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抵抗の果て(2)

2013 12 18
既に1時間以上が経過している。店主である足立正則は、突然の来客である男のことを、しかし、予感していないわけではなかった。

既に近隣の店から様々な情報がもたらされている。その提案に拒絶をした場合、次の展開はどうなるのか。正則は既に目の前の光景のことを想像していた。

そして、自分がどう応対すべきか、その準備も既に尽くされている。目の前に座る小野田と名乗る男に対し、彼は想定通りの回答を繰り返した。

「申し訳ないですが、この店を手放すつもりはありません」
「手放せとは言ってませんよ、ご主人。こんな辛気臭い場所じゃなく、もっといい場所に移って派手に仕事をしたらどうですか。そう提案してるんです、私は」

店内には僅か2つの調髪台が並んでいるだけだった。二人の男性は、今、その店の奥まった場所にある夫婦の居住空間、小さな居間にいる。

畳の上に無造作に置かれた座布団に座った小野田は、卓袱台の上のお茶に手を伸ばそうともしない。遠慮がそうさせているのではなく、そのお茶にそもそも興味がないのである。

正則の妻、江利子はそこにはいない。二人にお茶を出しただけで、すぐに店内に戻っている。どうやら高齢の男性客が1人来ているようだった。

「ここにはマンションが建つんですよ」
「それは・・・・・・、我々には関係ないことです・・・・・・・」

「もう大半の皆さんが移転に賛成なさってるんですけどね」
「・・・・・・・・・・・」

「足立さん、お宅だけなんですよ、これほどに強情に拒否し続けているのは」
「・・・・・・・・・・・・」

「何もただで立ち退けと言っているわけじゃない。相当以上の価格で買わせていただきたいと言ってるんです。その支払いもすぐにさせてもらいますよ」

小野田の視線は、確信に満ちていた。目の前に座る正則のことをしっかりと見据え、じわじわと追い込んでいく。どのようなカードだって持っているのだ、と全身が主張している。

「とにかく、我々はそんなつもりは一切ありませんので」
「お金に困ってるんじゃないですか、ご主人?」
「失礼な・・・・・・・・・・・」

正則は思わずそう答えたが、しかし、言葉を更に続けることができなかった。それは的を得た指摘であり、この店の様子を見れば、誰にでも想像できることであった。

半ば嘲笑するような視線で、小野田が部屋を見回す。狭い居間の向こう側に、簡素な台所が見える。木製の階段が2階に向かっているが、恐らく寝室があるだけなのだろう。

「この店がいくら儲けているのか、それぐらい私にはすぐに想像できますよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

「ご夫婦二人だけとおっしゃっても、生活は相当に苦しいはずだ。違いますか?」
「あなたには関係ないことです」

「このままここで店をやっていても先が見えている。生まれ変わった街で、もっとぱっと派手に商売をやったらどうですか。それを考えるのが店主の仕事ってものですぜ」

店だけでなく、自分の人間性までもこの男に否定されているような気がする。だが、それでも強気な態度で抵抗できないのは、自分のどこかに迷いがあるからかもしれない。

男の指摘通り、経営状態は決して楽なものではなかった。若い客がめっきり少なくなり、中高年の客が主流になっている。

多くの常連客がいるが、先のことを考えれば、楽観できる要素は少なかった。この男に従って、当面楽になる現金を手にしたいという欲求が、正則のどこかにくすぶっている。

「ここは奥さんの実家ですね、確か」
「えっ?」

そこまでの事実を男が調べ上げていることに、正則はかすかな寒気を覚えた。自分たちの生活が全て丸裸にされ、男の手中に収まっているような気分になってくる。

「ご主人には別にこの家に愛着はないでしょう。奥様を説得されてみてはどうですか」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「ご主人の決断であれば、奥様も同意されるはずだ。違いますか?」

小野田はそこまで言うと、断りもなく煙草を取り出し、正則を見つめたまま火をつけた。そして、決断を促すような視線を送りながら、深々と紫煙を吐き出した。

それを止めることもできず、正則は立ち上がって台所に向かう。そして、来客用にまれに使用する灰皿を手に戻り、それを卓袱台の上に置いた。

「今すぐに決断してくださいとは言ってませんよ」
「・・・・・・・・・・・・・」
「奥様とじっくり相談して、何が得策なのか、よく考えてみることですなあ」

煙草をくわえたまま、小野田は持参してきた薄い鞄の中から1枚の紙片を取り出し、正則に差し出した。正則はしかし、それを開こうとはしなかった。

「こちらの条件が書かれています。既にご存知かとは思いますが、まあいろいろと考えて、多少上乗せしておきましたから。これを見逃す手はないと思いますがね」

夫が少々弱気である、というメモの一節を、小野田は思い出している。これであれば、あと2、3回訪問して、多少の脅しでも与えれば、あっけなく陥落するのだろう。

小野田がそんな確信を抱き、僅かな笑みを浮かべたときだった。

「お引き取りいただけませんか・・・・・」
背後から、小さな、しかし、はっきりとした意志を伴った声が響いた。小野田は笑みを隠そうともせず、ゆっくりと振り向いた。

「お願いです。どうかお引き取りください」
「これは・・・・・・・、奥様、ですね?・・・・・・・・・・」

店から居間に繋がる入口付近に、正則の妻、江利子が立っている。白色のブラウスに黒色のジャンパースカート、そして黒色のパンツという姿は、女性理髪師の典型のように見えた。

自分が座っているせいか、小野田には江利子が随分と長身に思えた。細身のせいかもしれないが、確かにその人妻は160センチは優に超える身長を備えているようだった。

それ以上言葉を続けようとしない江利子のことを、小野田は鋭い視線で素早く観察した。一見、スリムに思えるその肢体は、見かけ以上に豊かな曲線を描いているようであった。

特に、胸元の盛り上がる曲線を、小野田が見逃すことはなかった。

ポニーテールに束ねられた黒髪は、美しく輝いている。くっきりとした目元と形のいい顎が印象的な容貌は、際立った美人とはいえないが、男好きのする気配を濃厚に漂わせている。

「ここは私が生まれ育った場所なんです・・・・・・・」
覚悟を決めたように言葉を発した江利子の声は、しかしか細いものだった。

「ですから、私はここを離れるわけにはいかないんです・・・・・・」
「それだけが理由ですか、奥さん?」

「それだけで・・・・・・・・・、十分なはずです・・・・・・・・・・・・・・」
その人妻は話すのが得意ではないことを小野田は感じた。寡黙なタイプ、という事前情報に、やはり誤りはないようだった。

「では今日のところは退散します」
「・・・・・・・・・」

「ただ、すぐにまた来ますよ。それからあまり言いたくはないんですが」
「・・・・・・・・・」

「抵抗されないほうがいいと思いますがね。我々はどんな手でも使いますよ」
「あ、あの・・・・・・・、いったい、それは・・・・・・・・」

慌てた様子の正則に答えを返すことなく、小野田はその場に立ち上がり、軽く会釈をするとその場を立ち去った。残された夫婦は、緊張から解放された様子でその場に座り込んだ。

店を出た小野田は、ゆっくりと駅に向かって歩き出した。理髪店の妻、江利子の容貌が客足を呼んでいるという事前情報の正しさを、小野田は噛みしめている。

立ち去る小野田の後姿を、再び彼が見つめている。


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Comment
連続更新ですね。
続けて見られるのはとっても嬉しいです。
マンションってまさかあのシリーズとつながりがあるんですかね?
気になります

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