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刻み込まれた快感(15)

2015 05 15
和室に彼を招き入れた朱里は、固い表情のまま襖を閉じた。

紛れもなく、早川がそこにいた。こざっぱりしたジャケット姿だ。以前の雰囲気と違いはない。その姿には、何かをたくらむような匂いは漂ってはいなかった。

「お座りください」
テーブルの端に準備した座布団に彼を座らせると、朱里は距離を置いた対面に静かに腰を下ろした。緊張で表情が強張っていることを、朱里は感じていた。

二人はしばらくの間、黙ったまま見つめあった。朱里は想像した。あのマンションの一室で、主婦に秘めた刺激を与えていたこの男の姿を。

悦びに肉体を濡らしていた人妻の姿を。

「来てしまいました」
先に口を開いたのは、早川だった。

「もう2度とここには来ないと誓ったのは僕のほうだったんですが」
その表情には、自らの気持ちをうまく伝えられないようなもどかしさがある。

「主人とは故意に会ったんですね」
朱里は、最初にそれを聞かずにはいられなかった。

偶然を装って夫に接近するなんて、朱里は彼に濃厚な不審を感じていた。意図的にこの家庭を乱そうとする、まるでストーカーに変貌したかのような不審を。

「それは謝ります」
「どういうつもりなの、あなた」

朱里は、以前に彼に示していたのとは打って変わって、きつい口調で訊いた。

「来るべきかどうか迷っていたんです、この近所で」
「近所?」

「ふらふら往復しているところをご主人に見られてしまったものですから」
「偶然会ったっていうのかしら」

「どこかに行こうかどうか迷うことは、誰にだってあると思います」
「そうかしら」
「朱里先生が僕の自宅の前で迷われたように」

朱里は言葉に詰まった。

確かに私は、自らの意志で彼の家に向かった。そして、足を踏み出すべきかどうか逡巡し、その時に梶と出会ったのだ。

「でも、まさか朱里先生のご主人とは思わなかったんです」
「・・・・・・・・・・」

「これまで一度もお会いしたことがなかったですから」
「・・・・・・・・・・」

「あれが朱里先生が選ばれた方なんですね」
「そんなこと、あなたには・・・・・・・・・」

早川の視線から、朱里は無意識のうちに逃げた。彼は静かに座り続けている。だが、朱里は想像した。彼が立ちあがり、自分のすぐ横にやってくることを。

そして彼に優しく抱かれ、ゆっくりと服を脱がされていくことを。

「朱里、お茶でもいれようか?」
突然、襖の向こう側から夫の声が聞こえた。

妻のいけない妄想に感付いたような、そんなタイミングの夫の声だった。

「い、いえ、大丈夫です。すぐに終わりますから」
「そうかい」

夫は明るい口調でそう言うと、襖を開けることなく、そこを離れていった。朱里は、かすかに安堵の息を漏らした。

「ご主人に見られたくないんですか?」
「えっ?」

「僕と一緒にいるところを」
「そういう訳じゃ」

何かが変わった。前はこんな男じゃなかったはずだ。朱里は短い会話だけで、そう確信した。以前はもっと幼さを漂わせた、まるで子供のような男性だった。

細身で色が白く、ハンサムな顔立ちは全く変わっていない。だが、そこにいるのは、何かに目覚めた男だった。或いは、何かを知ってしまった男。

それを彼は、あの日、この和室で知ってしまったのかもしれない・・・・・・。

再び、妖しげな沈黙が漂った。聞きたいことは山ほどあるのだ。あのマンションでしていること、以前の仕事はどうなったのか。

そして、今日、ここに来た理由・・・・・・。

「また習いたいんです、朱里先生」
「えっ?」

早川は、朱里の戸惑いを読み取っていた。

「いけませんか、先生」
「・・・・・・・・・」

「朱里先生に、また書道を習いたいんですが」
「それは・・・・・・・・・・、それは、困ります・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「僕が悪い生徒だからでしょうか」
「・・・・・・・・・」

「人妻であるあなたに、あんな風な」
「言わないで・・・・・・・・、それ以上は・・・・・・・・・・・・・・・・・」

鼓動が激しく高鳴るのを朱里は感じていた。肉体が全てを思い出している。蕩けるほどに熱を帯びた素肌。そこに時間をかけて、震える筆先で与えられた、えも言われぬ快感を。

「僕はやはり間違っていたようですね」
苦しげな人妻の前で、男は突然立ちあがった。

「早川さん・・・・・・・・・」
この日初めて、朱里は彼の名前を呼んだ。

「失礼します」
襖に向かおうとした彼に引き寄せられるように、朱里もまた思わず立ち上がった。

その瞬間、朱里は彼に抱きすくめられた。

彼の唇が朱里のそれに触れた。

「主人が・・・・・・・・・」
朱里は激しく首を振って、彼の行為から逃げた。

早川は強引な素振りは見せず、立ったまま、静かに朱里を抱きしめた。

彼の指先が、朱里の背中から腰のあたりを撫でてくる。

人妻のなまめかしく丸みを帯びたヒップを、その手がそっと覆う。

ただそれだけで、朱里は立っていられないほどに、膝を震わせた。

「駄目・・・・・・・・・・・、主人が来ます・・・・・・・・・・・」
朱里は強引に、彼の体を引き離した。

至近距離から見つめる彼に対し、朱里は顔を下に向けた。そして、そっと声を漏らした。

「以前と同じ時間でしたら・・・・・・・・・」
「えっ?」
「以前と同じ時間でよろしければ、通うのを再開いただいても構いません」

別の誰かがしゃべっていることを、朱里は感じた。

そして、彼はその場を立ち去った。

「あれ、もう帰ったのかい、あの方は」
「ええ。結局通ってもらうことにしたわ」

「そりゃよかったじゃないか。ますます商売繁盛だな、朱里も。さあ、早いとこ、飯にしてくれよ」
「そうね、すっかり遅くなっちゃったわね」

夫は気づいていない。目の前に立つ妻の体には、別の男に肢体を撫でられた感触が既に濃厚に刻み込まれてしまったことを。


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Comment
似たような経験
私にも同じようなことが
ありました。
何度も読んでしまいます。

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