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甘い蜜(3)

2016 07 11
梅雨が明け、本格的な夏が訪れた。

45歳の西浦忠彦にとって、忙しい日々が続いている。

市郊外の道路拡張工事に関し、市役所建設部土木課課長としての彼の役割は重い。各区画の工事につき入札手続きを一手に取り仕切り、担当が確定したゼネコンとの打ち合わせを進める。

日々、各社担当者との折衝が続く。昼は役所で、そして、夜は宴席の場も珍しくはなかった。

昨今の世間の厳しい目を踏まえ、支払い上の便宜を図ってもらうことは、避けるようにはなった。以前は裏で行われていたあからさまな接待行為は、もはや激減した。

それでもなお、様々な手を使って、忠彦を誘惑する業者たちは少なくなかった。

「今回は室石工務店さんはどうなんですか、課長」
「このところ、彼らはそれほど積極的ではないようですがね」

忠彦と室石工務店が密接な関係にあるという噂は、何となくではあるが、業界内に流れている。各社は室石の出方をうかがいながら、自分たちが獲得できそうな案件を得ようとした。

だが、この夏は各社とも室石の動向を探る必要がないのかもしれなかった。

杉野からのコンタクトはぱったりと途絶えた。

彼が宣言した通りだった。内藤の解雇もあり、当分、目立つような行動は慎もう。杉野のそんな提案は、勿論、忠彦にも好都合だった。

室石工務店側からの金銭の提供。何年も続いた、明らかな収賄行為であるそれを、忠彦は、一昨年あたりから意図的に遠ざけようとしていた。

娘が海外に交換留学に行くとなれば、勿論大量の資金が必要だ。だが、忠彦はそれをもう室石にすがろうとはしなかった。30代から泥沼のようにはまり続けてきた室石との関係を、真剣に絶とうとしていた。

そんな矢先だったのだ、内藤が解雇されたのは。

そのタイミングが妙に自らの決断と符合したことに、忠彦は確かな戸惑いを感じつつ、懸命にいい方向に捕らえようとした。

大丈夫だ。これで、全てが葬り去られる。時間の経過と共に、証拠さえも消えていくに違いない。

妻は夫の悪事に一切気づいてはいない。

今年41歳になる妻は、のんびりとした性格からか、夫の仕事には無関心だった。

「あなた、○○建設さんからまたこんなものをいただいちゃったわよ」

自宅に数多く届いた高価な贈り物についても、妻はその意味合いを理解することなく、不審にも思わなかった。市役所に勤務していれば、皆、こんな風なんだろう、とでも思っているようだった。

密かにもらい続けた現金についても、忠彦は巧妙にごまかし、給与の一部のような説明を妻に続けてきた。

妻に、そして娘に悪事が知られてしまうことだけは、何としても避けなければならない。

室石を少しずつ遠ざけようと忠彦が考えた背景には、そんなこともあった。

だが・・・・・・・。

それは、8月に入ってすぐのことだった。室石工務店の杉野とあの喫茶店で会ってから、1か月以上が経過している。

毎日暑い日が続く。その日もまた、忠彦はうちわを片手にしながら、課長席で書面と格闘していた。

市役所もコスト削減とやらで、冷房が極端に弱い。蒸し風呂のような環境で汗を額に浮かべ、忠彦はそこに書かれたある公園施設の拡張工事案を見つめている。

「これは大きな仕事だな」
そう考えながら、何枚目かのシートをめくったときだった。

「課長」
忠彦はその声に気付くことなく、紙の中の数字をにらみ続けている。

「あのお、課長」
やや大きくなった声に、忠彦は我に返ったように反応し、顔をあげた。

「何だ?」
「課長にお客さんみたいですよ」

すぐ近くの机に座る若手職員が、忠彦にそう教えてくれた。

「お客さん?」
「あそこにいる人じゃないっすか?」

彼がそう言って視線を動かした方向を、忠彦も見つめた。フロアを仕切るように置かれたキャビネットの向こう側。ちょうどエレベーターホールから土木課フロアに繋がる入り口付近。

開け放たれたドアの近くに、一人の会社員風の男性が立っている。

忠彦と視線があった瞬間、その男は媚びを売るかのようにひきつった笑みを浮かべ、軽く頭を下げた。

「・・・・・」
うちわを扇ぎ続けてきた忠彦の右手の動きが止まった。

内藤がそこにいた。

市役所の外では、夏の暑さを訴えるかのように、セミの合唱が続いている。


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