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甘い蜜(14)

2016 08 25
「お仕事のほうは大丈夫なの?」
「仕事?」

正代の意外な質問に、忠彦は言葉を詰まらせた。

冷蔵庫からミネラルウオーターを出し、喉の渇きを潤す妻。パンツスーツ姿の妻は、その美脚が逆に目立っている。妻の肢体を内藤が今夜ずっと見つめていたことを、忠彦は想像する。

しかし、仕事が大丈夫かとは、いったいどういう意味なんだ。内藤のやつ、何を妻に吹聴したのだろうか。

「内藤さんが少しおっしゃってたから」
「俺の仕事のことをか?」

「ほら、室石工務店さんってずっと付き合いがある先よね。何度もいただきものが届いたことがあるし、ねえ、内藤さんって最近そこをお辞めになって今の会社に移ったんだってね」

「あ、ああ・・・・・・・」

室石工務店という響きに、忠彦は鈍い痛みを感じた。

「内藤さんがいなくなってから、その室石工務店との関係がいろいろ難しくなって、あなたが苦労してるって、そんなことを少しおっしゃってたわ」

嘘だ。

室石との関係がぎくしゃくしているのは、あの男がいなくなったからじゃない。過去からあの会社と続いていた不適切な関係が原因だ。それが露見するリスクを恐れ、しばらく距離を置こうとしただけだ。

それを材料に脅迫してきた男こそ、誰あろう内藤ではないのか。

「別に苦労はしていないさ」
「そうなの?」

「同じゼネコンとあまりべったりでもいろいろと周りの目があるからな。そこらへんを気を付けているだけだよ」
「内藤さんは、会社が変わっても今まで以上にあなたをサポートしていきますって、おっしゃってくれてたわ」

「へえ、そんなことを」
「今夜だって、どうしても自分が払いますって、結局全部ご馳走になっちゃったし」

「だろうな・・・・・」
「何だか悪いわ。あなたがそんな風に助けてもらってるのに、私にまで気を使ってもらって」

「まあこっちだってあの人に便宜を図ってやることもあるんだ。お互いさまさ」
「ならいいんだけどね」

息苦しさを伴った緊張が、忠彦を包んでいた。

じわりじわりと内藤が距離を詰めてくるような気がする。

妻をこの場で問い詰めたいという強い欲求が、忠彦の腹の底で沸騰している。

食事はどうだったのか。酒を勧められたのか。二人で何を話して、どんなことを言われたのか。

あの男は個室のどこに座って、妻とどんな風に食事を進めたのか。

だが、忠彦にはほとんど何も聞けなかった。

聞いてしまったら、何かが壊れてしまうような、そんな予感が彼の体奥にあった。

「もう遅いわ。シャワー浴びようかしら」
水を飲み終わった妻が、浴室に向かおうとする。

忠彦は、意を決したように、唯一の質問を妻に向かって口にした。

「それで、またどこかに誘われたりしたのか?」
「えっ?」

「いや、内藤さん、お前のことがお気に入りみたいだから、また食事にでも誘われたのかと思ってな」
「どうかしら。特に何も言われなかったけど」

忠彦は、僅かな安堵を覚えた。

「私もできる限りあなたのお手伝いはしたいと思うけど」
「・・・・・・・」

「だけど、もう夜の食事ってのはいいかな」
「そうか」

「結婚後、あなた以外の男の人と夜、外で食事したことなんかなかったから。何だか変な気分だったわ」
「・・・・・・・」

「柄にもなく、ずっと緊張してたのよ、私」
「・・・・・・・」

「またいつか行きましょうって言われたけど、それも社交辞令って感じだったから」
「・・・・・・・・」

「離婚されて寂しそうだったけどねえ、内藤さん・・・・。じゃあ、シャワー浴びるわね」

正代は肩をすくめるようにしながら笑みを浮かべ、浴室に向かった。

妻の後ろ姿を見つめる忠彦からは、既に僅かな安堵が消え去っていた。

内藤との食事のことを話す妻の表情には、妙に楽し気な気配が漂っていた。

結婚後、夫以外の男との初めての外食。

妻は緊張しながらも、その時間を楽しんだのだ。

やがて、浴室からシャワーの音が聞こえてきた。

妻が裸になり、熱いお湯を浴びている光景を、忠彦は想像した。

内藤と過ごした夜の記憶を、洗い流そうとしているのだろうか。

そんな思いが、忠彦を妙な気分にさせた。

シャワーを浴びる妻が何を考えているのか、忠彦が知ることは勿論なかった。

その夜、ほんの一瞬だが、正代の手は内藤に握りしめられていた。


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