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甘い蜜(19)

2016 09 16
「柔らかいですね、奥さんの手は」

テーブルの反対側に座った内藤に、椅子から立ち上がる気配はない。喫茶店で、若いカップルが戯れているようなものだ。正代には、そんな気分を持ち合わせる余裕がまだあった。

「内藤さん、やめてくださいな」
「まあ、楽にしてください、奥さん」

彼に向って右腕を差し出しながら、正代は椅子に座り続けている。抵抗めいた言葉を口にしながらも、腕を逃がそうとはしない。彼の好きなようにさせている。

何といっても、これは他愛もない戯れなのだ。別に何ということはない。

手のひらを彼に愛撫されながら、正代は懸命にそんなことを心の中で繰り返した。しかし、内藤の指先は、妙な感触を正代にゆっくり、時間をかけて与えていった。

あの夜、手を握られたとき、僅かに感じた妖しい気分。あのときは、酒の酔いがそうさせたんだと思っていた。だが、平日の昼間、しらふの自分が、今、あのとき以上の「震え」を感じ始めている。

「内藤さん、もういけませんわ」
「気持ちいいでしょう」

意味深な笑みを浮かべながら、内藤が正代の瞳を見つめた。正代は、次第に、笑ってごまかせるような余裕を失っていった。

ただ単に、手のひらと指を揉まれているだけだ。それだけの行為で、自分がこんな気分になるなんて、正代は信じられなかった。

内藤の指に、不可思議な力が備わっているのではと、そんなことまで想像してしまう。彼の指が強弱の変化をつけた圧力を与えてくる度に、正代は全身から緊張が解かれていくような気分になっていった。

「気持ちいいでしょう、奥さん」
内藤は、正代を見つめて再びそう訊いた。

「そんなこと、ないですわ」
気のせいか、自分の声が震えているような気がする。どこかで、うなずいてしまいそうな自分がいた。

「奥さん、もう少し腕を伸ばしてください」
正代が抵抗する前に、内藤は人妻の細い腕を更に引っ張り込んだ。

「内藤さん、もう結構ですわ」
「もう少しマッサージしてあげますよ」

彼の指先が正代の手首に触れた。白い剥き出しの人妻の腕を、彼がゆっくり、何かを探すように愛撫していく。

「いけません、内藤さん」
「もっと気持ちよくなりますよ、奥さん」

「・・・・・・・・・・・・」
「リラックスして」

魔性の沼にはまり込んでいくようだった。もがけばもがくほど、深みにはまっていく。逃げようとすればするほど、そこで待つ不思議な感覚に引きずり込まれていく。

正代は、密かに唇を噛んだ。

彼の手が、正代の腕、手首、そして指を揉みしだいていく。氷解していくように、人妻の肢体から緊張が消え去っていく。いつしか、激しく鼓動が高鳴っていることに正代は気づいた。

「どんな気分ですか、奥さん」
「もう、やめてください・・・・・・・・」

消え入りそうな言葉を発しながら、正代は小さく首を振った。全身に熱を感じる。姿勢よく座っていたはずの正代が、椅子から僅かに腰を崩していく。

左手を口元に運び、正代は唇を隠すような仕草を示した。顔を下に向け、内藤に激しく動揺していることを見透かされることを恐れた。

だが、勿論、彼にはわかっていた。

人妻がどれほどに危うく追い込まれているのか。

正代の右手には、淫らな汗が浮かんでいた。

「課長さんがこんな奥さんを見たら何と言うでしょうな」
「内藤さん、もう・・・・・・・・」

「二人だけの秘密ですよ、今日のことは」
ささやきながら、内藤が正代の腕をいっそう強く引き込んだ。

「あっ・・・・・・・・・」
正代が戸惑いの声を漏らしたのと同時に、内藤は正代の手の甲にキスを与えた。

妖し気な感覚が、正代の全身を走った。腕を引き抜こうとしたが、力を込めることができない。内藤の口づけが、正代の手の甲に何度か与えられた後、手首に移動した。

「いけません・・・・・・」
じわじわと、彼に侵されていくような、妙な気分に包み込まれながら、正代は必死に声を漏らした。

彼の舌が、正代の指先の隙間に入り込んだ。

「あんっ・・・・・・・・・・・」
思わず漏らした息が、想像以上に甘いものだったことに、正代は深い戸惑いを覚えた。

彼の舌先が小刻みに震え、正代の右手の指の隙間を責めた。そして、正代の指が彼の口に含まれた。彼の舌先に絡められた人妻の細い指。

自分の指がその意志で動き、彼の舌先と戯れていくような気がする。正代は、勝手に指先が動くような、そんな錯覚に襲われた。咥えられた中指が、彼の舌にくすぐられ、情熱的に吸われる。

いつしか、正代は左手の爪を噛むようにして、漏れ出す声を懸命に抑えていた。

やめて・・・・・・・・・・・・・・・・

全身を彼に舐められているような錯覚と共に、正代は激しく、何度も首を振った。

「今日はこれぐらいにしておきましょうか、奥さん」
内藤のそんな言葉を聞いたのが、果たしてどれほど後のことだったのか、正代ははっきり覚えていない。

椅子に座ったまま、正代は立ち上がることもできなかった。

汗がにじんだ額に、髪が僅かに乱れている。

人妻の肉体が感じているのは、彼に解放されたという安堵だけではなかった。

「携帯の番号を教えてください、奥さん」
内藤に聞かれるがまま、正代はそれを彼に告げた。

「また連絡します」

内藤が去った後、正代はなおも椅子に座り続け、彼の言葉の意味を噛みしめていた。

「今日はこれぐらいに」、という彼の言葉が持つ意味を。

あれから何時間が経ったのだろうか。

夫がシャワーを浴びる音が、浴室から聞こえてくる。

リビングで強引に夫に抱かれた正代は、内藤が置いていった言葉の意味を、今、再び思い出している。


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