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闇の奥からの誘惑(9)

2013 09 02
「えっ?」
去り際に妻が漏らしたその要求を、藤原もまた想像はしていなかったようだった。

その声の様子から、私は二人がまだこの大木の付近には達していないことを感じていた。闇に紛れた自分を信じ、私は地面に座ったまま、顔だけを木の裏から覗かせた。

10メートル程度向こうに、二人の影があった。触れ合うほどの距離ではなく、あくまでも他人としての関係を維持したまま、二人はそこに向かい合うようにして立っていた。

「僕のバイクに、ですか?」
「ええ。バイクに乗る方にとって、これがどんなに失礼な要求なのか、よくわかってはいるんです」

「・・・・・・・・・」
「ただ、あの頃の自分と少しだけ・・・・・、少しだけ会いたいって・・・・・・・」

妻の告白には、確かな決意がこめられていた。それは、私との普段の会話ではまず感じられない気配だった。藤原は、そんな妻の緊張を解くようにやさしげに答えを返した。

「奥さんに乗ってもらうことは全く構いません。でも、大丈夫ですか、ビール・・・・」
生真面目な藤原の言葉に、妻はいつもの自分を取り戻すように、笑みをこぼす。

「やだ、藤原さん、私に何も運転しようなんて・・・・・・」
「あっ、そうですか・・・・・。ですよね」

「飲酒運転はいけませんわ」
「ええ。僕も今夜は結構酔ってしまいましたからね」

藤原の言葉には、妻との時間をたっぷりと楽しんだことを再確認するような雰囲気があった。振り返った二人は、再びテントの方角に揃って戻り始める。

「ただ乗るだけでいいんですね?」
「ええ。あの感触をもう一度味わってみたくて・・・・・・」

バイクでこのキャンプ場に来たという藤原だったが、そのバイクの存在に私はそれまで気付いてはいなかった。大胆に木陰から姿を現し、私は二人をそっと追い始めた。

それは小さなテントのすぐ向こう側の闇の中に、ひっそりと停められていた。私にはよくわからなかったが、ややタイヤが細い、オフロードタイプの車種のように思えた。

ここを訪れた際に、既にそのバイクを紹介されたのだろう。妻は改めてそれを観察するといった風情で、そこにゆっくりと近づいて行った。

2人が先刻まで囲んでいた火は、少し勢いを失っただけでまだ周囲に明るさを提供している。私は、それを利用すると同時に、直接のまぶしさを避けながら、二人が観察できる位置を探した。

確かな距離を維持しながら、私は付近にある巨大な岩を見つけた。その陰に隠れ、再び顔をそっと覗かせる。こちらが完全に闇に包まれていることを確信し、二人を観察する。

「正直に言うと、藤原さんのバイクがセローだからっていうのもあるんです」
「えっ、まさか奥さんもセローに乗ってたんですか?」

うまく聞き取れなかったが、二人はどうやらバイクの車種について話しているようだった。バイクを囲んだまま、二人は親密そうに言葉を交わしている。

藤原が乗っているタイプのバイクに、妻は何かの理由で惹かれているらしいのだ。勿論、私にはその理由がわからなかったが、妻はそんな私を刺激するような答えを自ら口にした。

「いえ、私はスズキの別のタイプだったんですけど」
「でもセローに何か思い入れが?」

「もう時効だから思い切って告白しますけど、片思いだった彼がこれに乗ってたんです」
「へえ、そうなんですか。ご主人じゃなくて?」

「違います、違います・・・・・。結婚のもう、かなり前のことですから」
「じゃあ封印された、いい思い出ってことですね」

藤原の言葉に小さく頷くような素振りを見せながら、妻はハンドルの辺りに手を伸ばす。私はそれを見つめたまま、妻の告白に激しく揺さぶられる自分を感じていた。

そんな言葉を、過去に妻から聞いたことなど一度もなかった。だが、私を激しく動揺させたのは、妻に片思いの男性がいたから、という事実ではなかった。

それぐらいのことは当然であり、私にだって同じことは言える。私が戸惑い、そして受け入れ難かったのは、妻がそんな告白を私にではなく、今日会ったばかりの男にした、という事実だった。

「本当にいいですか、藤原さん?」
「さあ、遠慮なさらずに、奥さん、どうぞ」

停車したままのオフロードバイクのハンドルに手をかけ、妻がそこに自分から跨ろうとする。デニムに包まれた妻の長い脚が大胆に開かれるのを見つめ、私は激しい感情に包まれていく。

「奥さん、大丈夫ですか?」
傍らで立ったまま、藤原が妻の腰に手を添えるような仕草を見せる。完全にサドルに座った妻は、自転車にのるように上半身をぴんと立たせたまま、ハンドルをしっかりと握った。

太腿で胴体を締め付ける様に、妻が力を込めていくのがわかった。何かを夢想するように、妻はサドルの上で下半身を前方に何度かずらし、しばらくの間、顔を下に向けたまま静止した。

「どんな気分ですか、奥さん、念願のセローは?」
「素敵・・・・・・、素敵です。一度でいいから、これで走りたかったです、私も」

「私でよければ、いつだってお乗せしますよ」
「じゃあ、今度、お願いしようかしら」

再会を既に約束するような会話であったが、そこに具体性がないことは私にはすぐにわかった。その社交辞令的な挨拶は、しかし、私を確かに刺激するものだった。

しばらくの体験の後、妻は満足したように藤原に声をかけ、そこから降りようとした。藤原が差し出した手を妻がためらうことなく掴むのが見える。

「きゃっ・・・・・・・・」
「大丈夫ですか、奥さん?」

降車しようとした妻がバランスを崩し、思わず藤原の体に倒れこんだ。不意に抱き合うような格好になった二人は、すぐに離れようとはせず、そのままの体勢で闇の中に留まった。

何かを伝えあうように、わずかな刹那、二人が見つめあったのがわかった。妻の肢体を抱く腕に次第に力を込め、藤原が更なる行為を要求するような動きを見せる。

「駄目っ・・・・・・・・・」
口づけを求めようとするような男に対し、妻は瀬戸際でそれを避けた。妻のそんな態度に、藤原もまた、我に返ったように両腕の緊張を解いた。

「すみません、奥さん・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」

「許してください・・・・・・・・、こんなことしたらご主人に」
「いえ、いいんです・・・・・・・・・」

藤原の言葉を遮るように、妻はきっぱりとそう言った。そして、妙な雰囲気を自ら振り払うように笑みを浮かべ、腕時計を見つめた。

「もう私、本当に戻らないと・・・・・・」
「ええ・・・・・・」

「私が勝手なこと言い出したばっかりに、何だか変なことに・・・・・」
「そんなことはないです、奥さん。僕のほうこそ、勝手にこんな場所まで呼びつけたりして」

「・・・・・・・・・」
「でも・・・・・・、凄く楽しかったです、奥さんとこんな時間を過ごすことができて」

藤原は、自らの先刻の行為を説明するように、妻にそう言った。何かに迷うような素振りをしばらく見せた後、妻は彼に言葉を返した。

「私も・・・・・・、私も久しぶりに楽しかったです・・・・・・・・・」
妻のその言葉を合図にするように、二人は再び帰路に就いた。タイミングを逸した私は、その場に潜んだまま、二人が行き過ぎるのを息を凝らして待った。

やがて、二人がゆっくりと歩き去って行った。その後ろ姿を見つめながら、私は再び二人がきつく抱擁する姿を想像した。その場で立ち止まり、欲情を抑えきれない風に・・・・・。

何を考えているんだ、俺は・・・・・・・・

その妄想が自我の密かな望みであることに気付きながら、私は同時にそれを懸命に否定した。妻のそんな行為を期待するなんて、そんなことを俺が考えるはずがない・・・・・・。

歩いていく二人の距離は、バイクに乗る前と比較し、明らかに接近している。しかし、しばらくの後になっても、二人は手を繋ぐことさえもなかった。

変なことはもう考えるな・・・・・・。それよりも先にテントに戻るんだ・・・・・・・。

二人がかなり遠方にまで行ったことを確認すると、私は素早く立ち上がり、既に見当をつけていた自らのテントの方角に向けて、闇の中を全速力で走り始めた。


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Comment
No title
わくわく、ドキドキです。
もうすでに、夫とは、別の男に心を開いて受け入れて様が、なんともいえすそそります。
・・・だめ。理性で懸命に拒否するところが、たまりません。
夫と子供いるテントまで、何事もなく戻れるか、心配であり、期待大です。
朝までまだ時間は、たっぷりあるので
理性と本能に困惑しつつ少しずつ本能に突き動かされていく様を期待したいです。
麻由美さんは常識人ですね。飲酒運転はだめですよね。

旦那さんは迷わずテントまで戻れるのかな。はじめてのキャンプ場の夜道でしょ。転ばないでねp(^-^)q
No title
今晩の更新を楽しみに
待っています。
極端に【非・現実】的な内容より・・・
今迄の全作品を読み終えています
【課金】を含めて読破しました
で、今後の展開での期待は・・・
余りにも【非・現実】で【違法】的な内容でのドキドキ・興奮は興醒め感を誘います。
ちょっとオーバーの領域で刺激が進む事を期待しています。

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