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刻み込まれた快感(16)

2015 05 19
その時間が近づいている。

彼がここにやってくる時間だ。

その日は、午後早い時間に小学生に教えるコースがあった。社会人も参加できるような夕刻開始のコースは、その後に続く。

そこにやってくる生徒は1人しかいない。

「先生、ねえ、ここはどうやって筆を動かせばいいの?」
教え子からの声に、朱里は少し慌てて答えた。

「えっ、ごめんなさい、もう一度お願い」
「嘘だあ。もう、先生、今日は何だか変だよ。ぼうっとしてる。なあ?」
教室にいる子供たちは、1人の意見に賛同するように騒ぎ出した。

「静かに! 先生はいつもと一緒よ。ほら、さぼらないでもう一度神経を集中させて!」
子供たちに指示を与えながら、朱里は自らを責めた。

いけないわ、こんなんじゃ・・・・・・。今からこんな風なら、彼がここに来たとき、私・・・・・・・・・。

別れ際に早川に与えられた甘いキスの感触。そして、優しげにヒップを撫でられた時に全身に走り抜けた震え。それが、朱里の肢体に濃密に記憶されている。

今夜、夫の帰宅は遅い。

クラスを終えた子供たちが瞬く間に立ち去った後、静寂の漂う和室で、朱里は徐々に胸の鼓動を高めていた。この空間で、間もなく私は彼と二人きりになる。

夫にそれを見られる心配はない。

彼はいったい何を要求してくるのだろうか。あのマンションで、梶という主婦と一緒にいた早川の姿が、朱里の脳裏に蘇る。そして、筆先の感触が・・・・・・・。

いけない、私、本当にどうかしてる・・・・・・・・・。

彼を恨みたい気分だった。彼のせいで、自分は確実におかしくなっている。朱里は、意図的にそう思いながら、2階の寝室に向かった。そして、鏡台の前に立った。

秋の気配に誘われるように、その日、朱里は薄手のコットンカーディガンにチェック柄のスカートという服装を選んでいた。スリムな人妻の肢体が、そこに映し出されている。

この体は主人だけのものよ・・・・・・・・。

自らを律するように、朱里は心の中でつぶやいた。この体を他の男に与えてしまうことは、妻の不貞を意味するのだ。それは許されることではない。

胸元を隠すように、朱里は腕をクロスさせた。そして、そっと瞳を閉じた。

想像が、朱里の頭の中を駆け巡った。

「いい加減にしなさい」
再び瞳を開いた朱里は、鏡の中の自分にそう訴えた。

そして、静かに彼を待った。

「久しぶりですから、うまくかけるかどうか」
夕刻、時間通りにやってきた早川には、先日の行為が嘘のように、妙な雰囲気はなかった。

「まずやってみましょう。以前を思い出して、神経を集中させてください」
朱里は緊張気味に彼に声をかけた。まるで、自分自身に対する科白のようだった。

早川は、正座をしたまま、しばらく目を閉じていた。髪をやや短くカットしたせいか、以前よりさわやかさを増したようだ。朱里は、そんな彼をじっと見つめた。

「始めますね、朱里先生」
早川が筆を持った。朱里は、ただそれだけで、頬が熱くなるのを感じた。

指示された字を、早川が時間をかけて書き上げる。朱里は、彼に続けて書かせた。時折唇を噛みながら、早川は何枚かを書き上げ、そして、筆をおいた。

「どうですか、朱里先生」
「そうね、初めてここに来たときよりはいいかもしれないけど」

朱里のそんな言葉で、張りつめていた空気が一瞬和んだ。それは、2人を一層親密にするかのような効果があった。それに誘われるように、朱里は自分から提案した。

「私が筆の運びを教えてあげましょうか」
朱里は、思わずそう言ってしまったことを悔やんだが、もちろん取り消すことなどできない。静かに立ち上がり、ゆっくりと早川の背後にまわった。

そして、膝で立つように肢体を崩した。

「さあ、書きましょう」
背後から腕を伸ばし、早川の手をとった。2人の体が、触れ合った。懸命に無心を貫きながら、朱里は早川の腕をゆっくりと運んだ。

胸元が、早川の背中に触れた。早川が前を向いたまま、ささやいた。

「朱里先生、もっと体を近づけてください」
「早川さん・・・・・・・・」
「もう少しだけでいいですから」

年少の生徒に指示されるがまま、朱里は更に肢体を彼に寄せた。

朱里の顔が、彼の頬のすぐ横にまで近づいた。

美しく光る黒髪の先端が、彼の肌に触れる。

朱里は、彼の息吹を感じた。

筆を落とした早川の指先が、朱里の細い手首を掴んだ。

「早川さん、駄目・・・・・・・・・」
静寂の中、そのままの体勢で二人はしばらくの間、鼓動を高めあった。

沈黙に耐えきれず、朱里が腕を引き抜こうとしたとき、早川の手に思わぬ力が込められた。

「あっ・・・・・・・・」
瞬く間に、朱里の全身は捻るように動かされ、彼の腕の中で抱きかかえられるような格好になった。

「ご主人は今日はいらっしゃらないんですね」
彼の問いかけに、朱里は何も答えなかった。

やがて、観念するように、朱里は瞳を閉じた。

早川がそっと唇を重ねた。

しばらくの後、人妻の唇が僅かに開いた。


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