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甘い蜜(20)

2016 09 23
正代の日常が変わろうとしている。

以前のように平凡で波風も立たない人妻の日々は、もはやそこにはない。

たった一人の男の登場が、じわじわと時間をかけて、正代から平穏を奪おうとしていた。

「じゃ、行ってくる」
「いってらっしゃい、あなた」

「ただいま」
「あら、早かったのね、今日は」

毎日、夫に接する正代の態度に違いは見られなかった。少なくとも、夫は何も気づいてはいなかった。彼自身の日々もまた、特に変化はなく、役所での難しい仕事が山積していた。

内藤と食事に行ったとき、妻がどうにかされてしまったのではないのか。そんな危惧を抱いたこともあった。あの夜の後、妻は微妙に変わったような気もしたが、どうやらそれも思い違いのようだった。

妻は再びかつてのように明るく、屈託のない姿を取り戻している。

と、忠彦は確信していた。

妻が何かを隠しているとは、夢にも思っていない。妻が内藤とあの食事の後にこの自宅で会い、彼に妖し気な刺激を与えられたことなど、勿論知らない。

秘密を抱えた人妻。

あの日以降、夫のいない日中、正代は何度もスマホを見つめた。

彼は私の電話番号を知った。

彼からの連絡をどこかで待ち望んでいる自分がいるような気分を覚える度に、正代は自らを厳しく責めた。持ち歩いていたスマホをダイニングテーブルに置き、意図的にそこから離れた。

内藤の訪問から1週間ほどが過ぎた。

それは午後2時頃だった。ドアホンが鳴った。

正代は瞬時に鼓動を高めた。前回、彼がやってきたのと同じ時間だ。正代は立ち上がることができなかった。

ドアホンは執拗に鳴り響いた。正代は息を潜め、リビングのソファで固まったまま、動けない。

彼に今、ここに来られたなら・・・・・・・・。それを想像するだけで、人妻の肉体は熱を覚えてしまう。

今日は帰ってください・・・・・・・。早く・・・・・・・・。

正代の表情が苦悶で歪んだときだった。

閉ざされた玄関のドアの向こう側から声が届いたような気がした。それは彼の声とは違うようだった。

緊張から解放されたように、正代が立ち上がり、ドアホンに備えられたテレビモニターをONにする。

そこに映し出された一人の男の姿・・・・・・・。

正代は、安堵した。

「すみません、少し手がふさがってたものですから」
いつものような明るい口調で、人妻は話しかけ、玄関に走った。

「よかった、伝票置いて出直そうかと思っていたところですよ」
「ごめんなさいね。印鑑、ここでいいかしら」
「お願いします」

ハンサムな若い青年に、正代は笑顔で応えた。まぶしそうに人妻を見つめながら、若者は額に浮かんだ汗を拭い、伝票を差し出す。

「ごくろうさま」
「ありがとうございます!」

宅配便のトラックが走り去る音を聞きながら、正代は自宅の中に戻った。配達された小さな箱を抱えダイニングに向かうと、彼女はそれをテーブルに置いた。

また夫の仕事絡みの届けものに違いない。今度はどのゼネコンだろうか。こんなことは普通ではないとわかっていながらも、正代はどこかでスポイルされてもいた。まさか送り返すわけにもいかないのだ。

「どこからかしら・・・・・」
箱を見つめて、正代は何かいつもと違うような感覚に包まれていた。

玄関先で受け取ったとき、既にそれを感じていた。

箱が妙に軽いのだ。

正代は発送先を見た。そこには見覚えのない会社名が書かれていた。個人名はない。更に伝票を見つめるうちに、正代は違和感の原因は箱の重さだけではないことに気付いた。

宛先が夫ではなく、正代本人になっているのだ。

忘れかけていた鼓動の高鳴りが、少しずつ戻ってくることを感じる。正代は何かにとりつかれたように、急ぎ包装を破り、箱を開けた。

「・・・・・・・・・」
箱の中は上質な薄紙で覆われている。それを開き、中身を確認したとき、正代は息を呑んだ。

黒色の下着、ブラとショーツのセットが、そこにあった。

一目見ただけで、そのランジェリーが刺激的できわどいデザインのものであることがわかった。それは、正代が決して身に着けないような類の下着だった。

テーブルに置かれたスマホが、激しく震えた。

はっとした正代が、素早くそれに腕を伸ばした。

1通のSMSが届いている。

「内藤です。奥さん、私からの贈り物は届きましたか」

スマホを握りしめたまま、正代はその場に立ち尽くした。

人妻を追い込むように、次のメッセージが届いた。

「今度、それを身に着けた奥さんを見せてもらいます」

正代は、息を呑んだ。


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