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刻み込まれた快感(12)

2015 05 06
息ができないほどの、乱暴な仕草ではない。

それは、朱里の唇の柔らかな感触を確かめるかのように、そっと置かれた手であった。だが、勿論、朱里は動揺した。背後からそんな風に唇を塞がれるなんて。

言葉を発することも許されず、朱里はマンション3階の廊下で棒立ちになった。全身に鳥肌が立つほどの恐怖はすぐに薄れたが、朱里はこの先の展開を想像するのが怖かった。

早川だ・・・・・・。

朱里はそう感じた。その手は妙に柔らかく、すべやかなものだった。まるで女性のような手の感触は、どこか色白でハンサムな早川を容易に連想させた。

「早川さん、ね・・・・・・・・」
唇に置かれた手が緩められたことを感じながら、朱里は前を向いたまま問いかけた。

だが、朱里の想像は外れた。

「あなた、まさか取り締まり?」
朱里の耳元でささやかれたのは、若い女性の声だった。

「えっ?」
朱里は強引に腕をはらい、後ろを見つめた。

朱里と同じように、30代後半の主婦と思われる美しい女性がそこに立っていた。眼鏡をかけた風貌はインテリな雰囲気を漂わせている。鋭い視線が朱里に注がれていた。

「こんなところでさっきから何か探るように立って、何してるの?」
どうやら、早川の家に行こうかと逡巡する朱里の様子を、ずっと観察していたらしい。

「何って、その・・・・・・、失礼ですが、あなたこそ、何なんですか?」
強気な性格を示すように、朱里が彼女にそう問いかけた。

「私はマッサージに来ただけよ」
「マッサージ?」

想定外の答えに、朱里は言葉を失った。

「このフロアの奥にマッサージサロンがあるのよ。最近できたばかりだけど」
朱里のことを見つめる彼女の表情から、敵意が消えていた。

「どうやらあなた、警察とか保健所の人間じゃなさそうね」
「えっ?」
「そこのマッサージサロン、無許可で密かにやってるから、取り締まりを恐れているのよ」

大胆に両脚を露出したスカートをはいた女から、朱里は僅かに煙草の匂いを感じた。彼女がこんな風に正直に話を始めた意味を、朱里はまだ理解することができない。

「あなた、どこかから早川さんの噂を聞いてここに来たんでしょう?」
「早川さんっていうんですか、マッサージをされる方は・・・・・・・」

朱里は、確かな衝撃を感じながら、女に聞いた。

「自分から彼の名前を口にしたじゃない、さっき」
「それは・・・・・・・」
「最初からそれを知ってて、ここに来たんでしょう。隠さなくていいわ」
「・・・・・・・・・」
「主婦だってそれなりに楽しみたいものね。そうでしょう?」

そこまで言うと、女は朱里をその場に置いて、すたすたとフロア奥に向かって歩き始めた。

「あ、あの・・・・・・・」
「何かしら・・・・・・・・、一緒に来る? 初めての人にはお試しだってあるわよ」
「え、ええ・・・・・・・・、お願いします・・・・・・・・・・」

訳がわからないまま、朱里は早足で女の後を追った。やがて、2人は冷たいドアの前に立った。表札もなければ、勿論、マッサージサロンを示すような看板もない。

「梶です」
インターフォン越しに名前を告げた彼女の後方で、朱里は隠れるようにして立った。

「開いてますよ。どうぞ」
部屋の奥から聞こえてきたのは、紛れもなく早川の声だった。

彼がここに・・・・・・・。激しい鼓動が朱里を襲う。

「いいわよ、あなたも。彼に紹介してあげるから」
朱里は梶と名乗った女性に強引に誘われ、室内に入った。ドア付近で立つ女性2名の前に、やがて「彼」が姿を見せた。ポロシャツにチノパンという、ラフな格好だった。

「やあ、梶さん」
「先生、今日はお試し希望の奥様をお連れしたわ。あなた、奥様よね?」

その問いかけにただ小さくうなずくと、朱里は意を決して視線を前に向けた。

一瞬、早川の視線がこわばったが、それはすぐに正常に戻った。

「はじめまして、早川です」
「柏木です・・・・・・・、柏木朱里、と申します・・・・・・・・・」

早川の表情に、全く動揺はなかった。

「では、柏木さんは梶さんの施術が終わり次第、お試しとしてやらせていただきますね」
「え、ええ、お願いします・・・・・・・・」

「1時間くらいそちらのソファでお待ちいただくかと思いますが、よろしいですか」
「ええ・・・・・・、構いませんわ・・・・・・・・・」

そして、早川は梶と共に隣室に姿を消した。残された朱里は、リビングと思われる空間に置かれたソファに座り、ここに迷い込んだことを何とか整理しようとした。

どんな形でもいいわ・・・・・・。彼と話ができるのなら・・・・・・・・。

しかし、早川がマッサージサロンを始めたとは、夢にも思っていなかった。しかも無許可で自宅で開業しているという。夜勤だという本職はいったいどうしたのだろうか。

梶という女性の話ぶりでは、完全に口コミで主婦を中心に集客しているようだ。アンダーグラウンドでしか展開できないようなサービスを、彼はしているというのか・・・・・・・・。

施術室は木製のドアで閉ざされている。中の気配は何も伝わってこない。

ソファに座ったまま、朱里はその閉ざされたドアを見つめた。

再び、鼓動が高鳴り始めている。嫌な汗は、依然朱里の素肌を濡らしている。

あの午後に刻み込まれた筆先の感触が、朱里の体奥に蘇ってくる。

ドアの向こう側で彼は梶というあの美しい主婦にいったい何を・・・・・・・・・・。

朱里の疑問に答えるように、やがて、何かがドア越しにこちらに届き始めた。

それは、猫が鳴くような、本当にかすかな声だった。


(↑クリック、励みになります。凄く嬉しいです。更新が遅れましたこと、深くお詫び申し上げます。次回更新、5月8日予定です)
Comment
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楽しみにしていました!再開ありがとうございます!
お帰りなさい
連休最終日に、素敵なプレゼントを有難うございます。これからの展開、楽しみにしてます。

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