FC2ブログ

刻み込まれた快感(6)

2015 03 10
暑い夏が始まった。

早川にとっては特別に暑い季節となりそうだった。

あの日、彼は自分の中の何かが変貌したような気がした。あの光景を目撃した自分がいったいどう変わってしまったのか、早川はそれを知るのが怖かった。

いや、変貌したのではない。俺は、今まで気付かなかった自分自身に気付いただけだ。自分自身が秘めていた欲望に、俺は遂に気付いたのだ。

自分が通う書道教室の女性教師の非日常的な姿を見て。

夏休みが始まり、朱里の書道教室はますます活況を呈していた。子供たちは午前から朱里の家に集合し、わいわいと騒ぎながら、筆を走らせた。

「先生、うまく書けないよ!」
「しかたないわね、どれどれ」

子供たちは、朱里に背後にまわってもらって、腕を掴まれ、筆の運びを教えてもらうのが好きだった。勿論、そこには性的な欲望が絡んでいるわけではない。

皆、まだ子供なのだ。でも、美しい朱里にそんな風に接してもらうのは、男の子にも女の子にも嬉しくないはずはなかった。無邪気に彼らは、朱里の密着を喜んだ。

「先生、いい匂いしてるね」
朱里は別に化粧が濃いタイプでもなければ、香水をつけているわけでもない。だが、30代半ばの美しすぎる人妻には、どこか甘い香りが漂っているようだった。

「先生の匂いなんかかいでないで、はい、ちゃんと姿勢を正して!」
厳しくも優しい朱里の指導は、子供たち皆に人気だった。

早川は、週1ペースで通い続けていた。あの光景を目撃した後も、彼は以前と同じように通い、そして、特に変わったことは起きていなかった。

外山という名の中学生には、あの日から会うことがなかった。たまたま授業の時間がずれたのか、或いはあの事件をきっかけに、ここを辞めてしまったのか。

もともと中学生の生徒は数が少なかったので、外山の不在は早川の受講する午後遅くの時間帯にある変化をもたらすことになった。

「今日も早川さんお一人ですが、よろしくお願いしますね」
「はい。寂しいですが、頑張りますよ」

7月の終わりごろ、ある平日の夕刻だった。その日、夕刻のクラスの生徒は前回に続き早川だけであった。早川に特に変わった様子はなく、いつも通りの穏やかな雰囲気を漂わせていた。

事実、彼はこの時にはまだ、何も計画などしていなかったし、この後、自分がどんな行動に出るのかさえも、想像だにしていなかった。

「熱心ですね、早川さん。夜勤も大変でしょう。感心だわ」
朱里の様子も、全くいつも通りだった。勿論、その人妻はしばらく前に自宅台所で起きたある事件を彼に目撃されていたことを、知る由もない。

そして、いつものように授業が始まった。姿勢を正し、早川は和室で正座をした。目の前に置かれた硯と筆を見つめた後、彼はそっと目を閉じた。

「集中するのには、目を閉じるといいわね」
そんなアドバイスを、彼は以前朱里からもらっていた。

「何も想像はしないでくださいね。ただ無心になって」
朱里は、以前から繰り返している言葉に、そこでも触れた。

「無心になれば、自然に体が動いてくれますよ」
「体が、ですか?」

「一度筆の運びを覚えてしまったなら、体は決して忘れることはないですから」
「はあ」

「無心になって体に刻み込んでくださいね、筆の動かし方を」
そんな風に朱里に指示されてから、最初に目を閉じることは、早川のここでの習慣となっていた。

確かに無心になれることができた。早川は、何も考えずにいられる自分というものを少しずつ会得し始めていた。しかし、この日はそういうわけにはいかなかった。

冷房が効いた和室内。密閉された空間には、早川と朱里しかいない。早川はしばらく目を閉じたまま、いつものように無心になろうとした。しかし、朱里の存在が妙に気になった。

白いシャツに薄茶色のスカートに身を包んで目の前にいる人妻の姿が、まぶたの裏に蘇ってくる。その人妻がダイニングテーブルに押し倒されている光景が浮かぶ。

はんっ・・・・・・・・・・・・・

中学生に想定外のキスを求められたとき、朱里はそれを拒むことはなかった。欲望をコントロールできない中学生を癒すように、人妻は優しく彼のくちづけを受けいれ、そっと吸ってやった。

そのときの朱里が漏らした僅かな息吹が、瞑想をこころみる早川の脳裏にこだまする。朱里が中学生の背中をやさしく撫で、僅かに開いた唇を彼に預ける姿が、濃厚によみがえってくる。

「早川さん、そろそろ始めましょうか」
なかなか目を開けようとしない早川に、朱里が少し戸惑った声でそう言った。

「朱里先生・・・・・・」
早川は朱里のことをそう呼んでいた。

「えっ?」
依然として目を閉じ続けている早川に、朱里は声を返した。

「僕、見てはいけないものを見てしまったようです」
早川はそう言いながら、目をそっと開いた。

37歳の人妻の表情に、僅かに緊張が走った。


(↑クリック、励みになります。凄く嬉しいです。次回更新、3月13日予定です)
Comment
どうなるんだろうか?
朱里先生への欲情に、気がついた早川。中坊相手には、余裕を見せましたが、書道を教える側から、快感を刻み込まれる側に変わっていく、暑く長い夏の始まりですね。

管理者のみに表示