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甘い蜜(40)

2016 12 20
真夏の太陽が降り注いでいる。

日傘で身を隠しながら、正代は開園間近の市民公園に足を踏み入れた。広大な敷地には眩しい緑が広がり、セミの声がやかましく鳴り響いている。

空気が澄んでいる。正代はワンピースの下に早くも汗を感じながら、遊園地があるエリアへと向かった。周囲には最後の仕上げを進める作業員が多く働いていた。

小さな丘を越えた向こう側に、巨大な観覧車が動いているのが見える。見たこともないような大きさを誇るその観覧車が、この遊園地の最大の売りだった。

ゴンドラの中ははっきり見えないが、どうやら既に利用客を乗せて試運転をしているようだ。

やがて、正代は遊園地に到着した。想像以上に人がいる。役所の関係者だけではなく、建設業者のスタッフや家族も含めて、まるで既にオープンした遊園地のようににぎわっていた。

「正代、よく来たな」
背後から突然夫の声がかかった。作業着姿の夫が、何名かの若い男性たちと一緒にそこにいた。

「あなた。お疲れ様・・・・。あっ、西浦の家内でございます。いつも主人が大変お世話になっております」
正代は夫のそばにいる男性達に頭を下げた。どうやら市役所の同じ課にいる部下のようだ。彼らもまた正代に向かって丁重な挨拶をした。

「それで、どうすればいいの?」
正代は夫を引き寄せ、少し甘えるようにささやいた。

「乗り物はもう大半が動いているから適当に遊んでいけばいいさ」
「一人で?」

「申し訳ないが俺は手が離せないんだ」
「それで、この遊園地の感想を後から正直に述べればいいのかしら」

「そうだな。他の土木業者の家族も多くいるから、気楽に回っていけばいいよ」
夫の言葉通り、周囲には子供を連れて来ている女性も多くいた。

「わかったわ」
「後でどこかで落ち合おう」

夫と別れた正代は、一人でのんびりと遊園地の中を歩き始めた。園内には喧騒があちこちで響き、それほど広くない敷地は多くの家族連れで溢れかえっている。

確かにどことなく、昭和の香りがする遊園地だった。正代は子供のころ、家族でこんな場所に遊びに来たことを想いだした。周囲の家族連れを見つめ、どこか懐かしさを感じた。

随分、遠くに来たものだ・・・・・・。結婚し、娘を出産、人妻として平穏な生活を送ってきた自分。立派な女性に成長しつつある一人娘は、海外留学先からもうすぐ帰ってくる。

これ以上、幸せな人生などないだろう。だが、気づかぬうちに抱えていた女としての渇き。それを、彼が私に教えてくれた。あのマンションでの熱く濡れた午後に。

忘れなさい・・・・・・

正代は再び歩き出した。日傘を差していてもどうしようもなく暑い。午後2時を過ぎたばかりだ。一人で何かアトラクションに乗る勇気もなく、正代は近くにあったカフェスペースに飛び込んだ。

そこもまた、既に営業を始めていた。正代は冷えたアイスティーを注文し、園内を見ることができる屋外のテーブルに一人で座った。巨大なパラソルの陰は、僅かだが涼しく感じられた。

汗をぬぐいながら、正代は熱い肢体をゆっくりと癒した。冷え切ったアイスティーが体奥に染み込み、生き返るような気がする。正代は改めて園内を見つめた。

「大きいわね」
やはり目立つのは巨大な観覧車だった。観覧車に最後に乗ったのはいったいいつだろうか。結婚後、まだ娘が小さかったころ、どこかで乗ったような記憶はある。

夏空にそびえたつ高層ビルほどの高さを誇る観覧車。その最上部にまで到達すれば、さぞ眺めはいいのだろう。そもそも1周するのにいったいどれほどの時間がかかるのだろう。

乗ってみようかしら・・・・・・・

ふと、正代はそんなことを想った。せっかくここに来たのに、ただ園内を歩き回り、カフェで過ごしただけというのでは、感想らしい感想を夫に伝えることさえできない。

招待客なら、一つぐらいは何かアトラクションを利用してみるべきなのだろう。それならば、やはりあの観覧車だ。あれなら、一人で参加しても大丈夫そうだ。

立ち上がった正代は、再び日傘を差し、巨大観覧車がある方向へと歩き始めた。近づいてくるにつれて、それは想像以上に巨大なサイズを正代に見せつけ始めた。

「こんなもの、よく作ったわね」
正代は頭上にまで近づいた観覧車を見上げた。付近には、乗車を待ち侘びる客たちの長い行列が伸びている。

「奥様、お乗りになりますか?」
行列のそばに立っていた若い男性が正代に声をかけた。この暑いのにスーツ姿だ。正代は、彼が先ほど夫のそばに立っていたことを思い出した。

「せっかくだから、と思ったんですけど。でも、随分並ぶのかしら」
「奥様、どうぞこちらへ。先にご案内させていただきます」
「いえ、それは困りますわ。並ぶのは苦になりませんので、どうぞお気遣いなく」

夫のことを考え、彼は親切心を無理に働かせたのだろう。

その時の正代はそんな風に思っただけだった。

正代が行列に律儀に並ぶのを見届けた後、彼はどこかに姿を消した。正代は家族連れに挟まれながら、巨大な観覧車の下で順番を待った。

「ママ、知ってる? この観覧車、1周するのに20分もかかるんだってさ」
後方にいる少年がそんな風に話すのを、正代は聞いた。

20分か・・・・。随分長いのね・・・・・・・・。

改めて観覧車の大きさを知らされ、正代は上を見上げた。少しずつ自分の順番が近づいてくる。ゴンドラも見えてきた。随分と大きく、一人で乗るのが何とももったいない。

正代は、前後にいる家族と一緒に乗るつもりだった。あれほどの大きな空間に20分間も一人きりで乗っているなんて、随分寂しい話だ。であれば、少しぐらいにぎやかな子供がいたほうがいい。

ゴンドラはガラスで囲まれていた。だが、内面はよく見えない。黒く見えるだけだ。恐らく中からは外の眺望が快適に見えるのだろう。

「どんな景色なのかしら」
正代は子供のように胸を弾ませる自分がおかしかった。

そして、順番が巡ってきた。前の家族が嬉しそうにゴンドラに乗り込んでいく。正代が後に続こうとしたときだった。

「奥様、せっかくですからお一人で満喫してください」
「えっ?」
「しばらくお待ちを」

乗車を案内するスタッフに言われるがまま、正代は前の家族と離れ、更にその場でしばらくの時間を待った。仕方ない。一人で楽しみましょう。正代がそう思ったとき、次のゴンドラの扉が開いた。

「奥様、さあ、どうぞ」
紺色のシックなワンピース姿という、遊園地にはあまり似つかわしくない姿で、人妻はゴンドラの中に入った。

ゆっくり、止まるほどの速度で動くゴンドラ。扉はなかなか閉まらない。そのとき、外から案内係の声が届いた。

「奥様、申し訳ございません、他のお客様とご同乗いただけますか」
「勿論結構ですわ」

後ろにいた家族が乗ってくるのだろう。正代はそう確信した。

だが、乗り込んできたのは一人の男だった。

「奥様、しばらくですね」

扉が閉まり、密室となった。

人妻は声を出すことができなかった。

「20分しかありませんよ、奥さん」
密着するように隣に座った内藤が、正代の唇を奪った。


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