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抵抗の果て(10)

2014 01 08
「こんなに遅くに大丈夫なのかい、電話なんかして」
「・・・・・・・・・・・・・」
「旦那には勿論内緒でかけてきてるんだろう」

小野田の言葉に、江利子は反応することさえできなかった。男の指摘通り、江利子は正則に気付かれないようにこの会話を試みている。

「聞いてるのかい、奥さん」
「は、はい・・・・・・・・・・・」

「随分素直な態度じゃないか」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

「とても客を殺そうとした理髪店店員とは思えない」
「あれは・・・・・・・・・・・・」

「何だっていうんだい、奥さん」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

「胸をたっぷり揉まれて気持ちよくなったお返しだとでもいうのかい」
「馬鹿にしないでください・・・・・・・・・」

自らの感情を制御できない様子で、江利子が思わずそう漏らした。自らの行為に対する反省と、男から与えられた恥辱への怒り。相反する感情が、人妻の胸中で渦巻いている。

「やはり芯は相当に強い女だな、奥さんは。もっと抵抗していいんだぜ」
小野田が満足そうにそうつぶやく。背後からは何の音も聞こえてこない。江利子がいる闇に包まれた居間にもまた、静寂だけが存在している。

「そろそろ聞こうじゃないか。別の条件とやらを・・・・・、おっとその前に」
江利子の緊張を高めるように、小野田が言葉を続ける。

「せっかく旦那に内緒で電話をかけてるんだ。何か披露してもらおうか」
「いったい何を私に・・・・・・・・・・」

「わかるだろう。俺が要求していることぐらい。この前の続きだよ」
「・・・・・・・・・・・・」

立っていることができないように、江利子は闇の中で数歩後退した。柱にもたれながら、そのまま畳の上に座り込む。電話を握りしめたまま、男の言葉を待つことしかできなかった。

「胸を揉んでみろよ、自分で」
男の要求は、ためらいのないものだった。

「その抜群のスタイルの体を自分でいじめてみるんだ。どうだ、旦那にしか触られたくないのか」
「・・・・・・・・・・・・」

「どれぐらいの頻度で旦那に愛されてるんだい、奥さん。あまり強そうな旦那にも見えないが」
「・・・・・・・・・・・・」

「たまには自分で慰めてるんじゃないのかい? 女盛りだろう、奥さんぐらいの年齢は」
「・・・・・・・・・・・・」

電話越しにいる男の全てが憎らしい。江利子はしかし、男の言葉に誘導されるつもりはなかった。困惑を感じながらも、江利子は何とかこの会話の主導権を奪い返そうとした。

「お願いします、私から最初に話をさせてもらえますか」
「その後で俺の要求に従うとでもいうのかい」

「それは・・・・・・、私の提案をお聞きいただいた後に、判断してください・・・・・・・・・」
「じゃあ、聞こうじゃないか、奥さんのお考えとやらを」

「ここの土地はどうしても売ることができません・・・・・・・・・・」
「ならば裁判沙汰にしてもいいんだな、今回のことを」
「それは困ります・・・・・・・・・・、ですから、別の提案を・・・・・・・・・・・」

数十秒にも及ぶ沈黙があった。小野田は半ば笑みを浮かべながら、電話越しの人妻の苦悶の様子を想像した。事実、江利子がその提案を実際に言葉にするまでには、相当の時間を要した。

だが、遂に人妻はそれを自らの口から発した。

「随分大胆なことを言うじゃないか、奥さん」
「・・・・・・・・・・・・・」

「旦那には相談したのかい? してないんだろう、こんなこと?」
「主人には・・・・・・・・・、主人には私から責任を持って説明しますので・・・・・・・・・・・」

深夜にもかかわらず、小野田は素早く脳を働かせた。いくつかのオプションを比較し、優劣を瞬時にはじき出す。しかし、結局は彼自身の欲情が全てを結論づけた。

小野田は人妻の提案に同意をした。そして、その夜、それ以上の要求をすることはなかった。

先延ばしにすればするほど「その瞬間」の快楽が増すことを、男は既に知っている。

その電話の数日後、営業を終えた足立理髪店に、再び宮地と岩内が姿を見せた。小野田への回答内容を決めるためにやってきた二人、そして夫、正則に、江利子は自らの決断を告白した。

「江利子・・・・・・、お前、自分が何を言ってるのかわかってるのか・・・・・・・・・・」
そう絶句する正則が、妻の顔を見つめる。覚悟を決めたように、妻の横顔に迷いはなかった。

「すみません・・・・・・・・・、こうするしかないと考えたんです・・・・・・・・・」
「既に小野田にも話をしたというのか・・・・・・」

「は、はい・・・・・・・・・・・・・」
「いったいいつの間にそんなことを・・・・・・」

「これは私が責任を負うべきことです。どうか、私自身で解決をさせてください・・・・・・・・」
「江利子・・・・・・・・・・」

3人の男は、それ以上江利子を問い詰めることができなかった。彼は皆、理解をしていた。江利子の意志の強さ、そして、決めたことはもはや覆すことができないのだろうと。

「奥さんの気持ちもわかってやろうや。それで、奥さん、小野田は何と言っていたんだい?」
その場の雰囲気を和らげようと、宮地が穏やかなトーンでそう聞く。

「あの男は・・・・・・・・、私の提案に合意しました・・・・・・・・・・」
「じゃあ裁判にもしないし、土地の件もあきらめると・・・・・・・・・」

「いえ、土地の件はわかりません。ただ、土地のことを裁判をあきらめることに対する交換条件にはしないと。それはそれでしつこく交渉を続けるつもりではないでしょうか」

「それじゃ困るんだがなあ」
宮地が相変わらず煙草を気持ちよさげに吸いながら、そうつぶやく。

「いや、裁判をしないというだけでも評価できますよ」
「岩内、お前、じゃあ、奥さんの案に従えっていうのかい」

「それも一つの策ってことですよ。裁判沙汰になったときの苦労を考えればね」
「しかし、それであっても、奥さんの案じゃあまりに・・・・・」

「まあ、もう少し条件を厳しくする必要はあるでしょうな」
「条件を厳しく?」

「たとえばですな。ご主人が同行することを求めるんですよ」
「それならあいつも下手なことできないってわけか。しかし、果たしてそれを呑むかどうか」

二人の会話を、正則と江利子の夫婦はただ黙って聞いている。正則は、考えを整理することができなかった。妻の真意、覚悟、そして小野田の欲望を、ただ複雑に思い描くだけだった。

あの日、居間にこもった小野田と江利子。その時に盗み聞きした会話のことを、正則は思い出す。あの男が妻の何を望んでいるのか、正則ははっきりと理解している。

だがそれは、妻も同じはずだ。それを承知で妻はあの男に・・・・・・・・・・・・・。

「奥様の意志が固いとおっしゃるのなら、ともかく小野田にはその線で回答してみましょう」
岩内のこの方針が、結局その日の結論となった。

そして数日後、小野田からの回答が正則宛てに届いた。


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Comment
じわりじわり
じわり感がいいです。
次が待ち遠しい。

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