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依頼者~緑の過去(4)

2017 08 04
「女性弁護士事務所ということで、注目されることも多いんですよね」

興味深そうに質問を続ける女性記者の視線が、夏の不快指数を上昇させる。緑は少々疲れた様子で彼女に答えた。

「確かに女性ということで目立ってしまうこともありますが」

「先生のようにお綺麗ですと、なおさら、ねえ」

「はあ・・・・」

最近、こんな取材が妙に多い。地元の新聞、フリーペーパー等、毎月のように緑はインタビューを受けている。

基本的に、それらの要請を断ることはしなかった。女性単身で開設したこの事務所を少しでもメジャーにするためには、メディアの力も必要だ。

緑はそんな風に考え、今回もまた、月曜日からこんな取材に応じている。先週の金曜日、妙な男性と面談をした同じ部屋で。

「依頼人はやはり女性の方も多いんですか」

「ええ。弁護士が女性だということで、男性には相談しづらいようなこともこちらでは安心して話し合うことができますから」

「例えば夫婦間のトラブルとか」

「そうですね」

彼女の質問に、緑は先週金曜日の面談のことを思い出した。だが、あの依頼者は女性ではなく、男性だった。

白のブラウスに濃紺のタイトスカートで肢体を包んだ緑。清楚なだけでなく、そこには確かな威厳を感じさせる雰囲気も漂っている。

「失礼ですが、先生もご結婚されているんですよね」

「え、ええ」

「確かご主人も弁護士さんだとか」

「そうですね。別に家で仕事の話をすることはありませんが」

先手をうつように、緑は彼女を見つめてそう言った。事務所からは、二人の女性スタッフが忙しそうに働く気配がドア越しに伝わってくる。

さりげなく腕時計を見た緑に、女性記者はまるで気づかぬふりを装って、質問を続けた。

「先生のように美しい女性弁護士さんだったら、女性だけでなく男性の依頼者さんも多いんじゃないですか」

「特にそんな風には・・・・」

「奥様がそんな風に毎日いろんな男性の依頼者さんと会ってると、ご主人もやきもちを焼いちゃったりするんでしょうね」

「は?」

「もしよろしければ、ご主人と先生の馴れ初めを聞かせてください」

結局、その取材は昼前まで続いた。それは取材と称した無為な時間でもあった。

「一週間の始まりっていうのに。最悪ね。今週は嫌なことが起こりそうだわ」

二人の事務スタッフと一緒のランチの席で、緑は自虐的にそうつぶやいた。

「先生、写真を撮られたときはちゃんと笑顔だったんでしょうね」

「どうかしら。難しい顔してたかも」

「もう、駄目ですよ。外向きの笑顔をちゃんと見せてもらわないと」

「だって、変な質問ばかりなんだから。主人との馴れ初めって、ねえ、この法律事務所とは何も関係ないじゃないの」

「世間がそんなネタを求めているんですよ」

「いやだわ、そんな取材」

夏真っ盛りの街には、熱に浮かされたような若者の姿が多くあった。事務所の近くのカフェレストランの中から、緑はそんな光景をうらやましげに見つめた。

「先生、それで、ご主人との馴れ初めは?」

「聞きたいですねえ、それ」

緑をからかうように声をかけながら、二人の女性スタッフは笑顔を浮かべる。

「いやよ、そんなこと・・・・。それよりあなたたちはどうなのよ」

強引に話題を切り替えながら、緑はアイスフルーツティーをおいしそうに飲んだ。外の真夏の暑さが、店内にまで押し寄せている。

「私たちですか?」

「そうよ。せっかく夏なんだから。彼と海とか行かないの?」

同じ質問が男性から発せられたのなら、それだけでハラスメントになってしまうのかもしれない。だが、緑は全く遠慮なく、目の前の若い二人にそう訊いた。

「海ですか? いやあ、行かないですねえ」

「先生、海水浴なんて、いまどき、人気ないですよ」

「あら、そうなの?」

「日焼けするし、汚れそうだし、面倒だし」

「それに、変な男がいそうで。簡単に水着になんかなれませんよ」

二人の言葉に、緑はおかしそうに笑った。二人ともかわいいという形容がまさにあてはまりそうなルックスをしているが、確かに日焼けはしていない。

「ふーん。そうなの。時代が変わったのねえ」

そう漏らした緑の言葉に、二人はまるで記者のように、興味深げな視線を浮かべた。

「先生はよく海に行ってたんですか?」

「えっ、私?」

「ええ。例えば若い頃。あっ、今も十分にお若いですが」

クスクスと笑う二人を見つめ、緑は少しばかり心が軽くなった気がした。午前中の取材の不快な気分から、やっと回復できたような気がする。

そんな気分も手伝い、緑は過去のことを少しだけ思い出した。

それは、心の奥でずっと封印してきた記憶だ。

「それほど頻繁ではないけど、でも学生の頃は何度か行ったわ」

「先生、大学は東京ですよね」

「そうね。女子大だったから、ゼミやサークルの友達と一緒に、ね。船に乗ってみんなで島に行ったこともあったかしら」

緑の表情が僅かに硬くなったことに気づかぬまま、二人は会話を続けた。

「島ですか。すごいですねえ」

「そうねえ。若かったのかしらねえ、やっぱり」

「海だから、勿論水着ですよね、先生」

「それはねえ。やっぱりそうよね」

「ビキニですか?」

屈託のない様子で質問を続ける彼女たちのことを見つめながら、緑は体奥で何か冷たい気配を感じ始めてもいた。

「素敵な人と出会ったりしなかったんですか、先生」

何気ないその質問が、緑の鼓動を確かに高めた。

「そうね・・・・」

遠い過去の記憶に浸るように、緑はグラスの中の氷を見つめた。そして、僅かに紐解いてしまった記憶から逃げるように、彼女たちを見つめた。

「もう忘れたわ、昔のことだから」

緑の言葉に、二人は何かを想像するように好奇な表情を浮かべた。笑顔を浮かべつつ、緑は同じような言葉を自分が最近口にしたことを思い出した。

ベッドの中で、夫にも同じ言葉をささやいた緑。昔のことは、もう忘れました、と・・・・。

「そろそろ行く?」
「はい」

カフェを出て事務所に向かって歩きながら、緑は心の中であの島での出来事のことを再び思い出していた。

封印しなさい・・・・

私が大人になる前の最後の記憶。夫にだけでなく、誰にも話したことはない。一緒にいた友人たちとも、あの記憶のことを話し合ったことは一度もない。

何年かに一度、よみがえてくるあの記憶。その度に、緑は固くそれを体奥に閉じ込め、忘れ去ろうと努めた。

今日もまた同じだ。姿勢を正して歩きながら、緑は弁護士である自分を取り戻していく。

もう大丈夫・・・・。事務所に戻ったときには、緑は完全にいつもの自分になっていた。

しかし、彼女の予感はあたった。

その週の後半、思いがけない出来事が緑を待ち受けていた。


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