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夫の秘密、或いは妻の秘め事(23)

2014 10 14
「では乾杯しましょうか」
岸野の音頭にあわせ、3人はグラスを手にした。

彼の目の前に座る希美子は、居心地の悪さを感じたまま、グラスを軽く上にあげた。乾杯、という言葉とともに、岸野のグラスが真っ先に近づいてくる。

希美子はしかし、自分からグラスを近づけようとはしなかった。そんなささやかな人妻の動作から、既に60歳を超えていると思われる男は、巧みに何かを感じ取ったようだった。

「こんな風に私がおしかけたりして、ご迷惑でしたか、奥様」
「い、いえ・・・・・・・」

冷たいビールを喉に流しながら、希美子は岸野の視線から逃げ、小さな声で答えた。隣に座る夫は、ずっと無言のままだ。まるで、妻とこの男との対面が今夜の目的であるように。

くたびれたスーツを脱ぎ、岸野はワイシャツ姿になっている。外は随分と寒くなってきているはずだが、この高層ホテルに位置する鉄板焼き店の個室は、十分すぎるほどに暖かである。

「確か、お子様はまだでしたな、梶野さんのところは」
ビールと一緒に運ばれてきたお通しをつまみながら、岸野が話をリードしていく。

「ええ。もう我々は結婚して5年ですが、なかなか」
やっと夫が口を開いたことに、希美子は密かに安堵をえた。少なくとも、目の前に座る男は一緒に会話を楽しみたいと思わせるタイプではなかった。

「5年ですか。最近はお子さんがいらっしゃらない夫婦も多いようですからな。そりゃさぞかし、今も仲がよろしいんでしょう。これほどに美しい奥様ですからなあ」

遠慮ない口ぶりでそう言いながら、岸野は濁った眼を細め、希美子の胸元のあたりをじっと見つめた。ニットワンピースの胸元には、人妻の白い生肌が眩しく光っている。

男は、夫が隣にいるにもかかわらず、その人妻の肢体を視姦するように見つめ続ける。ビールを舐めながら、彼は想像しているようだ。美しい人妻が夫に抱かれ、悶える光景を。

「梶野さん、どうです。図星でしょう?」
「いや、そんなことはないですよ」

謙遜したように、秀人がそう答える。だが、夫は嘘を言っているわけではない。希美子は勿論、それを知っている。二人の間には、親密とはかけ離れた深い溝が横たわっているのだ。

異常な欲情に満たされた、深い、深い溝が・・・・・・・・・。

「離婚して20年近く。普通の女性とこんな風に食事することなんて、ほんと何年振りでしょうなあ」
「いつもは普通じゃない女性の方と?」

自分が思わずそんな言葉を発してしまったことに、希美子は深い戸惑いを覚えた。一目見た瞬間からこの男に対して感じ始めていた嫌悪感が、希美子にそんな行動をとらせてしまっている。

「これは奥様、痛いところを突かれますなあ」
希美子から初めて言葉をかけられたことに、岸野は喜びを隠そうとしなかった。

「まあ、こう見えてもまだまだ男ですからなあ。たまにはそういうところに行って欲望を発散しないことには、体がおかしくなってしまう。奥さん、男ってのはそんな生き物なんですよ」

「・・・・・・・・・・」

「普段、私がどんなところに行くか、奥さん、聞きたいですか?」
「いえ・・・・、結構ですわ・・・・・・・・・」

「商売女は奥さんのような色気はまるで持ち合わせていませんがね」
次第に岸野の言葉が、なれなれしいものに転化していく。希美子は彼のことを無視し、ただ軽蔑するように冷たい視線を送った。脂ぎった肌が、どす黒く濁っているように見える。

少しずつ食事が運ばれてくる。全て厨房で焼かれた見事な鉄板焼きの品々であった。魚介類から野菜、そして肉類。岸野は通い慣れているのか、迷うことなく的確に注文した。

「さあ、奥さん、遠慮なくどうぞ」
食事が進むと同時に、岸野のグラスを開けるピッチが加速していく。空になったグラスに、夫がすぐにビールを注ぐのを見つめながら、希美子は静かに食事を続けた。

この後、いったい何が起こるというのだろうか。本当にこの男は、私にその汚れた手を伸ばしてくるのか。そして、隣に座る夫は密かにそれを期待していると・・・・・・・。

「希美子、ビールをついでさしあげなさい」
夫からそう言われ、希美子は岸野のグラスが再び空になっていることに気付く。

希美子にビールを注がれ、岸野は満面の笑みを浮かべる。既にその顔面、そして僅かな頭髪を残して禿げあがった額の辺りは、赤く染まっている。

彼の酒臭い口臭が、ここまで届くような気がする。岸野に誘われるまま、希美子はビールを注ぎ返される。不本意な乾杯を強要され、希美子は僅かに唇を湿らせる。

当たり障りのない会話が続き、食事は淡々と進んでいった。岸野はやがて、日本酒に切り替えた。だらしなく掘りごたつに身を沈めながら、じっくりと酒を堪能し始めた。

「奥さんは背が高いようですな。身長はどれぐらいですかな」
遂に本性を曝け出すように、岸野が質問を投げる。希美子はそれに答えようとはしなかった。が、個室内に漂う沈黙と、隣に座る夫の無言の圧力が、人妻の口を開かせた。

「164ですが・・・・・」
「失礼ですが、体重は?」

「それは・・・・・・・・・」
「聞かずとも想像はつきますよ。スリムなお体のようですからな。ではバストは?」

「えっ?」
希美子は、思わずその男の酔った表情を見つめた。

「バストは何センチでしょうな。ブラは何カップですか。C、いやDは」
「やめてください」

強い口調で希美子は彼に言い放った。室内に先刻以上に濃厚な沈黙が漂う。テーブルに残された食事には、もう誰も手をのばそうとしない。岸野は明らかにこの雰囲気を楽しんでいる。

「そのワンピースではぱっと見ただけでは少しわかりづらいですが」
「・・・・・・・・・・」

「こんな会話はお嫌いですか、奥さん」
「あいにく・・・・・・、私は普通の女性ですので」

「梶野さん、いや、奥様のことがますます気に入りましたよ」
満足げ気に岸野は体を震わせ、更に酒をあおった。依然として、夫は何も言おうとはしない。希美子は視線をおろし、テーブルの上を見つめる。そのときだった。

テーブルの下、掘りごたつの空間の中で、希美子は岸野の足が自分に触れることを感じた。明らかに意図的に、男のつま先が、希美子の足首からふくらはぎの辺りを撫で上げてくる。

まるで、手の指で触ってくるような、妙な感触だった。それだけでぞくぞくするような震えを感じ、希美子は素早く脚を引き、彼を見つめた。そして、ためらうことなく通告した。

「岸野さん、やめていただけますか?」
「奥さん、何をでしょうか」

「テーブルの下で、私の脚に触らないでください。不快ですので」
「梶野さん、奥さんがこうおっしゃってますがね」

岸野の言葉を聞いた瞬間、希美子は衝撃を与えられた。二人の間に交わされた秘め事が遂に露見することを、希美子は確かに感じ、すがるように夫を見つめた。

「希美子・・・・・・、すまん・・・・・・・・」
「あなた・・・・・・・・・・」

「実は、今夜はこちらの岸野さんを君に接待してほしいんだ・・・・・・」
「接待って、私がですか・・・・・・・・・・・・・・」

「いや、無理なことはしなくていいさ。ただ・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」

「少し羽目を外して酒を飲むぐらいのことを、してあげてほしいんだ」
「岸野さんにそうしなければいけない理由が何かあるんでしょうか・・・・・・・・・」

聞くべきではない質問を口にしてしまったことを、希美子は感じた。夫を追い込むだけだ。妻に秘めた欲情のことを、洗いざらい告白することを強要しても、どうなるというのか。

「仕事で随分お世話になっているんだ、その御礼だよ・・・・・・・・・・・」
夫は、そんな風な説明を繰り返した。そして、希美子はそれ以上聞こうとはしなかった。

柴田の指示を、希美子は思い出している。奥様が限界にまでひどいことをされたなら、きっとご主人は過ちに気付き、助け出してくれます。その瞬間まで、何とか我慢するんです。

「奥さん、そういうわけですから、もう少し付き合ってもらえますか。こんなおやじでは、奥さんも楽しくないとは思いますが、これでも女性の悦ばせ方は知っているつもりですよ」

テーブル上に置いた指先を見つめたまま、しばしの間、希美子は動こうとはしなかった。だが、やがて顔をあげ、岸野を見つめた。先刻の人妻は、もうそこにはいなかった。

「わかりました。ではできる限りのことはさせていただきますわ」
希美子はそう言うと、自分から立ち上がり、岸野の隣へと向かった。


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Comment
次回も楽しみです
まさか、商売女と比較されるなんて思ってなかったでしょうね。プライドが傷ついたんじゃないかしら。『普通の女性』と言い返すあたり、希美子さんの勝気な一面を見ることができました。

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