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LOVE47(54)

2016 04 20
駅に降り立った葉子は、まっすぐにその宿に向かった。

やはり都会とは違う。

澄んだ空気の中、既にこの地には、秋の気配が色濃く漂っていた。

周囲を取り囲む山々には、見事な紅葉が広がっている。

カラフルな色彩をバックに立ち込める湯煙が、温泉地の風情を醸し出していた。

何か月か前に、私はここに来た。

あの時の記憶は、葉子の体奥に今もなお、大切に刻み込まれている。

決して犯されないはずだったその記憶を、しかし、私はいとも簡単に踏みにじってしまった。

理由はどうあれ、夫を捨て去った自分。

その身勝手な決断と共に、愛を貫いたはずの若者を、私は夫と同じように、裏切ってしまったのだ。

私の躰が、佐伯の責めに陥落した時・・・・。

「出てって!!」
数時間前、強烈に叫ばれたことを、この地に来るまで、葉子はずっと考えずにいた。

あれほどに怒りを正直に示した娘を、47歳の母親は今日、初めて目にした。

あの写真に記録された事実を娘に隠し通したまま、旅立つことはできなかった。

当然の報い。

全てに折り合いをつけなければいけないときが、遂に来ただけだ。

密かにクリニックから持ち出した液体。

バッグの中身を確認するように、人妻はそっと手を置く。

そして、確かな決意と共に、駅前から歩き始めた。

「予約していないんですが、空いてますか?」
そこは、以前、彼と泊まった宿だった。

紅葉のシーズンではあるが、平日の今日、部屋にはまだ余裕があるようだった。

「奥様、おひとり様ですか?」
「ええ」
「少し広いかもしれませんが、ご家族用のお部屋を用意させていただきますね」

部屋に案内された葉子は、あの夜のことを、一層鮮明に思い起こす。

私は、あの夜、彼に激しく、情熱的にここで抱かれたのだ。

その記憶は、一人、温泉の湯に時間をかけて浸かった後も色あせることはなかった。

47年の道のり。

その意味は果たして何だったのか、と、葉子は今一度、自身に問う。

自分ではない誰かにとって、私が47年の間、存在していた意味は、何かあったのだろうか。

理穂のことが、葉子の胸をよぎる。

罪は、底なしに深い。

娘の姿を振り切り、更に思いを巡らせても、葉子にはもう、力になるような姿を想起することができなかった。

家族向けの部屋というだけあって、宿の部屋は十分すぎるスペースがあった。

広いテーブルに、一人分だけ用意された食事を進めながら、葉子は次第に、無心の境地へと達していく。

最後の晩餐という言葉が、人妻の胸をよぎる。

「明日で決着がつく・・・・・・」

葉子が声を出して、そうささやいたときだった。

「お客様?」
廊下に面した襖の向こうから、宿の女中の声が聞こえた。

食事はまだ済んでいない。だが、片づけにきたのなら、もう下げてもらおう。短い間に、葉子はそんなことを考えた。

だが、女中はそのために部屋に来たのではなかった。

「お連れ様がいらっしゃいましたが」
その言葉を聞いたとき、葉子は瞬時に緊張を感じ、そして、またすぐに、それを解放した。

誰も来るわけがない。

「すみません、部屋が違うんじゃ・・・・・・」
「いえ。奥様、波多野葉子様の連れの者だと確かにおっしゃってますが」

捨て去ったはずの緊張が、人妻の躰に舞い戻る。

いったい誰・・・・・・・

まさか・・・・・・・

あの男の執念深い姿を思い起こした瞬間、葉子は声をあげた。

「通さないで!・・・・・・、通さないでください、誰も、ここには!・・・・・・・」
「奥様・・・・・・・・・」

女中は葉子の剣幕に圧倒されるように、襖を開けようとしなかった。そのまま声だけで、彼女は部屋の中に向かって説明を続けた。

「奥様、でも、こちらの方はどうしても、と」
「お願いですから・・・・・・、私は誰かとここで落ち合う予定なんかありませんから!」

「奥様、しかし・・・・・、あっ、お客様・・・・・・・・・・・」
女中の慌てる声と同時に、襖が力強く開いた。

「葉子さん、僕です」
安堵の色を浮かべた垣内剛が、そこにいた。


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Comment
No title
俺の予想が当たりそうな予感
葉子さんが……

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