転校先の英語の先生にでも聞いてみようかな」
「・・・・・・・・・・」

娘の前向きなその言葉に、京子は目頭を熱くさせる。母親である私こそ、前を向かなければいけないのだ。この子を守るのは、もう私しかいないのだから・・・・・・。

夫の上司は、その約束を律儀に守った。人妻の肉体を貪り尽くした夜からしばらくの時間を経て、彼は部下である男の離婚手続きを、自らが主導して進めた。

ここで妙な揉め事を招いては、企業内での自らの立場が危うくなるとの懸念があったのかもしれない。ともかく彼は、その約束を果たし、結果、人妻は自由の身となった。

だが、歓迎すべきことだけではなかった。妻の側の不貞を理由に、夫側は一切の金銭的な補填を拒否した。それだけでなく、自宅マンションさえもわがものとした。

それでも京子は構わなかった。この都会に、彼女はもうそれ以上、居続けるつもりはなかったのだから。

ただ一つの目的、「彼」と再会するという望みを、京子はあの朝、捨て去っていた。3人の男に限界まで凌辱され、濡れた裸体のまま目を覚ました、あの朝に。

最後まで、「彼」への忠節を貫くつもりだった。肉体がどう反応してしまおうと、少なくとも胸の内に秘めた「彼」への確かな信念だけは、決して見失うつもりはなかった。

しかし、あの朝、男たちと自らの体液で濡れた布団の中で目覚めたとき、京子にその確信はなかった。それどころか、別の危惧が人妻の心を包み込んでいた。

私は、「彼」の存在を忘れ、ただ夢中で自らの快感だけを追い求めたのではないのか・・・・・・・。

それは事実ではない。そう弁護する声も、京子の心の中でこだました。たとえ乱れた姿を披露してしまっても、それは私自身の真の姿であるはずはないのだ。

妙な憶測を展開させるのは、無知な男どもだけだ。女性の存在を侮辱し、一面的にしかとらえることのできない、幼い男どもだけが、見当はずれな観測を抱く。

それを理解しながらも、京子は自分自身を許すことができなかった。私は決定的な過ちを犯した。どうにもできない状況に追い込まれたとはいえ、私はあんなふうに振る舞うべきではなかった。

もはや、私には「彼」に会う資格はないのだ。

その思いは日増しに京子を強く絡めとっていき、やがては一つの決心に導いた。この都会で起きた全てを捨て去り、私は故郷で娘と暮らすのだ、と。

もう二度と「彼」に会うことはない・・・・・・・・。

「そろそろ着くのかなあ」
そうつぶやく娘の表情には、珍しく緊張の色が浮かんでいるようだった。

母親の決意に全面的に賛成し、何の不満を漏らすことなく自分についてきてくれた娘であったが、やはり未知の世界、しかも都会から地方に移り住むことへの不安が、胸の中を渦巻いているのかもしれない。

「間もなく終点の○○です」
老いた声の車内アナウンスが響き、電車は減速していく。前方に、比較的新しいプラットホームが見えてくる。

終着駅には似つかわしくない、随分と長いホームに、客車が滑り込んでいく。

「着いたわよ、萌菜」
「うん・・・・・・・・・・」

緊張気味に視線を周囲に泳がせている娘の姿を見つめながら、京子はゆっくりと席を立つ。やがて車両が完全に停止し、何名かの客が外のホームに降り立つ。

娘は依然としてイヤホンを耳にしたままだ。英語の歌詞を既に覚えているのか、小さな声で口ずさんでいる。まるでその意味を確かめ、噛みしめるようにしながら。

「おかしな子ね、一緒に歌ったりして」
少し呆れたように笑みを浮かべながら、京子が萌菜を見つめる。萌菜はまだ、緊張を捨て去ることなく、周囲をきょろきょろと見回している。

足早に改札に向かった先客たちとは対照的に、京子と萌菜はしばらくの間、ホームにたたずんだ。12月の午後、南国の証左とも言えそうな陽光が、視線を遮るほどに二人の上空から注ぎ続けている。

やがて、萌菜の視線がホームの遠方に何かをとらえ、そこにとどまる。

「ねえ、ママ」
「えっ?」

「誰かお迎えにきてくれたりしないの?」
「いるわけないでしょう、そんな人。ここではママと萌菜の2人だけの生活が始まるんだから。さあ、行くわよ」

自らに言い聞かせるように、京子は強い口調で娘を促す。だが、萌菜はその場を動こうとはしない。視線をはるか前方のホームの端に据えたまま。

「誰も来ないの? そうかなあ・・・・・・・・・」
「何言ってるの、萌菜、さあ・・・・・・・・・・・・・・・・」

再びそう言ったとき、京子は娘が先刻から一点を見つめていることにようやく気付いた。そして、自らもまた、そこに視線を投げた。

・・・・・・・・・!

ホームの端にずっと立っていたその人物が、2人のもとにゆっくりと歩み寄ってくる。その人物の表情が、緊張と微笑み、そして僅かな涙に支配されていることを、京子は知る。

手にしていたボストンバッグを、京子はプラットホームの上に力なく落とす。

「♪ meeting a man from the motor trade・・・・・・・・」
アルバム収録の6曲目。イヤホンから届いた歌詞を、萌菜が小声で口ずさむ。

母に全てを教えるために・・・・・・・・・。

”man from the motor trade”?   車を売る男に会う?・・・・・・・・・・。

いつしか自宅で紛失した「彼」の名刺の記憶が、京子の脳裏をよぎる。

「萌菜、あなた、まさか・・・・・・・・・・・・・・」
終着駅のプラットホーム、緊張を遂に捨て去って笑みを浮かべた娘の表情を一瞬見つめた後、京子は駆け出した。

その瞬間、「彼」の声が2人に届いた。

「京子さん!」

京子は飛び込んだ。

ずっとそこで自分を待っていてくれた未来に向かって。

<完>


(↑最後まで、ご愛読本当にありがとうございました。クリック、凄く嬉しいです。

9月8日追記
 多くのコメント、感謝申し上げます。とても、とても嬉しく、励みになります。
 次回作少し先になると思いますが 今後ともよろしくお願いします

 のりのり)
Comment
と、唐突な…と思いましたが、素敵なエンディングに何故だかホッとしている自分がいます。3人とも必ず幸せになれます。ありがとうございました。
No title
素晴らしいエンディングです。途中、読みたくないなと思った時間ありましたが。とても気に入るエンドです
次の作品を楽しみにしています。頑張ってください。
【終着駅】の完結を読んで
今回の完結は【常識的】で【日常的】で好感を覚えました。

【非・常識的】【非・日常的】な物語より、今回に癒しを感じます。

読み終えて・・・ほっとしました。
No title
京子さん、最後に幸せになれて良かったです^^
部長さんは京子さんに恋してたのかしら…。。。
すごい良かったですー( ; ; )
感動しちゃいました!
たまには・・・
たまにはハッピーエンドも良いですね。
でも、基本的には切なく悲しいバッドエンドがドキドキしてしまいます。
突き放されるような、救いのないお話が。

今後もがんばってください。
次回作も楽しみにしています。
待っています
官能的で、でもどのお話にも心のある物語がとても好きです。
ずっと待っています。いつか、また読ませてください。
No title
京子さん幸せになれて良かったです^^
次回作熱望しています。
お元気ですか?
次回作を楽しみに待っています。

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