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甘い蜜(完)

2017 01 10
「何も隠すつもりはありませんので」

人妻は、目の前に座る検察官を見つめてそう言った。

「警察で話したことをまたお話すればいいんでしょうか」

人妻の髪は乱れ、疲労と苦悶の色が濃く漂っている。そのせいなのか、目の前の人妻が、検察官には妙になまめかしく見えた。

50代になろうとするベテラン検察官は、この人妻が夫以外の男に抱かれ、激しく乱れるところを想像した。その妄想のかけらも見せず、彼は冷静な口調で言った。

「一人の平凡な奥さんがなぜあのような行為に及んだのか、それを話してもらえますか」
「そのつもりです」

そして、人妻の告白が始まった。

「私たち夫婦は、互いに20代の頃、結婚しました。一人娘に恵まれ、幸せな人生を送っていたんです」

淡々とした口調。恨みもなければ、悔いもない。人妻は、自らの過去を何の感情も交えることなく、ただ穏やかに話し続けた。まるで、小説の中の出来事のように。

「今思い返してみれば、そんな幸せはいつのころからか、少しずつ狂い始めていたのかもしれません。私たち夫婦の前にあの人が現れる、随分前から」

人妻は左右の手を机の上で重ねた。交錯させた指先を見つめ、少しそこに力をこめる。検察官には、人妻が何かを思い出そうとしているように見えた。

「主人も恐らくそう感じていたはずですわ」

その瞬間、検察官は人妻の視線から逃げ、窓の外を見つめた。まだ夏の残像を伴った強い日差しが、この地方検察庁の建物を照り付けている。

「何か飲まれますか?」
「いえ、結構です」

検察官は再び人妻を見つめた。盛り上がる胸元が夫以外の男に揉みしだかれ、甘い息を吐く人妻の姿を想像しながら。

「そして、あの人が私たちの前に現れました」

人妻の指先が震えている。

人妻は結論を述べるように、言葉を吐いた。

「いつかは償うことになるって、最初からわかっていました」

「お二人はどんな関係だったんでしょう」

「お聞きになりたいですか」

検察官は静かにうなずいた。背筋に汗が流れるのを感じる。警察からの報告で、既におおよそのSTORYは知っている。だからこそ、彼は鼓動を高めずにはいられなかった。

何日も想像し続けていた人妻が目の前にいて、罪の告白を始めるのだから。

「最初は他愛のない関係だったんです。もっとも、皆、そんな風に始まるのかもしれませんが」

人妻の告白は詳細にわたった。男が突然自宅に姿を現した日のこと、何度かの訪問を経て少しずつ男が接近し、遂に二人で食事に出かけるまでになったこと。

手を繋がれただけで、過去にないほどに感じてしまったこと。その後、自宅にやってきた彼にマッサージを与えられ、溺れていく自分を止めることができなくなったこと。

何も隠そうとはしない。赤裸々な告白。検察官は喉の渇きを覚え、何度も水を口にした。

「そして、全てを奪われました」

卑猥な下着を彼に贈りつけられ、妙な妄想に支配されるようになった人妻。何とか忘れられそうになった頃に訪れた、突然の再会。そして。

「あの部屋で彼に触れられた瞬間、私は抵抗することを放棄しました」

ベッドの上でどんな風に服を脱がされ、彼に責められたか、人妻は克明に話を続けた。彼をどんな風に受け入れ、どんな体位で愛されたか。

そして、絶頂にまで昇り詰めてしまった自分。

「私は知らない場所に導かれました」

そう話す人妻に、しかし、歓びの気配はまるでなかった。検察官は気づいた。人妻は激しい後悔とともに、自らが犯した罪を隠さずさらけだそうとしていることを。

「死ぬまで知るべきではない場所に、彼は私を連れ去ってしまったんです」

人妻は何度か言葉を止めた。その度に決意を確認し、体を震わせて声を振り絞った。そして、観覧車の中での出来事を大胆に告白し、その話は終わった。

「遊園地での出来事の後、奥様は彼とどうされるつもりだったんでしょうか」
「先なんて見えてませんでしたわ」

「・・・・・」
「あの人と別れられるとは思っていませんでしたが」

「しかし」
「そうですね。まさか、こんな風に別れることになるなんて・・・・・・」

検察官はもう一度想像した。この人妻が、あの男に観覧車のゴンドラの中で立ったままバックから貫かれ、絶頂に達する瞬間を。そして、それを密かに見つめる夫の姿を・・・・・・。

息苦しさを伴った沈黙が続いた。

窓の外の陽光を眩しそうに見つめ、そして、検察官は核心に触れようとした。

「お嬢様が帰国されることをあの男はどこで知ったんでしょうね」
「わかりませんわ」
「その日、空港に彼がいることを知ったとき、何を思われましたか」

検察官のその言葉は、人妻を激しく揺さぶった。この部屋に来て初めて、人妻は顔を歪ませた。落ち着きを失った様子を見せる人妻の告白を、検察官は辛抱強く待った。

机の上に置かれた両手を、人妻は強く握りしめた。そして、罪を犯したその手をじっと見つめ、しばらくの後、顔をあげた。検察官はその表情の美しさに心を奪われた。

「よく覚えていませんが」

「・・・・・・・」

「ただ、あの男が娘の体に強い興味を示したこと・・・・・、これだけははっきりわかりました」

「・・・・・・・」

「その瞬間なんです、私が彼に殺意を覚えたのは」

「・・・・・・・」

「結局・・・・・・・、忘れてはいなかったんです、私」

「何を、でしょうか・・・・・・・・」

検察官はそう訊いた。

しばらくの沈黙の後、人妻、西浦正代は検察官を見つめ、小さく、だが確かな口調で言った。

「自分が母親であることを」

<甘い蜜 完結>


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「甘い蜜」最後までご愛読いただき、誠にありがとうございました。
いただいたコメントは全て読ませていただいてます。数々の応援、そして叱咤激励、この場を借りて感謝申し上げます。
次回作、1月17日開始予定です。遅ればせながら、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます!
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