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抵抗の果て(39)

2014 03 18
秋の気配が日増しに色濃くなっている。ハンドルを握る男は、スーツを着こなした中肉中背の男だった。高速道路の脇に消え去る風景が、確実に季節が移っていることを彼に教える。

前回、この人妻を車に乗せたのはいつのことだっただろう。そうだ。奥多摩の山中には、まだ深雪が残っていた。ということは、半年ほど前のことだろうか。

確か、あのときは夫が一緒だった。奇妙な夫婦だったことを、彼はまだはっきりと覚えている。二人は終始深刻な顔をし、ほとんど会話を交わすことはなかった。

だからこそ、運転手には記憶が鮮明だった。人妻の美貌の記憶が、だ。

硬い表情で無言を貫く姿が、妙にその人妻には似合っていた。緊張に包まれたその肢体が、スタイル抜群のものであることを、運転手はあの日、瞬時に理解したものだ。

それは、翌朝、あの山小屋から彼らの自宅に戻る際も同じだった。いや、前日にも増して、あの朝、その人妻は妙に色っぽく、また、艶めいた表情をしていたことを思い出す。

あの夜、あの山小屋で何が起こったのだろうか。運転手はそれを知る由もない。だが、何となく想像はつく。自分に運転を命じた「彼」が何を生業としているのか、運転手は把握している。

土地がらみの件で、この人妻に取引することを要求したのだろう。ただし、夫がずっと一緒にいた以上、大した行為はできなかったはずだが・・・・。

しかし、今日。人妻は一人でこの車に乗り込んできた。

瀟洒なワンピース姿がよく似合っている。無言を貫き、まっすぐに車窓の景色を見つめている。その視線には、女としての気高い意志を伴った、強い光が宿っている。

「彼」は今夜は何をたくらんでいるのだろうか。運転手は空いた高速を飛ばしながら、ミラーの中の人妻をちらちらと見つめる。それだけで、妙な興奮を感じてしまう。

「奥さん、音楽でもかけましょうか?」
決してしゃべるなと「彼」から指示されたにもかかわらず、運転手はつい言葉を発してしまった。

「いえ、結構です」
人妻の視線がこちらに注がれた。年甲斐もなく、運転手は鼓動を早めた。

「そうですか? 目的地までにはまだしばらくかかりますけどね」
「いいの。静かなままで結構ですから」

「わかりました」
再び前方を見つめながら、運転手は喉の渇きさえ感じていた。その外見以上に、内面から溢れ出す色気というか男好きのする雰囲気が、この人妻には溢れ返っている。

30代後半なのだろう。女盛りだ。一番、その肉体が魅力的な時期なのかもしれない。服の上からでも、細身に似つかないほどの胸の見事な膨らみが、はっきり確認できる。

理髪店の店員のはずだ。こんな女が働いている理髪店ならば、さぞ男性客で繁盛するだろう。調子がいい客であれば、さりげなくこの人妻の体に触れたりしているのかもしれない。

「見ないでいただけますか?」
「えっ?」

「どうか、運転に集中なさってください。事故になど、あいたくはないですから」
「は、はい・・・・、すみません・・・・・・・・」」

人妻のクールな指摘に、運転手は戸惑いを隠すことができなかった。猥褻な妄想を人妻に見透かされたようで、思わず顔を紅潮させてしまう。やはり、手ごわい相手のようだった。

動揺を隠せない運転手を見つめた後、足立江利子は再び車窓の外に視線を投げた。遠くに見え始めた山稜の頂きに、太陽がその姿を僅かに重ねようとしている。

「専門学校のクラス会があるんです・・・・・」
江利子は思い出す。今日の外出の件を、夫に説明した際のことを。

「それは珍しいな。卒業後、初めてじゃないのかい?」
「ええ。本当に久しぶりだから、参加しようかと思ってるんですが」

「勿論、行ってくればいいさ。エステ店も専門学校の時の友達から紹介されたって言ってたね」
「そうなんです。彼女からこの話を聞いて・・・・・」

「そうか。金曜日に1泊なら、店の方も何とか大丈夫だろう」
「迷惑かけますが、お願いします・・・・・・・」

エステ店のことを突然口にされてもなお、自分は冷静さを貫いた。だが、あの時の夫の様子を、江利子は改めて思い出してみる。

終始、演技に徹しているような印象だった。江利子は思う。夫が気付いていないはずはないと。だが、それであってもなお、今夜この行動に踏み切る必要を、江利子は感じている。

数か月ぶりに聞いた「彼」の声。かつてとは、しかし、立場が違う。今や、隣家の青年の就職をサポートした恩人なのだ。その男の要求に、答えぬわけにはいかないだろう。

しかし、それが本当の理由なのだろうか・・・・・・・。達樹君のため。ただそれだけが理由のはず・・・・・。心の底でそう繰り返しながら、人妻は感じる。

自らの肉体が、別の理由を声高に叫んでいることを・・・・・・・。

「次のインターで降りますから」
物思いに耽っている様子の人妻に、運転手はそう案内をした。そして彼は時計にちらりと目をやる。午後3時前。指示された時間までには、目的地に到着することができるのだろう。

人妻は無言だった。その魅力を懸命に見過ごしながら、運転手はハンドルを握り続ける。更に1時間弱、彼は黒色のセダン車を走らせた。

山あいの曲がりくねった道をどんどんと進み、秘境とも形容できそうな地帯に入っていく。既に紅く色づき始めた木々の葉が、周囲の林に目立ち始める。

そして、そこに着いた。

「奥さん、こちらですよ」
「間違いないんですね?・・・・」

「ええ。間違いありません。確かにここにお連れするように、と」
「でも・・・・・・・・」

「たぶん中に入って聞けば、何かお分かりになると思いますよ」
「彼」の姿を探るように視線を走らせる人妻に、運転手はそう声をかけた。

やがて、車から人妻は降りた。黒革のボストンバッグを手にした長身の人妻の姿が、周囲の空気を一変させる。運転手は、そのまましばらく、人妻の様子を見つめた。

人妻は、ある建物の前で立ち尽くしていた。決して規模は大きくない、木造の平屋だ。だが、確かな年月を経てきたことを感じさせる、由緒ある建物と言ってよかった。

「いらっしゃいませ。足立様でいらっしゃいますね?」
その玄関から、一人の中年の女性が出てきた。

「えっ?」
名前を突然口にされたことで、人妻は明らかに戸惑っているようだった。

「そろそろご到着と聞いておりました。さあ、どうぞ、中へ」
半ば強引に案内され、人妻は屋内に姿を消した。

建物の上空を、運転手は見つめる。白い蒸気が勢いよく噴出し、まだ青さを残した空に向かっている。建物隣には、駐車場を兼ねた空き地が広がり、車が何台か停められている。

どうやら日帰り客もここを利用するようだ。運転手はそんな光景をぼんやりと見つめながら、自らの興奮が消え去るどころか、増していることに気付く。

*************

「どうぞ、こちらの部屋でございます」
人妻が案内されたのは、建物最奥にある12畳の広い和室であった。窓の外にはよく整備された庭園、そして、更にその背景には、紅葉の始まった山々が広がっている。

「あと1週間もすれば、紅葉狩りのお客様で一杯でございますよ」
人妻にお茶を用意しながら、中年の女性は如才ない風にそう言った。そして、ふと思い出したように、少し慌てて着物のたもとに手を伸ばし、一通の封筒を手にした。

「こちら、お連れ様からでございます」
「えっ?」

「奥様がお着きになりましたら、こちらをお渡しするように、と」
「そうですか・・・・・・。ありがとうございます・・・・・・・・」

やがて、一人になった人妻は、緊張を高めた様子で座布団の上に腰を沈めた。そして、封筒の中にある白い紙片を取り出し、そこに書いてある「彼」の指示を見つめた。

部屋の外の青空に広がる真っ白な蒸気が、江利子の視界に僅かに捉えられる。


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Comment
「彼」・・・
「自らの肉体が、別の理由を声高に叫んでいることを・・・・・・・。」絶頂を求める肉体を持て余してしまった江利子さん。ここで何が始まるのか。「彼」・・・意味深ですね。
ふーん、そうですか?
たぶん今度は達樹くんに見せながらのエッチですか?それとも宿泊客に?
達樹くんにもやらせるな、こりゃ。
一連の展開に
ワクワクさせられています。
話の広げ方まとめ方流し方がさすがのりのりさんだなと思います。
今後も楽しみにしています。

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