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刻み込まれた快感(14)

2015 05 13
「どうだったの、展覧会は?」
「えっ?」

帰宅した朱里を、夫は玄関にまで出迎えてくれた。その夫の言葉に対し、朱里はすぐに返事をすることができず、ただその場に立ち尽くしてしまった。

初めてだ。夫に対し、これほどの深い罪悪感を抱くことは。

別に夫を裏切ったわけではない。嘘の口実を作って、とある生徒の様子を探りにその自宅を訪問しただけだ。そこでは何かをされるわけでもなく、再び自宅に戻ってきただけだというのに。

それなのに、この深い罪悪感はどういうわけだろう。あの夕刻、彼に和室でいじめられたときを遥かに凌駕する、夫に申し訳ないという、この後ろめたい気持ち。

それは、自宅に帰る途中、私が体奥で抱き続けてきた妄想によるものかもしれない。朱里はそう思った。私は夫を裏切るようなことを、実行したわけではない。

だけど、それを想像してしまった。自分がそうされることを。妖しげに高鳴る鼓動と共に・・・・・。

「どうしたんだい、朱里。昔の友達とは会えたのかな?」

夫の言葉には、妻のことを疑うような気配は微塵もなかった。当たり前だ。妻がいったいどこで何を目撃し、何を想像して帰宅したのか、彼は知る由もない。

「え、ええ。久しぶりだったから、そうね、ほんと懐かしかったわ」
夫の視線からさりげなく逃げながら、朱里は何とか平静を装った。

「そうか。そりゃよかったな」
穏やかな笑みを浮かべ、夫はリビングに戻っていった。

朱里は足早に2階の寝室に向かい、固くドアを閉めた。午後の日差しを避けるように、カーテンも締め、薄闇の中で、鏡に映る自分自身を見つめた。

どうかしてるわ・・・・・・・・・

美しい37歳の人妻の全身が、そこに映っている。立ったまま、朱里は頬に手を置いた。熱い。妖しい欲情と戸惑った興奮が、そこにまだ漂っている。

そのまま瞳を閉じ、朱里はあそこで見た光景をもう一度思い出した。

梶と名乗る主婦、そして早川は、あの空間で・・・・・・・・。

あっ・・・・・・・、あっ・・・・・・・・、あっ・・・・・・・・・

忘れるのよ・・・・・・・、さもないと、私・・・・・・・・・・・

朱里は、早川に出会ってから、自分が少しずつまっとうな道から外れ始めたことを感じていた。平凡な主婦、何の波風も立たないありふれた日常を早く取り戻すのよ・・・・・・・。

下腹部にこもる蕩けるような熱を強引に無視し、朱里はそう心に誓った。

そして、朱里は書道教室の講師としての忙しい日々に戻った。

やがて、季節は少しずつ移り変わり、秋の空気が界隈を満たすようになっていった。

子供たちは、相変わらず無垢で、素直だった。人妻である講師がどんな葛藤を内に秘めているのか、子供たちが知るはずもなかった。

「先生、早く筆の運び方を教えてよ!」
「しかたないわね、ほら、もう一度姿勢を正してごらんなさい」

子供たちとの時間を過ごしていくうちに、朱里は次第に苦しみを忘れていった。筆を握っても、もう妙なことを感じることはなくなった。

夫の関係にも、何ら問題はなかった。仕事が多忙になった夫は、最近帰宅時間も連日遅くなり、夫婦間での夜の営みはほとんどなかったが、それでも朱里に不満はなかった。

むしろ、そのような行為からは当分離れたいような気分だったのだ。

「朱里もすっかり書道講師っていう雰囲気が漂うようになったなあ」
「やだ、あなた、冷やかさないで」
「ここまでやるなんて、最初は想像もしてなかったよ。いや、感心、感心」

妻を冷やかすような夫の言葉が、朱里にはうれしくないはずもなかった。

このまま全てを忘れ去り、平穏な生活に戻ることができるのだ・・・・・・。

その日、朱里は夕食の準備を進めながら、そんなことをふと考えていた。今日は珍しく、夫が早く帰宅する。朱里は、久々に夫と自宅で食事することを想像し、料理の腕をふるった。

「ただいま」
「あなた、お帰りなさい」

玄関に向かって声をあげながら、朱里は夫を出迎えるために台所を出た。

そして、朱里は気づいた。

「朱里、こちらの方、朱里に書道を習いたいっておっしゃってるんだ」
夫は、背後にいる若い男性のことを目で示しながら、朱里に明るく言った。

「ここの教室の評判を聞いてくれたんだって。場所がわからなくて迷ってらしたんだが、たまたま僕とそこで会ってね。そのままお連れしたよ」

「まあ・・・・・・、そうでしたか・・・・・・・・・」

「以前、社会人の方も1人教えてるって言ってただろう?」
「え、ええ・・・・・・、ただ、あの方はもうお辞めになりましたが・・・・・・・・・・・・」

「あっ、そうなのか。まあ、とにかく話をしてやって・・・・、あ、あの、こちらが書道教室の責任者になります。私の家内で朱里と申します。後は彼女から話を聞いてもらえますか?」

「ご親切に、ありがとうございました。そうでしたか、ご主人だったんですね」
夫が連れてきた男性は、軽くお辞儀をして、礼を述べた。そして、朱里のことを見つめた。

「あ、あの、ここではなんですから、では、和室のほうにどうぞ」
朱里は、緊張気味にスリッパを出し、彼を自宅に招き入れた。

「お邪魔します」
早川は、初めてここに足を踏み入れるという雰囲気を完璧に体現し、朱里の後に続いた。


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Comment
お久しぶりです
一時期諸事情により感想を書けませんでした。
今後の展開を一層楽しみにしています。

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