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抵抗の果て(4)

2013 12 20
師走に入った街並みは、どこかせわしげで何かを待ちかねているような雰囲気を漂わせている。足立理髪店も例外ではなく、客足は通常の月より僅かではあるが増えていた。

そんなある平日の昼前、その若者がドアを押して入ってきた。

「おや、いらっしゃい。久しぶりだなあ、達樹君」
「こんにちは・・・・・・・」

恥ずかしげな雰囲気で正則にぺこりとお辞儀をしたのは、隣家である宮地デンキの一人息子、達樹であった。都内の私立大学に通う3年生であり、就職活動真っ只中のはずだった。

しかし、お世辞にも整っているとはいえない長髪は、とても就職活動を意識したものとは思えなかった。さっきまで寝ていたのか、ぼさぼさで人目を気にする様子さえもない。

子供の頃は毎月この店に来ては、髪を切っていた達樹だが、いつからか、すっかり足が遠のいていた。江利子と結婚した正則がここにやってきてからは、数えるほどしか来ていないだろうか。

「どうだい、就職活動のほうは?」
「まあ、ぼちぼちやってます」

「なかなか厳しそうだよね。この前もテレビでやってたよ」
「そうですね。甘くはないですよ」

おとなしく、無口な様子は、正則が最初に見たときから変わってはいない。自分に自信を持てないのか。少しおどおどしている様も、正則が気になるところではあった。

あの豪快な父親とは随分と異なるキャラクターだな。正則は、以前も感じたそんな印象を再び胸の中でつぶやいた。もっとも、押しが弱いところは、正則自身にも共通することなのだが。

「今日は、髪切りにきたんだよね」
「ええ。お願いします」
「僕じゃないほうがいいかな」

他に客はいない。正則は店の奥に向かって、達樹が来店したことを妻に告げた。しばらくの後、江利子が姿を見せた。再びお辞儀をする達樹に、江利子は優しげに声をかけた。

「随分久しぶりね。お元気?」
「は、はい・・・・・・・・」

37歳の江利子にとっては、達樹は子供のような存在と言っても過言ではなかった。隣の家で生まれ育った彼のことを、江利子は幼少の頃から全て見守ってきている。

達樹が小中学生の頃、江利子は仕事の合間に勉強を教えてやったりもした。年は離れているが、1人息子の達樹にとっては江利子は姉のような存在であったのかもしれない。

「じゃあ久しぶりに切ってあげようかな」
達樹が相手だと、江利子も珍しく快活で、饒舌になるような気がする。正則には、そんな妻の姿を見るのがうれしかった。

「どれぐらい切ろうか?」
「短くしちゃってください」

「いいの?」
「うん。思い切り刈り上げていいですから」

「じゃあ、面接でいい印象を与えられるような、すっきりした髪型にしてあげるわ」
「お願いします」

言葉が弾むのは、達樹も同じであった。江利子ならば昔から知っているからなのか、達樹はリラックスした様子で会話を交わす。まさに、仲のいい姉妹のような関係に見える。

2人だけで会話を楽しませた方がいいような気がして、正則は一人居間のスペースにまで戻った。熱いお茶を飲んだ彼は、再びあの思いにとらわれていく。

小野田のことだ。もうすぐ1週間になろうとしている。そろそろあの男が来るんじゃないだろうか。正則はそんな予感に今朝から包まれている。

どんな手でも使うと宣言した彼が、いったいどのようなアプローチをしてくるのか。正則は、ドラマ、雑誌等で得た知識だけに振り回され、過剰に委縮している自分を感じている。

脅迫めいたことをされたなら、宮地さんに相談すればいい。場合によっては、警察に訴えてもいい。昨今の警察が本気で市民を守ってくれるのか疑問だが、小野田にとっては嫌なはずだ。

緊張をどこかに感じたまま、正則はそこにしばらくの間座り続けた。店からは妻と大学生のあまり活発とはいえない会話が、小さな声で聞こえてくる。平穏な空気がそこにあった。

やがて、調髪が終わり、洗髪、顔剃りへと進んでいったようだ。そろそろ達樹が帰るという頃合いを見計らって、正則は再び店舗スペースに姿を見せた。

「おお、随分さっぱりしたねえ、達樹君」
「おかげさまで・・・・・・・、江利子さんのおかげです・・・・・・・・・」

子供のころから、達樹は江利子のことをそんな風に名前で呼んでいる。立ち上がった彼の体に付着した髪を、江利子がブラシで丁寧に払いとる。達樹は照れた様子で立ったままだ。

「じゃあ、また来ますね」
「就職頑張ってね、達樹君」

支払いを済ませた達樹に、江利子がそう声をかけて送り出す。彼が店を出ようとドアに近づいたとき、向こう側からドアが押され、別の客が店内に入ってきた。

「いらっしゃいませ」
正則が出迎えた直後、店内に微妙な空気が走った。そこにいるのは客ではなく、あの男だった。

「決心はしてもらえましたか?」
小野田は先日と同じスーツ姿だった。コートを着ていないその格好は、しかし、なぜか寒そうにも見えなかった。男が持つ圧力に、正則は早くも押されていた。

「ですから・・・・・・・・、我々にはそんなつもりは・・・・・・・・・・・」
「困りますね、ご主人。本当のことを言ってもらわないと・・・・・・・・・・・」

「私は別に嘘なんか・・・・・・・・・・」
「お金が欲しいんでしょう、本音は?」

「・・・・・・・・・・・・・」
「多額のキャッシュをもらって、こんなしけた店から脱出したい。そう顔に書いてある」

「・・・・・・・・・・・・・」
「ただ、奥さんがそれを許さないから本音を隠している。違いますか?」

正則は言葉に詰まった。夫のすぐ背後に立つ江利子は、ブラシを手にしたまま、言葉を発しようともしない。そして、小野田のすぐそばには、達樹の姿がまだあった。

「今日はね、ご主人。あなたと話をしに来たんじゃないんです」
「えっ?」
「奥さん、二人だけで話ができませんか? もう一度、我々の考えを丁寧に説明させてもらえませんかね」

小野田の提案は意外なものだった。正則は、もはやこの男に全てを見透かされているような気がして、何も言うことができなかった。しばらくの沈黙を破ったのは、江利子だった。

「わかりました・・・・・・・・」
「江利子・・・・・・・・」
「あなた・・・・・・、大丈夫。この方のお考えをもう一度私なりに聞いてみますから・・・・・」

いつもと同じく、純白のシャツに黒色のジャンパースカート、そしてパンツという格好の妻の姿が、正則にはどこか危ういものに映った。小野田は笑みを浮かべ、江利子に声をかける。

「よし決まった。じゃあ、奥さん、奥の部屋で話すとしますか」
「では、こちらでお願いします・・・・・・・・・・・」

江利子は自ら先導する形で、小野田を店の奥に案内していく。声をかけようとする夫を軽く制し、覚悟を決めたような雰囲気でやがて男とともに姿を消し、仕切りであるドアを閉めた。

「大丈夫かな、江利子さん?」
達樹が不安げな様子で正則に声をかける。自分たちの生活の恥部を隣家の大学生に見られたような気がして、正則は罰が悪そうな様子だった。

「大丈夫だよ。さあ、いいから達樹君は家に帰りなさい」
「でも・・・・・・・・・」
「大丈夫。さあ、早く・・・・・・・・・」

強引に達樹を追い出し、正則は店内で一人になった。例によって、AMラジオの呑気なトーク番組が控えめな音量で流れている。客が来る気配はない。

ソファに座り、正則は閉ざされたドアを見つめる。その向こうで、小野田が妻にどんな話をしているのかを想像する。男とそんな風に二人きりになることなど、妻には初めてのはずだった。

やがて15分が経過する。奥から男が出てくる様子はない。いったい何を話しているというのか。ラジオの音声に気をとられ、そこから漏れてくる声を察知することができない。

正則の鼓動が高まっていく。妻を救出したほうがいい。そんな叫びを感じながら、同時に正則は思う。そのドアを開けないほうがいいのではないか、と・・・・・・。

30分近くが経過しても気配が感じられない。我慢しきれず、正則は立ち上がり、そっとそこに近づいていく。ドアのすぐそばに近づいた彼は、ようやく中の会話らしき音声をとらえる。

「こんな床屋に埋もれてるなんて、もったいない・・・・・・」
小野田の声だった。妻の声は一切聞こえて来ない。

「奥さん目当てに客が来るっていうのもよくわかる・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「もっと見せてもらえませんか、その体を・・・・・・・・・・・」

二人が居間のどこにいるのか、正則には見当がつかなかった。何かが少しずつ畳の上を這って、動いていくような気配だけが、確実に伝わってくる。

それは妻、江利子が男に対して懸命に見せている抵抗の動きに相違なかった。


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Comment
早速
早速始まりましたね。
さてここからどうなるやら・・
のりのりさん(^-^)v
お疲れさまです。タイトルを見るだけで想像力が掻き立てられますね。新作楽しませてもらってますよ。

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