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LOVE47(5)

2015 10 02
神保町駅そば、階段を下りた場所にある平凡な居酒屋だった。

「もう遅いけど、大丈夫なの?」

席についた葉子は、コートを脱いで正面に座った彼にそう訊いた。

すぐに、葉子は思った。

いやだわ、ここでもおばさんらしさ全開じゃない、と・・・・・。

「まだ10時ですよね。ここなら11時30分過ぎぐらいまで電車ありますから」

「あら、そう」

「あっ、でも・・・・、あの・・・・・」

「えっ?」

店内はほとんどの席が埋まるほどの賑わいだった。

ざわざわとうるさい空間の中、二人は少し困ったように見つめあった。

互いにどこに住んでいるかは勿論、名前さえも知らないのだ。

どういうわけか、葉子は自分の名前を言い出すことができなかった。

これほど年が離れているとはいえ、夫以外の男性である。

短大を卒業し、すぐに結婚して今年で25年。

まじめな人妻としての長い年月が、この夜の葉子の行動に、どこか後ろめたさを与えている。

今夜は、そんないつもの自分を捨て去り、別の女に成り変わりたいという、ささやかな望み。葉子は、これもまた、感じていた。

「あの、私、野畑、です・・・・・」

「野畑さん、ですね。はじめまして。僕は垣内っていいます」

「垣内さん、ですか。素敵な名前ですね」

「そうですか。いやあ、そんなこと言われたの、初めてだなあ」

「ははは」

いったい私は何を言ってるんだ。

葉子は自分自身の発言がおかしくて仕方なかった。

自分の姓をただひっくり返しただけの偽名。

そして、あまりに適当な相槌。

はるか年下の子に、いったい私はどうしたっていうの・・・・・。

ビールで乾杯した二人は、互いのことを少しずつ話し始めた。

「会社はこの辺りなのかしら」

スーツにネクタイという会社員姿が、彼にはよく似合っていた。

「八重洲なんです。すぐ近くですよ。入社して5年ですけど、ずっと同じ場所で」

「そう・・・・。えっ、入社5年・・・・・・・」

「あっ、年ですか? 今年27歳です」

「げっ・・・・」

ルックス通りの年齢だ。

20代半ばのハンサムなサラリーマン。

仕事もできて、女性にもモテそう。

だが、葉子はその年齢を改めて聞かされ、思わず生ビールジョッキをテーブルに落とした。

「27歳に、見えます、僕?」

「え、ええ・・・・・。もちろん。10代じゃないけど、30代でもないわね。そうね、ちょうど20代の半ば、って感じよ」

「面白いですね、野畑さんって」

「野畑さん?」

「あれ、野畑さん、ですよね」

「えっ、そうよ。野畑です・・・・。こう見えても、まだ認知症には早いわ」

話せば話すほど、迷路に迷い込んでいく。だが、どんどん迷ってみたいと思わされるような、ひどく楽しい迷路だ。

「うーん、そうだな・・・・」

何品か頼んだ料理をつまみつつ、彼が考え事をするようにつぶやく。

葉子のことをじっと見つめながら。

「な、なによ?」

「野畑さん、何歳なのかなって思って」

「えっ、それは禁句でしょう・・・・・」

「ですよね。失礼しました」

子供のように、おとなしくなった彼が、葉子にはどこかおかしかった。

「で、何歳に見える?」

自分から、葉子は彼を誘った。

彼もまた、ビールを飲みながら、笑みを浮かべる。

「30代後半、ですよね?」

彼がそうつぶやいた直後、葉子は店員を呼んだ。

「こちらのお兄さんにこの店で一番高い生ビールを差し上げて」

「お客さん、生ビールって、それと同じのしかないっすよ」

「あら、そう。じゃ、いいわ、同じやつで。コクもキレもMAXで、それから思い切りドライで搾りたてをお願い。それ、私ももらうから2杯」

「生、二つでいいっすね」

「そういうことかしら」

学生バイトと思われる店員の胸には、ヒデキ、と書かれた名札があった。

「頼むわよ、ヒデキ君」

彼は、店員に話しかける葉子の様子を、おかしそうに、あるいは感心するように見ている。

「で、何の話だったかしら」

「野畑さんの年齢ですよ」

「それよ! ねえ、30代後半って、まさか営業トークじゃないわよね?」

「いや、さっき外でも言いましたけど。少なくともおばさんには見えませんよ」

「幸せだわ・・・・。長年の夢だったコンサートに行けた日に、見も知らぬ独身男性にそこまで褒められて・・・・。あっ、独身、よね?」

「ええ。勿論」

「いいわねえ、未来があって」

葉子は、久しぶりにこんな外の世界にいる気がした。

外の世界にはこんなに素敵な出会いがあって、笑うことができる機会に溢れている。

そんな事実を、私はもうずっと、忘れていた。

「私、47歳の主婦よ」

「えっ、まじですか?  47?」

「ええ。結婚25年の、超おばさんです」

「47・・・・・」

「ちょうどあなたとは20年違うわ・・・・、やだ、20歳も年下の方と一緒に食事するなんて、ね」

葉子がおかしそうに笑う。

「47・・・・・」

「ねえ、しつこいわね」

笑みを浮かべたまま、葉子が彼をにらんだ。

「いや、見えないですよ、絶対・・・・。47かよ・・・・」

「お願い、もう言わないで!」

「forty seven years old・・・・」

「おい!」

いったい何、これ・・・・・・。

冷えたビールを重ねていくうちに、葉子はその不思議さが色濃くなっていくことを感じていた。

波長がこわいほどに合うのだ。

20歳も年下なのに。

27歳といえば、一人娘とそれほど変わらない年齢だ。

大学を卒業し、OL生活1年目の娘、理穂は今年23歳になる。

「なんか、話してて面白いですね」

葉子の胸中を読むように、彼が言った。


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