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闇の奥からの誘惑(1)

2013 08 13
出発前に想像したほどに、道の混雑はひどくなかった。

都心から1時間以上も高速道路を走ってくれば、それも当然かもしれない。渋滞の可能性はもはや影をひそめ、快適なドライブだけが目の前に約束されているようだった。

ローカルのFM局の電波をアンテナがとらえ始めているようだ。雑音の背後から漏れ聞こえてくるグウェンステファニーの歌声が、私の心を和ませる。

車線を変更する必要もなく、ただ前方に注意を配りながら、私は一定の速度で車を走らせるだけでよかった。そこには意外性などもはや存在しない。

その単調さは、どこか私自身の人生を想起させるものでもあった。

ハンドルを握りしめながら、いつしか41歳になった自分のことを、私はふと考える。そこには、漠然とした不満が潜んでいるように思えた。

果たしてこれが私の望んでいた人生だったのだろうか。この年齢になれば男でも女でも誰もが抱くであろう、その平凡で、しかし意味のない質問を、私は心の中で繰り返す。

一流とは言えないまでも、まず安定した企業への就職。上司、同僚に恵まれ、ごく平均的なペースで出世も実現してきた会社生活。給与面も特に問題はない。

そして家庭。5歳年下の妻、麻由美との結婚。長男、翔太の誕生。皆健康で、ありふれた、しかし、恵まれた生活を過ごしている。

そこには何の不満もない。これこそが幸せな人生のはずだ。

しかし・・・・。

「ねえ、パパ、あとどれぐらいなの、キャンプ場まで?」
後部座席に座る息子のその言葉に、私はつまらぬ思考をあきらめるように捨て去る。5歳になった息子は、幼稚園のおかげか、すっかり一人前の会話をするようになってきた。

「どうかなあ。あと1時間くらいかなあ」
「まだ1時間もかかるの? 早く行きたいよ~」

「そりゃパパだって一緒さ。でも翔太、忘れるなよ、まずはテント造らなきゃいけないってことを」
「ええっ、それはパパがやってよ~」

私と息子との会話を助手席で聞いている妻、麻由美がくすくすと笑う。ちらりと見るその横顔には、いつにも増して穏やかで、どこか解放されたような色が浮かんでいる。

まぶしいほどの青空から、ぎらぎらと太陽が照りつけてくるのが、冷房で快適な車内にいても感じられる。今年の夏は記録的な猛暑となり、8月に入った今、それは更に勢いを増しているようだ。

お盆休暇のない私の会社では、各社員がそれぞれ自由なスケジュールで夏休みを取得するのが常である。今年、私は、8月の前半に1週間の休暇を確保した。

私と妻、それぞれの実家に息子を連れて行くことに加えて、どこか家族旅行でもと検討したとき、妻がふと思い出したように口にした言葉があった。

「そういえば翔太がパパとキャンプに行きたいって言ってたわよ」
「キャンプ?」
「うん。幼稚園の友達に聞いたんじゃないかしら。いいなあって、何度もうらやましそうにね」

妻のその提案がきっかけで、今年は思い切って家族で初めてキャンプに行くことに決めた。息子は勿論、それは恐らく妻にも理想の計画であった。

結婚前、妻はオフロードバイクを自ら操り、友人たちとツーリングに出かけるような、アウトドア志向が強い女性だった。

当時の話は詳しく聞いたことがないが、恐らくキャンプにだって何度も出かけたことはあるに違いない。だが、私と結婚してからは一切そんな生活とは無縁になっていた。

7年前に結婚後、すぐに翔太を妊娠、出産したことも理由の一つだった。しかし最大の原因は私にあった。私自身、そのようなアクティブな行動とはかけ離れた人間だったのだ。

30代も半ばにさしかかろうとする頃、独身だった私を見かねる様に、当時の上司が何人かの女性を紹介してくれたことがあった。

上司の学生時代からの古い付き合いの男性から声掛けがあったようだ。その男性は我々とは業界の全く異なる、業務上の接点のない会社に勤務していた。

私の職場は女性が非常に少ない環境にあり、私と同じような年齢の男性たちは、皆独身であった。紹介を受けた女性グループと、私は同僚たちと一緒に何度か食事を重ねることになった。

その中に、麻由美がいたのだった。当時私は33歳で、彼女は28歳だった。別に趣味が一致するわけでもないのに、私たちは最初から妙に波長があうことを感じあった。

そして同僚たちを置き去りにするように私は麻由美と結婚、新たな生活をスタートさせた。間もなく妻が息子を身ごもったこともあり、それは幸せに満ちた生活だった。

出産から子育て。この5年以上の年月を、妻は自らの望みを封印するように、全てを家庭内に注ぎ込んできてくれた。

そんな妻が、かつての自分を少しだけ取り戻そうとするように、息子の希望に賛同したことは決して不思議なことではない。そして、私にそれを拒絶する権利があるはずもない。

幸せに満ちた笑みを浮かべる助手席の妻の横顔に、私はちらりと視線を投げる。そんな私に気づかぬように、妻はまっすぐに前方を見つめ続ける。

私の車のすぐ横を、女性ライダーが操る1台のバイクが高速で走り抜けていく。その姿は、瞬く間にカーブの向こう側に消え、鮮やかなエンジン音だけを私たちに残していく。

「すごいなあ、バイクって」
息子のその驚いた声に、妻が相槌をうつように後部座席を見つめ、そして視線を前方に戻す。かつての自分自身を妻がそこに重ね合わせようとしていることに私は気づく。

私たち家族3人は、真夏の陽光に包まれながら、目的地である山あいのキャンプ場を一路目指している。あと1時間もすれば、無事に到着するはずだ。

そこで何を体験することになるのか、その時の私にはまだ勿論知る由もなかった。それは妻にとっても同じだったはずだ。

あの闇の奥からの誘惑に、そのとき妻はまだ・・・・。


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Comment
暗闇のキャンプ場で奥さんが奪われる…想像しただけでぞくぞくしますね!
No title
再開を待っておりました。
これから楽しみに読ませていただきます。
No title
記録的猛暑。
時事ネタも嬉しいですね。

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