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LOVE47(22)

2015 12 25
「奥さんじゃないですか」

3月に入ったある日の午後、買い物に出かけた葉子の背後から男の声がかかった。

聞いた瞬間、葉子は嫌な予感を抱いた。

気づかぬふりでそのまま歩き続けた葉子の背中を、男が馴れ馴れしく触ってくる。

「奥さん、私ですよ」
「あら、佐伯さん・・・・。ご無沙汰しております」

想像した通りの声の主を見た葉子は、挨拶を口にしながらも、無意識のうちに顔を曇らせた。

ショッピングセンターを併設する大型の商業モールは、まだオープン後1年程度しか経過していない。

昼休みの時間はもう終わっているが、周囲を歩く人は多い。人ごみを避けるように動く葉子のことを、佐伯は笑みを浮かべて見つめている。

「買い物ですか?」
「ええ。佐伯さんもですか?」

会計事務所を開いている佐伯に、仕事はしなくてもいいのかしら、とでも言うように、葉子は皮肉をこめて聞き返した。

だが、佐伯はそんな人妻のささやかな挑発を、明らかに楽しんでいた。

「仕事もせずにこんなところにいては、やはりいけませんよねえ」

ネクタイもしない会社員などもはや珍しくもないが、カジュアルな上着をひっかけているだけの佐伯には、やはり仕事人の雰囲気はなかった。

笑みを浮かべ、こちらを見つめ続ける佐伯に、葉子は小さく会釈した。

「佐伯さん、すみません、私急ぐものですから。これで失礼させて・・・・・」
「男に会うんですか?」
「えっ?・・・・・」

葉子は思わず顔をこわばらせた。

「彼」との逢瀬は、誰にも露見していないはずだ。娘にも、そして勿論、夫にも。

だが、罪を犯すことに慣れていないことを示すように、人妻は鼓動を高め、言葉を継ぐことができなかった。

そんな葉子の様子に、佐伯は少し驚いたように言った。

「奥さん、えっ、まさか本当に不倫してるんじゃないでしょうな」
「まさか・・・・・」

「ならば、そんなに動揺しなくてもいいじゃないですか」
「別に動揺なんかしてませんわ」

「そうかな。顔が少しひきつったように見えましたけどね」
「佐伯さんとは違いますから、私」

「奥さん、私は独身ですよ。いいでしょう、好きに女性と付きあっても」
「すみません・・・・・・、私、変なことを・・・・・・・」

葉子は、彼に素直に詫びた。だが、佐伯は別に気にする様子もなく、言葉を続けた。

「もっとも、ずっと狙い続けている女性にはまだ振り向いてもらえないんですけどね」
「・・・・・・・」

「奥さん、少しぐらい、時間いいでしょう」
「今、ですか」

「ええ。せっかくお会いしたんですから、お茶でもどうですか」
「でも・・・・・」

罪の行為を見透かされたような男の言葉。それが冗談であったとしても、葉子は自分が失策を犯してしまったような気分だった。

このまま佐伯と別れることが、何かリスクをはらんでいるような気がした。

「わかりました。じゃ、少しだけなら」
「1階でコーヒーでも飲みましょう」

先導するように歩く佐伯の後姿を、葉子はゆっくりと追った。

その左足を、彼はわずかに引きずっている。夫の医療ミスが、この男の生涯に確かな傷を与えていることを、葉子は改めて知らされる。

それを理由に、この男が執拗に自分の躰を求めていることも、葉子は決して忘れたことはない。

店は若い女性、そして主婦と思われる客を中心に、混雑していた。

「せっかくだからビールでもどうですか、奥さん」
カフェテリアに入店しながら、佐伯は遠慮なく葉子にそう訊いた。

「佐伯さん、私、車です。それに、昼間からお酒なんか飲んだことないですから」
「それは残念だな」

二人は揃ってカプチーノを注文し、テーブルで向かい合った。

「奥さん、決心してくれましたか」
「何のことでしょうか」

「やだな。少し前に誘ったじゃないですか。一緒に南の島に行きましょうって」
「そんなこと、覚えてませんけど」

グアム旅行から帰ってきたばかりの彼が、少し前に自宅に来たことを思い出す。

夫が不在のわずかな時間、葉子は彼の膝の上で、その肉体を好きに愛撫され、服を乱された。

「奥さんの水着姿が拝みたいって、伝えたはずですが」
「そうだったでしょうか」

「その体のビキニ姿が見たいんですよ」
「佐伯さん、変なこと言わないでください・・・・・」

周囲の客が会話を聞いているような気がする。葉子は男に厳しい視線を投げた。だが、男は構うことなく、ある冊子を葉子の前に置いた。

「何ですか、これは」
「ここの上に旅行代理店ができたでしょう。そこで今もらってきたんですよ」

佐伯が示した冊子は、国内旅行のパンフレットだった。彼が開いたページには、高価な温泉旅館らしい写真が掲載されていた。

家族風呂を備えた純和風の部屋。そこに宿泊する熟年の夫婦らしき二人が笑っている写真を、葉子は見つめた。

「これが何か?」
「奥さん、一緒にここに行きませんか?」
「どうして私が佐伯さんと一緒に?」

会話を続けたい気分ではないが、葉子は敢えて聞いた。

「奥さんの裸が見たいからですよ。水着姿だけでなく」

葉子は熱いカプチーノを少し飲み、平静さを取り戻そうとした。この男の前で服を脱ぎ、一緒に風呂に浸かることを想像するだけで、葉子は嫌悪感を覚える。

「佐伯さん、この機会にはっきり申し上げておきたいんですが」
「奥さん、まあ、そんなにおこら・・・」

「主人が佐伯さんに与えてしまった不始末は、妻である私には関係ありませんから」
「それとこれとは別ですよ、奥さん。私は、奥さんの本当の気持ちを知っているからこんなこと誘ってるんですよ」

「本当の気持ち?」
「男が欲しいんでしょう」

「佐伯さん・・・・・・・・・」
「波多野に抱かれることもなく、毎晩、もう何年も寂しい思いをしてるはずです。女ざかりの体を持てあまして」

「誤解ですわ」
「やはり男がいるんですか、奥さん」

「ち、違います・・・・・・」
「そう言われると、一層綺麗になっただけじゃなく、妙に色気も増した気がしますね、奥さん」

「佐伯さん・・・・・・、私・・・・・・・・」
「誰ですか、奥さんをものにした男は。波多野が知ってる・・・・・」

「失礼します」

伝票をつかもうとする葉子の細い手首を、佐伯が素早く握る。立ち上がった葉子は軽く会釈をし、彼の手を振りほどくと、足早に出口に向かった。

佐伯は後を追ってくることもなければ、声を荒げることもなかった。

出口付近で、葉子は彼をちらりと見た。席に座り、笑顔を浮かべている男にもう一度頭を下げ、葉子は店を出た。しつこい視線を感じながら、葉子は足を急がせた。

いやな人だわ・・・・・・・

早足で歩きながら、葉子は佐伯の記憶をかき消そうと別のことを懸命に思い浮かべようとした。

パンフレットに載っていた温泉宿の写真が、妙に鮮明に葉子の脳裏に刻まれている。


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