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抵抗の果て(3)

2013 12 19
「大丈夫かい。あの男、随分長居してたようだけど」

足立理髪店の店舗スペース一角にある簡素なソファセット、通常は客の待機用スペースであり、スポーツ新聞、漫画、雑誌がテーブル上に乱雑に置かれている。

そこに座る一人の男が、理髪店夫婦をねぎらうように声をかけた。白髪が目立つ男は既に60に近いはずだが、がっしりとした体躯は40代といっても通じるような妙な若さを維持している。

隣で電化店を経営する宮地は、こんな風に暇さえあれば油を売りに理髪店にやってくるのが日課だ。妻を早くに亡くした彼には、就職活動をしている大学生の一人息子がいるだけである。

正則、江利子の夫婦にとっても、彼の存在は家族同然といえるほどに近いものだった。もっとも、宮地の話にいつも付き合うのは正則であり、江利子はほとんど会話には参加しないのだが。

「来るべきものが来たという感じですね・・・・・・」
調髪台のそばに立つ正則が、まだ緊張を感じさせる口調でそう答えた。妻の江利子は、宮地にお茶を出した後、すぐに居間のほうに姿を隠している。

「ありゃ、いわゆる地上げ屋ってやつだろうな」
「・・・・・・・・・・」

「バブルの時代はすっかり昔だっていうのに、あんな輩がまだいるんだねえ。それもこのエリアが首都圏に含まれるって証拠なのかもしれんが」

「十分な通勤圏内ですから。マンション建設計画が進むのもわかります」

「ただしやり方が強引だよな。数世帯に金払うからまとめて退去してくれって言うんだから」
「宮地さんはもう承諾されたんですよね」

正則は、珍しくためらいを見せることもなく、宮地にそう聞いた。毎日のように話す隣人であるだけに、正則にとっても彼は気のおけない存在であった。

「お宅には申し訳ない決断なのかもしれないが」
「い、いえ・・・・・・・・・」

「うちはもう商売すっかりあがったりだからねえ。おっかあもいないし、まあ思い残すことはない。たんまり現金がもらえるんなら、それもいいかな、って思ってるんだよ」

「商売が苦しいのはこちらも同じですよ、宮地さん」
奥にいる江利子には聞こえないように、小さな声で正則が言う。

「最近では若い世代だけじゃなくて、社会人になっても美容院に行く方が多いですから」
「それでも中年になれば皆、こういう落ち着ける場所に来るだろう」

「おかげさまで週末は大変忙しくしてるんですけど。トータルで考えれば決して楽では・・・・」
正則の言葉をよそに、宮地の視線が奥にいるはずの江利子を探すように動く。

「で、大丈夫なのかい、奥さんの方は?」
「ええ。恥ずかしながら、さっきの男も妻に追い返してもらいました」

「ははは。奥さん、無口だけど、芯は強いからなあ。しかし、旦那がもっとしっかりしないと」
宮地は正則を冷やかすようにそう言いながら、先ほどの男に話題を移した。

「お金の話は出たんだろう?」
「とりあえず先方の提案はもらいました。まだちゃんと見てはいないんですが」

「奥さんはやっぱりどうしても反対だっていうのかい?」
「やはりここで生まれ育って、両親を亡くしてますから。離れることはできないようです」

「その気持ちも分かるけどなあ。しかし、どうするつもりなんだ、自分としては」
「え、ええ・・・・・・・・・」

正則は、再び心の奥でくすぶり続けている誘惑めいた気分を思い出した。多額の現金を受け取ってここを引き払えば、別の場所で新たに商売を始めることだってできるはずだ。

店のイメージだって一新できるだろう。より幅広い層に訴求することだってできるかもしれない。こんな場所で、いつまでもひなびた店舗をしていても、将来の展望など開けないのだ。

しかし、妻の江利子は決してそうは思っていないのだ・・・・・。妻は、この場所で、昔ながらの店舗を守り続けていくことに使命を感じている。両親の道にいつまでも従おうとするように。

そうだ。妻の考えのほうが正しいのだ。妙な迷いなど許されない。俺がこんなふらふらした考えでどうする。ここは何としても妻を支えなければ。正則は自らを鼓舞するように、言葉を発する。

「私は妻の考えを何よりも大切にするつもりです」
「すると、やはり徹底的に抵抗し続けると・・・・・・・・」
「ええ。これから先、どんな手で攻められるのかわかりませんが、決して屈服しないつもりです」

正則の必死の口調を、宮地は感服するような面持ちで聞いた。流し読んでいたスポーツ紙を折り畳み、自らの決断に少し恥じ入るような雰囲気で、彼は言った。

「応援するよ、私たちも。いや、売るって決めた我々がこんなこと言うのは変だけどね。でも、あんたら夫婦の考えはよく理解できる。少なくとも汚い手口で責めてくる輩は許せないからな」

すぐにまた来る、そしてどんな手でも使うと言って立ち去った男、小野田。正則は彼の吐き出す煙草の匂いが服にまとわりついていることを感じながら、確かな嫌悪感を抱いた。

「何か有ったらすぐに教えてくれよ。遠慮はするんじゃないよ」
「ありがとうございます・・・・・・・」
「くれぐれも奥さんを大切にな。随分プレッシャーを感じてるようだったから」

宮地はそう言うと、ようやく立ち上がり、店の外の道路を眺めた。小野田の再訪を警戒するかのような彼の視線に、正則は安堵を覚えてしまう。

「今日は達樹君はどうしてるんですか? また会社まわりですか?」
「相変わらず部屋にこもってるよ。全く、就職する気あるのかねえ、あいつは」

その突き放す様な言葉にも、一人息子に対する宮地の確かな愛情が込められていることを、正則は感じた。そして、親とは異なり、ややおとなしい様子の彼の息子、達樹のことを思った。

「うまくいくといいですね。達樹君の就職も」
「ありがとよ。たまにはここで髪でも切ってもらえと言っておくよ」
「ええ、お願いします」

宮地が去った店には再び静けさが訪れた。AMラジオの昼の番組が流れているのだが、それが逆に静寂さを強めているようにも思える。

「宮地さんは帰ったんですか?」
奥から出てきた妻、江利子は少し申し訳なさそうな口調で正則にそう聞いた。

「ああ。江利子にもよろしくって言っていたよ」
「そう・・・・・・」

テーブルのお茶を片付ける妻の後姿を、正則はそっと見つめた。何としてもこの店を、そして妻の意志を守らなければならない。正則はそんな決意を改めて心に刻みつける。

小野田が再びやってきたのは、それから1週間ほど後のことだった。


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