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抵抗の果て(完)

2014 06 10
桃色をした花弁が肩の上に舞い降りる。足立正則は、まっすぐに伸びた細い道で立ち止まり、そして、空を見上げた。

「もう春なんだな・・・・・・・・」
空の青さが冬のそれとは明らかに違う。暑ささえも連想させるような濃い青色と眩しく輝く太陽。そして、道の両側に並んだ桜の木々。

平日の午前だというのに、花見客らしき連中が、早くも場所取りを始めている。大学病院の前ではあるが、桜の花さえ並んでいれば、別に構わないらしい。正則は思わず笑みを浮かべる。

「さてと、そろそろ時間だ・・・・・・・・・」
時計を見つめ、正則は再び歩を進めた。

もう何度もこの場所に足を運んでいる。だが、それも今日でいったん終了となるのだ。

本館総合受付は、いつもと変わることなく多くの患者で溢れている。そこに用がない正則は、どんどんと突き進んでいく。いったんその棟を出て、隣の棟に移る。

新築されたばかりの巨大な建物だ。迷路のような廊下を歩いていくにつれて、少しずつ人の気配が薄れていく。窓の外には緑の木々に溢れた美しい中庭が広がっている。

やがて、正則は目的の場所に到着した。

「足立さん、こんにちは」
すっかり顔なじみとなった女性看護師が、いつもと変わらぬ笑顔で出迎えてくれる。

「遂に今日になりましたね、足立さん」
まだ20代前半と思えるような、幼ささえ残した美しい看護師だ。だが、正則はこの半年の間、彼女の貢献も随分と大きかったことを勿論知っている。

「本当にお世話になりました。でも、まだまだ不安が大きいんです」
「大丈夫ですよ。きっと・・・・・・、きっとうまくいきますから・・・・・・・・・・・・」

一瞬、感極まった様子で彼女が瞳を光らせる。だが、それを隠すように、言葉を続けた。

「先生がお待ちです。さあ、どうぞ」

正則は思い出す。初めてこの場所に来た時のことを。あれは、まだ昨年の秋のことだ。忌まわしいあの事故の、いったい何日後のことだっただろう・・・・・・・・・。

「ご主人。はっきり申し上げますけど、これは奇跡ですよ」
水沼と名乗る50代前半の医師は、確かあのときこう切り出したはずだ。

「時速120キロで高速道路で車が横転したんです。普通なら乗っていた連中が皆即死してもおかしくありません。それが、奥様はどういうわけか、助かったんですからな」

「奇跡的に、ですか・・・・・・・・・・」
「ええ。車をご覧になりましたか? 助手席の側だけほとんど損傷がないんです。まあ、車の事故ではよくあることで、そんな運が人の命を左右します。奥さんはついてましたよ」

その人妻が、夫とは別の男と車に乗っていたことを、その医師は勿論知っている。だが、野暮なことは言わないとでもいうのか、彼は余計なことは一切口にしなかった。

「それで、先生、江利子は・・・・・・・・、江利子にはいったいどんな問題が・・・・・・・・・・・・・」
「残念ながら、奥様は失ったものが一つだけあるんです」

「失ったもの?」
「ご主人、少し落ち着いて聞いていただきたい」

そして、正則は医師の宣告を聞いた。正則自身、それは全く想像もしていない展開だった。

あの日から半年が経過したのだ。正則は感傷的な気分になりながら、水沼と対面した。

「ご主人、いよいよですが、あまり余計なことを考える必要はないですからな」
「先生、そのつもりです。極力、以前と変わらぬ生活を送るようにします」

「週に1回はこちらに連れていらしてください。まあ、少しずつよくなるという保証はないんですが、それでもどんな変化でも見逃したくはないですから」

「やはり治るとしたら・・・・・・・・・・・・・」
「何ともいえませんが・・・・・・・。過去の実例からすれば、それはもう、いろんなパターンがありますわな」

水沼はなぜか楽しげに言いながら、席を立った。窓の外に広がる桜を見つめながら、何かを思い出すように目を閉じる。過去の患者のことが頭をよぎっているのかもしれない。

「ゆっくりと回復に向かう方もいれば、突然、それも瞬時に回復する方だっている。或いは、永遠に回復しないかもしれん。ご主人、残念ながら我々には何も保証できないんですよ」

「回復のきっかけというのは以前もお聞きしましたけど、やはり・・・・・・・」
その質問に答えたのは、部屋の片隅で姿勢よく立っていたあの若い女性看護師だった。

「ある朝目が覚めたら・・・・・・、何かの事故で頭に衝撃を受けたら・・・・・、過去の知り合いと遭遇したら・・・・・・、特に理由もなくいつのまにか・・・・・、それはもう様々なケースが存在します」

「確か、そうでしたね」

「中でも我々が強い関心を持っていることは、過去と全く同じ経験をする、ということなんです。それもあって、今回の退院を強くお勧めしたわけで・・・・・・・・・」

既に、そうした経緯は正則も知っている。笑顔でうなずきながら、正則は改めて思う。過去と全く同じ経験・・・・・・。やはり、「あの夜」の経験が妻の回復には必要だというのか・・・・・・・・・。

「普通に会話はできるし、日常生活には何の支障もないでしょう。今、彼女が言った通り、昔のような生活を送っていれば、どこかのタイミングできっと全てを思い出すことがあるはずです」

水沼の言葉を、正則は深く胸に刻み込んだ。

「足立さん、そろそろ奥様をお迎えにいってはいかがですか?」
看護師が水沼の机に置かれたデジタル時計を見つめながら、正則に言った。

「そうですね・・・・・・、そろそろ時間か・・・・・・・・・・」
「元の理髪店で働けば、奥様はきっと回復しますよ」

若い看護師の爽やかな笑顔につられるように、水沼もまた静かに笑みをたたえてうなずいた。正則は事務的な話をいくつか済ませた後、その部屋を出た。

本館とは逆の方向に更に進む。やがて、その棟を抜け出た正則は、芝生広場に到着した。入院患者、見舞客、多くの人々が芝生の上や、周囲に設置された遊歩道の上にいる。

正則は鼓動を高めながら、彼女の姿を探した。上空から春の日差しが緑を照りつけている。

芝生広場のかなり奥まった場所に、木製のベンチが置かれている。正則に背を向けた格好で、純白のワンピースに身を包んだ一人の女性が座っていた。

その背後から、正則はゆっくりと近づいた。

「江利子!」
正則のその声に、しばらくの後、女性がゆっくりと振り向いた。

紛れもなく、それは彼の妻だった。

穏やかな笑顔を浮かべ、軽く頭を下げる。何か本を読んでいるようだ。正則も笑顔を浮かべながら、彼女に近づいていった。そして、改めてその肢体を見つめた。

すらりとした長身に白いワンピースがよく似合っている。その美しさは、以前と全く変わることはない。いや、それ以上に女性としての魅力が増したようにも思える。

この半年の間、正則は感じ続けてきたことを、今日、改めて確信した。妻が英語のペーパーバックを読んでいることを知り、正則は少し驚いたように声をかける。

「江利子、今日は英語の本を読んでいるのかい?」
「Could you walk on the water ?」
「えっ?」

突然英語で話しかけられ、正則は思わず苦笑いを浮かべた。江利子は正則を試すように、小悪魔的な笑みを浮かべながら、再び同じ質問を投げた。

「Could you walk on the water?」
「ちょっと待てよ、江利子・・・・・・・・・。walk on the waterって、水の上を歩けるかってことなのかい?」

正則の瞳をまぶしそうに見つめたまま、江利子は彼の答えを待っている。しばらくの後、正則は答えた。確かな信念と、決して消えることのない妻への深い愛情を胸にしながら。

「歩けるさ。水の上だって・・・・・・。江利子と一緒なら」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「さあ、一緒に帰ろう。江利子の場所へ・・・・・・・・。江利子がいた場所へ・・・・・・・・・・・・・・・」




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※新作は7月中に開始する予定です。決定次第、またご連絡いたします。









Comment
リセット&リスタート
江利子さんだけ、生き残ったってのも、心の片隅にありましたが、過去の呪縛から解き放たれ、ご主人と新しい人生を始められたのは、二人にとって良かった。江利子さん自身が、自分の運命をうっすらと感じていて、わざと子供を作らなかったように思えたので。たとえ江利子さんが過去を取り戻したとしても、そこからの道筋は、今までとは違うはずですから。余韻のあるすてきなお話でした。
お疲れ様でした。
個人的には最高傑作でした。
負けず劣らずの次回作を期待しています。
よかった
ありがとうございました。
変な表現かもしれませんが、読み終わったあと清涼感みたいなものを感じました。

全て失ったと思っていたのに、まだ残っていた。

…と言う気持ちからかも知れません。ちなみに頭の中の江利子は◯瀬美智子さんでした(笑)

次回作楽しみにしています。
お疲れさまでした。
欲を言えば最後のまとめのところをあと1.5話ぐらい欲しかったです。
次回作も楽しみにしています。
最後まで楽しんで読ませて貰いました。
お疲れ様でした(^^)
江利子さん(^-^)v
生きてたんだね!本当によかったよ(^-^)幸せになってほしいです。
作品お疲れさまでした。次回作も楽しみに待ちますp(^-^)q
ありがとうございます
「抵抗の果て」の完成、ありがとうございます。
丁寧な描写で、江利子の魅力を堪能させてもらいました。
硬さと惑溺とが最後まで併存してくれたら、という
私の願いも叶い、江利子には更に魅力を感じています。

記憶喪失という、私には予想外の終わり方でしたが、
これは続編への含みがあるのでしょうか。
期待してしまうのですが。



「過去と全く同じ経験・・・・・・。やはり、「あの夜」の経験が妻の回復には必要だというのか・・・・・・・・・。」
正則が考える「あの夜」の再現とは、どのような事態でしょうか。
それは、正則も同席した「あの夜」だけでしょうか。

事故の経緯から考えると、江利子は様々な資料を処分しないで出かけた可能性が高いと思います。
その幾つかは、この半年の間に、正則も確認しているのではないでしょうか。
彼が知り得た断片、まだ知らない事柄があるかもしれないという妄想、それらから正則が思い浮かべる江利子の全体像はどのような姿でしょう。


水の上を歩いていく江利子と正則の姿を読ませてもらえる日を切望しています。
終わりましたね。
今作もかなりドキドキ興奮させてもらいました。巨乳が絡むとやっぱり良いですね。ふぅ(*^o^*)
次回作も期待してまーす。
最高傑作でした
最高の傑作だと思います。
官能文学という範疇を超えて
素晴らしいものでした。

次回作も楽しみにしています。

尚、江利子さんはとっても魅力的な
キャラですので、何らかの
続編を期待したいです。

お疲れさまでした。

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