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目覚め(7)

2017 02 07
プールでのトラブルを熱いシャワーで忘れ去った佐代子は、午後、陶芸教室が開催される場所へと向かった。

清楚な白色のワンピースに着替えた人妻が、どこか落ち着かない様子で歩いていく。

何だかドキドキするわ・・・・・

午後を楽しみにしている反面、佐代子はやはり確かな緊張を感じていた。

そもそも人見知りをする性格が強いのだ。こんな風に自分から新しいことに挑戦するというような行動とは無縁な日々を送ってきた。

1人静かに自宅で読書や絵を描いたりして過ごすことが好きな人妻、佐代子。

自分から陶芸教室に参加したいと言い出したことに、佐代子は今更ながら戸惑っていた。

リゾートホテルの魔法にかかったように、大胆な振舞を自分がどこかで求め始めたからだろうか。

それとも、昨日、海岸で出会った彼に何となくいい印象を持ったから?

教室が始まればすぐに慣れるわ・・・・・

陶芸教室に参加してしまえば、恐らく何とかなるのだろう。佐代子はそう思った。それに、他の参加者だっているのだろうから。

指定された場所は、ビーチにほど近い地上階にあった。砂浜、そして海が見渡せそうなロケーションにあるその部屋は、どうやら陶芸教室専用らしい。

砂浜と繋がるバルコニーには、陶芸に使う道具や完成した陶器がいくつも置かれているのが見える。

佐代子は屋外に面した廊下を歩き、部屋のドアの前に立った。大きく開かれたドアは、誰でも中に入っていいことを告げていた。

南国の強い日差しが、木々で揺れる葉に僅かに和らいでいる。海からの風が佐代子の細身な肢体を心地よく包む。どこかでさえずる鳥の声を聴きながら、佐代子は部屋の中の様子をうかがった。

午後1時になろうとしている。そろそろ教室が始まる時間だ。

「こんにちは。今日、明日の体験教室に申し込んだ者ですが・・・・」

佐代子は小さな声で部屋の中に向かってそう告げた。

「ああ、どうぞ。お入りください!」

部屋のはるか奥から、男性の明るい声が届く。声の主が見えぬまま、佐代子は部屋の中に足を踏み入れた。

何とも味わい深い陶器が、棚やテーブルの上に数多く並んでいる。コップや湯飲み、お皿から、花瓶、マグカップ、どんぶりのようなものまであるようだ。

ただ焼かれただけのようなものもあれば、繊細なデザインが施され、色付けがされているものもある。

「素敵・・・・」

佐代子は広い室内を歩きながら、様々な陶器を見て回った。自分もこんなものを作ることができるんだろうか。

ここで作り上げた素敵な陶器を自宅で使うことができたら、きっと夫との旅のいい思い出になるんだろう。

「どうぞ手に取ってご覧ください」

「えっ?」

突然背後から声がかかり、佐代子は思わず小さな声をあげた。

そこには昨日海岸で声をかけられた彼が笑顔で立っていた。今日は水着姿ではなく、ダンガリーのシャツに黒色のデニムを身に着けている。

年齢は40代前半といったところだろうか。ラフな格好ながら、そこにはどこか清潔感も漂い、佐代子は改めて彼にいい印象を持った。

「そこに置いてあるのは、どれもこの体験教室に参加されたお客様がつくられたものばかりです」

「そうなんですか・・・・」

「みなさんお上手でしょう。奥様にもきっと素敵な陶器がお造り頂けますよ」

佐代子は彼に誘われるようにして、ゆっくりと室内を歩いた。そして、彼が手にした陶器を受け取り、じっくり見つめた。

「こちらの湯飲みなんか随分素敵だと思いませんか」

「ええ、とても」

「私の教室にいらっしゃるのは女性の方が多いんですが、ここだけの話、男性の方よりも女性の方のほうがお上手なんですよ」

「まあ」

佐代子は陶器が並ぶ棚の後ろの壁に掛けられた大型のコルクボードに気付いた。そこには、体験教室に参加したと思われる客からの手紙、写真が数多く貼られていた。

とても楽しかったです、素敵な体験をどうもありがとう、必ずまた行きます、といったコメントが多く書かれているのがわかる。

確かに、大半の手紙は女性からのもののようだった。しかも、写真のどの女性もとても綺麗に見える。

「でも、私にできるでしょうか」

佐代子は後方に立つ彼を見つめ、不安げにそう訊いた。

「大丈夫ですよ。皆さん、初体験の方ばかりですから。申し遅れましたが、私がこちらの教室を運営する川原と申します」

「二日間、どうぞよろしくお願いします」

佐代子は頭を下げた後、室内に他に誰もいないことに気付いた。

「あの今日の教室に参加される方は・・・・・」

「実は今日、明日と奥様だけなんです」

「そうなんですか・・・・・」

困惑を隠せない様子の佐代子に対し、講師である川原はすぐそばにあったテーブルに置いてあるファイルを手にした。

「えっと・・・・、佐代子さん、ですね」

佐代子は突然下の名前で呼ばれて驚いたが、それは決して悪い気がするものではなかった。夫以外の男性に名前で呼ばれるなんて、過去に一度もなかったかもしれない。

「教室では女性のお客様をよく下の名前でお呼びするんです。そのほうがリラックスできるんじゃないかって」

「ええ。私は全く構いませんわ・・・・。でも、まさか私一人だなんて・・・・」

「もしも佐代子さんが嫌であれば、今からキャンセルいただいても全く問題ないですよ」

「い、いえ・・・・、そういうわけでは・・・・」

ここまで来たのに、佐代子は何もせぬまま部屋に帰りたくはなかった。夫はまだツアーから戻らず、どうせ一人だ。

プールで妙な男性たちにからかわれるくらいなら、よほどこの方とここで過ごしたほうが楽しいに違いない。

「一人でも構いませんわ。陶芸は初めてですが、よろしくお願いします」

「昨日のビーチでの話だと、佐代子さんは絵がお好きだとか」

「ええ。学生時代の頃からよく一人で描いてます。静物画が中心ですけど」

「それは一度拝見したいものですね」

「そんな・・・・、恥ずかしいですわ・・・・」

戸惑う佐代子を優しく見つめながら、川原は教室の準備を始めた。

「佐代子さん、さあ、こちらへ」

ビーチに面した大きなアトリエ風の広間に、巨大な作業台と椅子が置かれている。

「こちらにお座りください。まずは粘土を練っていただきます」

「いきなりですか?」

「ええ。いきなりです」

佐代子の正面に座った川原が、いたずらを仕掛けたように笑みを浮かべた。

いつしか緊張から解き放たれ、佐代子は自分がリラックスしていることに気付いた。

ほぼ初対面の男性と二人きりでいるというのに、こんな風に落ち着いて、しかも楽し気なムードにまで浸ろうとしている自分。

それは、佐代子自身、過去に経験がないことだった。これから彼に何を教えてもらうのか、佐代子はそれが待ち遠しいような気分さえ味わっていた。

「佐代子さん、この部屋では自由に振舞ってくださいね。粘土もまずはお好きにこねてみてください」

「何とかやってみますわ」

佐代子は彼に向って笑顔で頭を下げた。それが、夫にもほとんど見せたことのないような笑顔であることに、そのときの佐代子が気づくことはなかった。

その日の午後、彼は佐代子の知らぬことをたっぷりと教えてくれた。


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