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脅迫(1)

2010 03 01
恐ろしい悪夢に比べれば、現実の恐怖のほうがましだ ~ シェイクスピア

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「頂上はまだまだ先よ。ほら、こんなところでへこたれてどうするの!」
「志織さん、もう駄目っ、歩けないよ・・・・・」
「何言ってるの! 高校生のくせに!」

次第に険しさを増していくハイキングコースで、楠本志織は後ろを歩く若者にそう声をかけた。厳しい口調とは裏腹に、その表情には笑みが浮かんでいる。

秋らしい澄んだ青空が広がっている。まだ夏の暑さが残る時期ではあるが、都心からかなり離れたこの登山コースには、確実に秋の気配が漂っていた。

「しようがないわね、じゃあ、5分だけ休憩しよっか」
「そうこなくっちゃ、志織さん。あ~、助かったよ~」

大げさにそう言いながら、道の脇にある岩の上に座り込む青年を見つめ、志織はかすかに汗ばんだ首筋にハンカチをあてながら、くすくすと笑った。

連休初日でもあり、周囲には何人かの登山客が見える。軽装の観光客もいれば、本格的な装備を背負って黙々と歩いていく登山者もいる。初級者には少々難しいこのコースを選択したのは、志織自身であった。

「へえ、涼介君がもう高校生か~」
今年の春、志織は実家に帰ったとき、母親からその知らせを聞かされた。母親のいとこの子供、という志織にとっては遠縁にあたる八木沼涼介が、志望高校に合格したというのだ。

今年29歳になる志織とは、10歳以上も年が違う涼介だが、彼が幼い頃から何度か会っていたこともあり、志織はその知らせを感慨深げに聞いた。

「まだ幼稚園だと思ってたのにねえ、それが高校に通うなんて」
「そりゃそうよ、志織がもうママなんだからね」

母親のその言葉に、志織は自分が既に結婚し、3歳になる娘がいるという事実を改めて受け止めた。涼介には、自分はもう、子持ちのおばさんとでも思われているのかもしれない・・・・。

「あ~、やだやだ、何だか老け込んじゃうわ、私・・・・」
「何言ってるの、まだ20代のくせに」
「それもあと数ヶ月の運命よ・・・・・」

社内恋愛を密かに育み、志織は4年前に夫、久雄と結婚した。間もなく妊娠がわかり、長女、奈津美を出産した。3歳年上の久雄は温厚な性格で、未だに志織は夫婦喧嘩とは無縁な幸せな結婚生活を送っている。

この日、久雄が接待ゴルフに行くということで、志織は久しぶりに実家を訪れていた。娘も一緒である。

「じゃあ、涼介君に何か合格祝いしなくちゃね」
しばらく会っていない彼のことを思いながら、志織は母親にそんな風に言った。

「そうね、どこか一緒に遊びに行けば?」
「えっ、遊びに?」

「あの子が小学生の頃、何度か連れて行ってあげたでしょう、志織。それが凄く楽しい思い出だって、お母さん、何度か聞いたことあるわよ」

「ふーん。遊びに、ねえ・・・・」
母親の指摘に、志織はまだ涼介が子供だった頃のことを思い出していた。

彼が小学生に入った頃、志織は既に大学生だった。当時、教師になるという夢を持っていた志織は、それも手伝って、涼介に接する機会が多かった。

動物園や遊園地、幼い涼介を志織は随分といろんな場所につれて回ったものである。母親は、彼の高校への合格祝いにそれの再現を提案しているのだ。

「でも高校生を動物園に連れて行っても仕方ないしなあ・・・・」
思案を巡らす志織に、母親は名案を思いついたように表情を明るくした。

「志織、山にでも連れて行ってあげれば?」
「山?」
「そうよ、あなたも久しぶりに行きたいんじゃないの?」

母親のその言葉に、志織は心を動かされた。彼女には、学生時代に山歩きのサークルに入っていたという、少々ユニークな経歴があるのだ。

山岳部とまではいかないが、一応、登山を志したサークルで、関東周辺の高山をいくつか制覇しながら、何度か標高の高いエリアでテント泊した経験もある。

就職、結婚、そして出産と人生を歩んでいくにつれ、志織は山から必然的に遠ざかっていった。また山歩きをしたいという願望があることを、志織も度々感じていた。

娘が3歳になったこともあり、そろそろ簡単なハイキングにでも行ってみようか、とちょうど夫と話をしていたのだ。そこに涼介を連れて行くのも悪くないアイデアだ。

「そうね、それ、いいかもね、母さん」
「山なんか登ったことないと思うから、きっと喜ぶんじゃないかしら」

その実家への訪問からしばらく経った頃、志織は涼介に電話をし、入学を改めて祝福した上で、登山に行くことを誘ってみた。

「ええっ、合格祝いで志織さんと一緒に山に行くの?」
その声色から、涼介が早くも及び腰であることに、志織は気づいた。

「何なのよ、私とは行けないとでもいうのかしら?」
「い、いや、そうじゃないけど・・・・、でも、志織さん、変でしょう、合格祝いに山に連れて行ってあげるだなんて、普通はさ、お金をくれるとか・・・」

「甘い! 涼介君、それは甘いわよ!」
昔から「へたれ」の気配が端々に感じられた涼介が未だ変わっていないことをどこか嬉しく思いながら、志織はそう叫んだ。

「涼介君、高校生は大人の入口よ。一度、山にでも登って、これまでの人生を見つめなおすといいわ」
「そんな・・・・、いいよ、俺、自宅で人生を見つめ・・・」

「駄目っ! 私がその甘い考えを叩きなおします。わかった!?」
涼介の言葉を強引に遮り、志織はその約束を彼に呑み込ませた。彼女なりの、合格祝いのつもりだった。




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