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抵抗の果て(58)

2014 05 26
目の前に座る男に対し、足立正則は何を言うべきかわからなかった。

問いかけるべき質問は数えきれないほどにあるはずだ。だが、いったい何から訊くべきなのか。正則はそれを選択しようと何度か試み、そしてあきらめた。

そもそも、この男が何を知っているのか、それさえもわからないのだ。

声を発することができない理由。あるいはそれは、こう説明できるのかもしれない。所詮、この男に何かを聞いたところで、時計の針を戻すことなどできないのだから・・・・・・、と。

「ご主人。どうぞ、お気遣いなく」
閉店した理髪店の奥、住居スペースの1階に位置する狭い畳敷きの居間だ。座布団に座る男に対し、正則はしかし、全く構わないわけにはいかなかった。

台所に立ちながら、背後から男の視線を感じる。そこにあなたが立つ必要はないのに。彼の視線に、自分に対するそんな憐みの色が含まれているような気がする。

「どうぞ」
熱いお茶をすすりながら、二人はしかし視線を交錯させることはなかった。ただテーブルの上を見つめ、息詰まるような沈黙を維持した。まるで秋の夜の虫の音を鑑賞しているかのように。

今一度、目の前に座る男の様子を観察する。一度会ったことのあるはずの彼の顔を、正則ははっきり記憶してはいなかった。あのときは正面からちゃんと見たわけではなかった。

彼がハンドルを握り、プロフェッショナルに徹する態度でセダン車を駆っていた風景を、正則は思い出す。そのとき自分の隣に座っていた妻の姿と共に。

黒色のスーツを彼は脱ごうともしない。真っ白なワイシャツの上に、黒色のネクタイが浮かび上がっている。その服に彼はどこか違和感を覚えているようだった。着る機会が少ないのだろうか。

喪服を着る機会など、少ないに越したことはない。

最初に口を開いたのは、訪問者のほうだった。

「今日は営業されたんですね」
「この店のことですか」

「ええ」
「本当は当分閉店すべきなんでしょう」

「・・・・・・・・・・・・」
「ただ、こうしたほうが喜ぶんじゃないかって・・・・・・・・。それに平日でもお客さんは来ますから」

「いいですな。繁盛されているようで」
「苦しいですよ、正直なところ。それにこれからどうなるのか・・・・・・・・・・・・」

互いの距離感を確かめるような、ぎこちない会話だ。いつ、どちらから本題に入るのか。彼がそんなことを探っているように、正則は感じた。彼の次の言葉を、正則はただ待ち続けた。

「静かですな、この辺りは」
焦らすような風に、男はなおも当たり障りのない会話を続ける。茶碗を握る彼の手、そして、表情を見つめる。正則は知る。彼もまた、本題に入るのをこわがっていることを。

「今日だったんですね。彼の・・・・・・・」
男の質問には答えず、正則は自分からそう切り出した。彼の服装を見つめながら。

「寂しいもんでしたよ」
正則に向かって頷きながら、男は答える。茶碗をじっと見つめ、しばらくの間そこに視線を留める。堆積した過去の記憶を思い出すように。

「地上げ屋の兵隊の葬儀なんて出るもんじゃない。誰だって、そんなものに関わりたくはない。そんなとこに顔出そうものなら、あらぬ噂を立てられちまう」

「家族の方は?」

「彼は一人もんでしたよ。私もはっきり聞いたわけじゃないですが、結婚したこともなかったんじゃないかな。彼はずっと、一人でいることを好んでいましたから」

「・・・・・・・・・・」

「一人でいることが性に合っていたんですよ・・・・・。ずっとそうだったんですが・・・・・・・・・・・」

「最後に変わった、と・・・・・・・・・・・・・・」

正則のその指摘に、彼は言葉に詰まったように表情をこわばらせる。自分でも想像していなかった感情に戸惑うように、彼は大きく息を吐き、そして言葉を続けた。

「ご主人は勿論何も知らないんですね」
「警察から聞いたこと以外は・・・・・・・・・・」

この男はそれ以上のことを知っているはずだ。正則はそんな確信があった。だからこそ、彼はここまでやってきたのだ。それを彼女の夫である俺に伝えるために・・・・・・・・・。

「あんなことは今まで一度だってなかった」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

「彼が私の車を運転するなんてことは」
「それは彼の希望だったんですか?」

「ええ・・・・・・・。あの日の朝、宿から出てきた彼が突然そう言ったんです。自分が運転して帰りたいから、悪いがお前はタクシーなり電車なりで帰ってくれと」
「あの場所まで彼はどうやって行ったんでしょう」

「自分の車じゃありません。たぶん、同行した誰かに同乗してきたんでしょう」
「同行した誰か?」

「前日の金曜日に、別のグループが実はいたんですよ。その夜に皆、帰りましたけどね」
「彼の知り合いですか」

「まあ、仕事仲間ですね」
男は何かを隠している様子だったが、正則は深く追及しなかった。

「とにかく土曜の朝にそんな風に言われたわけです。雇い主の言うことに従順であるべきというのは、この世界の基本ですからね。私に選択肢はなかった。素直に従いましたよ」
「それで・・・・・・・・・・・・・」

「そこに奥様がご一緒されたわけです。二人のそのときまでのやりとりはわかりません。その場でも、二人は視線を交わすことなく、一切会話もしませんでした。ただ・・・・・・・・・」
「ただ・・・・・・・・」

「そうやって帰ることは、既に二人で決めていたと思います。奥様は、特に抵抗する様子はなかったですから。私はそこでお二人を見送って・・・・・。それでおしまいですよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

正則は、その光景を思い描かぬわけにはいかなかった。あの男と一緒の車に乗り込むことを選択した妻の姿。そこには、何らかの理由があるような気がしてならなかった。

正則には、もう一つ確認したいことがあった。

「助手席に座ったのも妻が選択したんでしょうか」
その質問を、男は既に予期していたようだった。空になった茶碗を指先でいじりながら、彼は小さくうなずいた。

「最初から決めていたのかどうかわかりません。ただ、少なくとも、彼のほうにそれに驚いたような様子はありませんでした。当然といった風に、助手席に奥様を乗せていました」

静寂は続いている。確実に深まってきた秋の夜の闇が、この家全体を色濃く包んでいるように思える。もはや確認することがないことを感じながら、正則は再びテーブルの上を見つめた。

専門学校のクラス会。外泊の理由に妻がそう言ったとき、正則は既にそれが事実ではないのだと感じていた。だが、そこには妻の悪意がないことも、彼は確信していた。

何らかの理由で、妻はそこに行きたがっている。妻の身勝手な理由ではなく、もっと切迫した何かのために。承諾を求めてきた妻の瞳には、そんな気配が僅かにあった。

奥多摩の山荘の記憶。妻の瞳の奥に漂っていた緊張に、あのとき正則はそれを思い起こした。あの男が関わっているのか・・・・。だが、正則は妻にそれを問いただすことは遂にできなかった。

「私が運転していれば、こんなことにはならなかった。そうお思いでしょう」
「いや・・・・・・・・・・・・・・」

罪を悔いるような男の言葉を制し、正則は静かに言った。

「責任は私が負うべきです」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「そこに彼が待っていることを、私は知っていたのですから・・・・・・・・」

もはや交わす会話はなかった。やがて、男は立ち上がり、調髪台が並ぶ店内に向かう。静寂と闇に支配された空間に戸惑うように、男が一瞬立ち止まり、前を向いたままぽつりと漏らした。

「お綺麗な奥さんでした」
深夜の商店街に出て、ふらふらと歩いていく男の姿を、正則はただ見つめた。やがて、喪服の黒色と夜の闇が混濁し、男の姿は消え去っていった。

正則が一人の女性の訪問を受けたのは、その翌日だった。


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Comment
No title
ここまでの話が全く無意味になってしまったので、
キチンとしてください。
正則氏以外登場人物はすべて悪事を働いているので、
最後には正則氏が幸せになれる事を願います。

この女性は?
正則氏に良い想いをさせてあげてください。
命の選択
江利子さんは、女の悦びと引き換えに、男を道連れに死を選んだのでしょうか?そして、訪問して来た人の口から、江利子さんの過去・背負って来たものが、明かさられるんでしょうか?
ショートカットの似合う活発な子
とか、ここで安易なだんなとの絡み?
おっとこれは
ますます次回が楽しみになってきました。

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