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抵抗の果て(28)

2014 02 13
危機は去ったはずだった。

マンション計画は企業倒産によって頓挫。足立理髪店は、以前のまま、営業を続けることが許された。妻が生まれ育った土地が奪われるリスクを回避できたのだ。

その騒動から、間もなく半年が経とうとしている。季節は巡り、暑い夏の気配が街に迫っていた。その夏が果たして乗り越えられるかどうか、正則は不安を感じていた。

「この数か月でめっきり客足が落ちたな」
「ええ・・・・・・」

月末の売上締め作業をしながら、正則は数字をじっと見つめている。台所で洗い物をしている妻は、そんな夫の不安を十分すぎるほどに理解しているようだった。

「土地の件が収まったから、一安心だと思ったんだが」
「はい・・・・・・・・」

「高齢客ばかりだからなあ。どうしても減少傾向だ。それに若者は足が遠のく一方だ」
「・・・・・・・・・・」

「このままじゃ赤が出る一方だ。なあ、江利子、思うんだけど・・・・・」
「はい・・・・・・・・」

「もう一度、真剣に考え直すか」
「お店のことを、でしょうか・・・・・・」

洗い物をしていた手を止め、江利子が前を向いたまま、つぶやくように漏らす。

「ああ。思いきって売り払うことを考えても」
「それはいやです」

「江利子・・・・・・・」
振り返った妻の思いがけぬ強い口調に、正則は一瞬たじろいだ。

「この土地を離れるわけにはいきません。ここは、両親が守り続けてきた場所なんです」
「その気持ちはわかるさ。だが、現実を考えたなら」

「私、別で働きますから・・・・・・」

「えっ?」
妻の言葉の意味が、正則にはすぐに理解できない。

「平日の夜か、ここが休みの日でもいいんですが、別の仕事を見つけます」
「江利子・・・・・・・、しかし、仕事なんかそう簡単に・・・・・・・・・」

「実は、見つかりそうなんです・・・・・・・・」
「えっ?」

「専門学校時代の友人が経営しているエステサロンがあって、よかったらそこのヘルプをしてくれないかって、前から声をかけてもらっていて・・・・・・・・」

妻は、そのような積極的な行動に打って出るようなタイプではない。正則はそれをよくわかっている。だからこそ、妻のその言葉にはかなりの無理があるように聞こえた。

「江利子、そこまでするくらいなら、別の方法を考えても」
「お願いします、あなた・・・・・」

「江利子・・・・・・・・・」
「私、自分の力でこの店を守りたいんです・・・・・・」

それは、夫である正則のプライドをかすかに傷つける言葉であった。だが、それは妻がただ一心にこの店のことを考えて、口にした言葉だ。何も他意はない。正則はそう言い聞かせる。

「それで、いつから始めるつもりなんだ・・・・・」
「すぐにでも始めようか、と・・・・・。いつからでもいいって言われてますから」

「場所はどこなんだい?」
「○○駅のすぐ近くです」

それは、最寄り駅から私鉄に乗って20分程度の場所にある駅だった。巨大な駅ターミナルビルがあり、JRを含めた複数の路線が集合し、乗降客もかなり多い。

妻は最初から決めていたのだ。正則は、後になってそう気付いたが、もはやその願いを拒否することはできなかった。現在の客足ならば、妻が短時間抜けることは十分可能だった。

こうして、夏が始まろうとする頃、江利子にとっての新たな生活が始まった。

「奥さんは今日も働きに行っているのかい?」
ある平日の夕方、ふらりとやってきたのは隣家の宮地だった。

しばらくの間、珍しくその男は足立理髪店に姿を見せることはなかった。しかし、季節が春から夏に変わろうとする頃、再び彼はこの店で油を売るようになっていた。

勿論、正則は彼の行動の背景に隠された事実を知る由もない。

「ええ。先々週からアルバイトに行かせてるんです」
「大変だねえ、奥さんも。確かエステとか言ってたなあ」

「はい。大半が若い女性客で、施術のサポートをしているようですが」
「多少はここの経験が活かせるのかもしれないねえ」

妻のことを話す宮地の口調が、どことなく緊張したものに聞こえる。それに、最近はなぜか妻がいない時間を見計らってこちらに来るようだ。正則は、しかし、深く考えることはなかった。

妻がエステ店への仕事に出かけるようになって3週間が経過している。妻の様子には、今のところ特に変化はない。少しずつ、新しい生活のペースに慣れているようだった。

口数が少なく、また、外出の際にもきわめて地味な服装を選択する妻。果たしてそんな妻がエステ店などで勤務できるのかどうか、正則には僅かな懸念もあった。

もう一つの心配が勤務時間だった。平日の夕方から働きにいくことが多いが、店は終電近くまで営業をしているようで、妻の帰宅は午前零時を過ぎることも珍しくなかった。

「OLさんは会社帰りにいらっしゃるから。どうしても時間が遅くなるんです」
妻のそんな説明を、正則はそんなものか、と軽く受けとけめていた。

店の場所を聞いたところ、どうやらターミナルのそばに建つ新築ビルの高層階にあるらしい。確かにそこならば、洒落たレストランも多く、若い女性客も集まりそうな雰囲気があった。

「あなた、じゃあ、そろそろ行ってきますから」
宮地が姿を見せるしばらく前、江利子はまたエステ店に出勤しようとしていた。

「ああ。帰るときには連絡をしてくれよ」
「ええ」

平日と言っても、夕刻ともなれば、たまに客足が集中する日もある。その日もまた、一人の老人がソファで順番を待っている。江利子は申し訳なさそうに軽く会釈をし、店を出た。

「奥さん、何、アルバイトでもしてるのかい?」
「え、ええ。まあ、そんなところです・・・・・・・」

客からの質問に適当に応えながら、正則は手にしたはさみを素早く運動させ、調髪を急いだ。商店街に消えた妻の後姿は、やがて駅に向かってまっすぐに歩いて行った。

その約1時間後、人妻は既にその店での勤務を開始している。

「また奥さんを指名させてもらったよ」
「いつもありがとうございます」

客への応対もスムーズなものになり、ためらいの気配をようやく隠すことができるようになった。女性客などまず来ない。ほぼ100%、全て男性客が相手だ。

「まだまだ表情が硬いし、それに愛想が足りないなあ、奥さん」
「申し訳ございません・・・・・・・・」

「いや、その冷たそうなところが、逆にそそるんだけどね」
「・・・・・・・・・・・・」

「固そうだからなあ、奥さんは。いや、実際にガードは相当固いんだろう?」
「では・・・・・、こちらへお願いします・・・・・・・・」

男の言葉を無視し、人妻は彼を部屋に案内した。会社員風の男は、50代後半に見える。大会社の役員だろうか。家電ショップの店主とは圧倒的に異なる、十分な貫録を備えた男だ。

ベッドの上で、うつぶせになった男が枕に顎を乗せる。背後に立つ人妻に、男が注文を付ける。

「奥さん、今日は最初から服を脱いでもらおうかな」


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Comment
え?
え?
えー?
そういう店のバイトだったんですか?やるなー江利子さん。
No title
えっ 意外な展開です。。。。次が楽しみです(^o^)/
いいですね。
江利子さん、やりすぎでしょう。
ご主人のためじゃなく、小野田のために働いているんですね。小野田の女になった江利子のこれからが楽しみです。
No title
今までの作品の中で一番おもしろいと思います! あっさりと終わらずに、じっくりと描き切って下さい!!
私も疼いちゃいます
江利子さん…疼きが止まらないんですね。
わかりますよ。

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