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甘い蜜(11)

2016 08 02
「こんちは、課長さんいる?」

土木課に内藤がふらりとやってきたのは、9月の初めだった。

「どうですか、一緒に昼飯でも」

来るべきものが来たかと思いつつ、忠彦はこう答えた。

「喜んで。こちらも話したいことがありますから」

忠彦は内藤を役所近くの蕎麦屋に案内した。昼食時、店内は大勢の客でにぎわっている。うるさいほどの周囲が、忠彦には逆に好都合に思えた。

二人用のテーブルに、忠彦は内藤と向かい合って座った。

「課長さん、何ですか、話したいことって。仕事をまわしてもらえるんですか」
冷えた麦茶を飲んだ後、内藤はおしぼりで顔を拭いた。

以前と同じようにくたびれたシャツ、スラックス、そしてよれよれの革靴を履いている。先日、自宅に来た時の格好とは随分違う。

「仕事のことじゃないですよ、あいにく」
忠彦は懸命に冷静さを維持している。

「ほう、では何の件ですか」
「これ以上、自宅には来ないでいただきたい」

忠彦のはっきりとした口調に、内藤は意外そうな表情で、笑みを浮かべた。

「何がおかしいんですか、内藤さん」
「いや、課長さんの顔があまり怖いもんだからね」

「ふざけないでください、これは・・・・・」
「奥さん、私のタイプなんですよ」

「えっ?・・・・・・・」
「課長さんの奥さん。いやあ、ああいう雰囲気の女性、大好きなんですよ、私」

明らかに、忠彦をいじめるような口調だった。言葉に詰まる彼をよそに、内藤は低い声で話を続けた。

「私の話もいいですか、課長さん」
「・・・・・・・」

「また金がないんですよ」
「内藤さん・・・・・・・・」

「何とかまた融通してもらえませんかね」
昼食時の蕎麦屋で、内藤は悪びれることなくそう言った。

テーブルに運ばれてきたざるそばを、内藤がうまそうに食べ始める。忠彦は手をつけようともせず、内藤を見つめ、そして口を開いた。

「1回きりって言いましたよね」
無視する内藤に、忠彦が続ける。

「何度も要求するようなことはしない、あれっきりだって、はっきりおっしゃったはずだ」
「もうないんだろう、金が?」

「えっ?」
「これ以上、私の口を封じておくための金なんかない。そういうことですか、課長さん」

この男は、どこか自暴自棄になっている。忠彦は、うっすらと身の危険を感じた。

内藤の言葉は正しかった。もうこの男に差し出すような裏金はないのだ。娘の留学費用だって高額だ。自宅ローンもまだまだ先が長い。

「ありませんよ、もう」
「まあ、どうせそうだろうと想像してましたが」

忠彦をよそに、内藤は一人、そばをたいらげた。爪楊枝を手にしながら、妥協するような素振りで言った。

「じゃあ奥さんとデートさせてもらいますよ」
「内藤さん、あんた・・・・・・・」

「過去の汚点は隠しておいてほしいでしょう、課長さん。この前のはした金で全部なかったことにできるなんて、まさか思ってたんじゃないでしょうね」
「それは・・・・・・・」

「金がないんだったら仕方ない。別の方法で私を楽しませてくださいよ、課長さん。離婚して独り者の私を」

椅子に腰を深く沈め、忠彦は言葉を返すことができなかった。周囲の楽し気な喧騒も、もはや不快なだけだ。

「自宅に来るなって言うんだったら仕方ない。外で食事をさせてもらいますよ」
「妻と食事を・・・・・・・・」

「変な心配しなさんな。食事するだけだよ、課長さん」
「しかし妻には・・・・・・」

「内藤さんをたっぷり接待しなさい、じゃないと、俺の過去がばらされるから、とでも言えばどうだい」

忠彦の耳には、もう周囲の喧騒は届いていない。


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